育休日記『休まず育てる』その7

昨日文学フリマへ行ってきた。今までは出店側だったので、本当久しぶりの買い物だけの流通センターだった。
育休中なので、家にいたいのもあったが、ゆかりさんが気分転換にと行くことを勧めてくれた。ありがたい。ゆかりさんも1日外出してもらいたい。
平民金子さんの「ごろごろ、神戸。」というエッセイで
『私は自分自身に課したルールとして、妻が子育てをする事によって出来なくなる事は自分もしないと決めている。とし子供がいるから酒を飲みに行かなくなったのなら、私も行ってはいけない。子育てで忙しくテレビゲームをする時間がなくなったのなら私もしてはいけない。』という文章がある。この文章を読んだ時、思っていたが言葉にしていなかったことだなと思い、ゆかりさんに伝えたところ「ほうな〜」との返事だった。僕の話し方が下手くそだったのかもしれない。
文学フリマでは相互フォローの人には挨拶をしなければと本を買ったついでに「フォローさせていただいております」と言う。
すると、すぐに伊藤さんですか?と言われたので、名は体を表しすぎだろうと思った。そんなに僕は伊藤なのだろうか。客観的にはわからない。
はじめましての挨拶をするたびにゆきさんのことを祝ってもらえて嬉しかった。Twitterで呟いてよかった。孤独ではない。
ただ色んな人と話しすぎて、年内までの社交を全て使ったような気がする。
もう三十路も半ばを過ぎているので、人見知りをしている場合ではないので、少しは話す。しかし自分の中の社交の数値は減っていき、何を話していいのかわからなくなる。雑談は学校の休み時間で習うかもしれないが、休み時間ずっと寝たふりをしていた睡眠学習では何も学ぶことができていない。
家でもゆきさんにどう話しかけたらいいかわからないでいる。ゆかりさんはうまく子に、やわらかい口調で着替えますよーとかおむつ替えますよーと言い、それを聞いて僕も真似をしている。真似ばかりで僕がゆきさんに話すことは少ない。
何を話して良いのだろうか。雑談力がない。コロナが大変よねーとか今日は晴れだねーと言ってもきょとんとした表情。それじゃあ、と最近ゆきさんが喋るようなふにゃふにゃふにゃを真似して話しかける。少し顔をしかめた。意味がない言語ではコミュニケーションが取れない。コミュニケーションが取れないのは子以外でもそうなのだけれど、こっち発信のボールが受け取ってもらえないとなるとどうしたら良いのだろうという気持ちになる。
そこで僕はゆかりさんを観察する。ゆかりさんはゆきさんが泣き叫んでいると、基本的にはわかるわかると話していた。
共感。赤ちゃんだから泣きたくなっちゃうんだよねえ。わたしもそうだよーとあやす。ゆかりさんは赤ちゃんじゃないのに。わかるわかるーとゆきさんと会話をしていた。羨ましい。
僕もゆきさんを抱っこしている時に、わかるわかると共感してみた。まだ子は何も発信していなかったようで、ビー玉のような目をして僕を見ていた。その目の中には僕が映っている。

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