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15年越しの奇跡。

私の母は汚部屋クリエイター。
モノを置きすぎて和室の床が腐り、畳が朽ちて原型をとどめない状況になりました。
ベテラン大工さんたちは口をそろえてこう言います。

「床が下がったりベコベコしたりしていても基礎までイカれていることはまずありません。
長い経験の中でも何度か遭遇した程度で、きわめて異例」

そのきわめて異例な事態を引き起こしたのがうちの母です。
スゴイでしょ。もはや異能者。
それで普通に住んでるってところがもっとスゴイ。
何度か工務店から見積もりを取りましたがいずれもエゲつない金額を提示され、おまけに、

「工事までに荷物をすべて撤去しておいてください」
「荷物の移動を受け負う場合はプラス5万円ぐらい」


と言い渡されて手も足も出ず( ;∀;)
しかたなく少しづつ私が撤去を進めてきました。
こんな状況でも母は、

「捨てん!」
→捨てるんじゃなくて誰かに譲る、リサイクルするって何度言ってもわからない。
「要る!」
→使ってないんだから要らない。欲の皮がつっぱってるだけ。
「あんたは金持ちやっけん(もちろんイヤミですよ、これ)よかろうけど、私はもう買われんとよ!」
→だからなんだよ。要らねえだろ。買う必要ねえよ。
「いやよ!」
→じゃあみんな背負っとけば?棺桶に入れてやるよ。

この調子で、殺意を覚えることもしょっちゅうでした。
人生の優先順位がわかっていない。
家が壊れてるのに「何十年も使ってない寝具の山」や「使ってないガラクタ」を手離さないなんて異常です。
そもそもそんなに持ってることが異常。
客なんて来ないのに毛布10枚、布団10枚、タオルケット10枚、タオル100枚ぐらいあります。
普通ならすでに自分で処分を進めているはず。
なのに呑気にテレビ見て日々を過ごしています。
このへんが、なんらかの障害があるんだろうなと思う所以です。
昔から違和感はあったけど、やっぱりおかしい人です。
最優先であるべき「家を再生すること」の邪魔ばかりする母への殺意は消えません。
こんなに家をダメにしておいて、

「自分は節制している」
「モノを大事にしている」


と思い込んでいるんですよ。
この認知のゆがみが私は恐ろしいです。
何度言っても理解できないし、長い説得の最後には、

「でももったいなかやんね」
「もう買いきらんとよ」


で終わりです。
家を粗末にしてる意識は全くない。
ガラクタをつめこんだせいで家の腐食を促した、という流れを流れとして理解することができない。
バカなんでしょうね。
私から見たら家を粗末にするクソ女でしかないのですが。

世のお嬢さま方は上品だから口には出さないでしょうけど、毒親+ボロ実家持ちの方々はみんな頻繁に親に殺意を抱いていると思います。
眉をひそめてるアナタは恵まれてるだけですよ。

3年ほど前、ようやく大量のタンス(合計だと10竿ぐらい)の処分が完了し、主な荷物を物置に運び出しました。
いよいよ状況を打破すべく、知人のキャサリン(長く建築業界で働いていた力持ち)に頼み込んで根本的な修理に着手しました。
ちょうど1年前のことです。

まずは病原菌がウヨウヨしてそうな、腐って折れ曲がった畳を撤去。
この日に合わせて除草+ゴミ搬送のお兄さんを雇い、力仕事も手伝ってもらいつつ和室を土間にしました。
彼は日当制で、時間内であれば他のお仕事も手伝ってくれる天使のような人です。

この日、念願の解体が完了し、畳も腐った木材も一度に片付いて大成功。
私のオーガナイザーとしての手腕が光る一日でした(笑)。

解体の結果、基礎の状態がかなり悪いことが判明。
隣の部屋との境、簡単に撤去できない部分にも腐食があったんですね。
柱を浮かせないと大引が抜けません。
キャサリンがいくら力持ちでも家を持ち上げることは不可能。
私はたくさんのジャッキを購入して大引の撤去に備えましたが、結局これは使う場面がありませんでした。

土間になった和室にもたくさんの仕事があります。

・残った木の部分に防蟻剤を塗る。
白アリよけの塗料はカビなども防止するのでうちには必須。

・地面をならす
→気づいたのが遅かったので間に合いませんでした。シートを敷くにも何をするにも、表面をならすことは必要でした( ;∀;)

・土間にコンクリートを流す
→ずっと悩んでいたけど、1年ぐらい時間があったので余裕でベタ基礎にできたと思います。最初から1年のインターバルがわかっていれば前向きに考えたのですが、、、時間がもったいなかった。

キャサリンに作業の続きを頼めなかったのにはいくつか理由があります。
・材木の手配の日程が読めなかった
修理に必要な材木は大きくて長く、邪魔になります。
いつから大引の作業に入る、とハッキリわかっていれば手配できますが、わからない状態では買えません。
今から思えばそんなに悩む必要もなかったのですが、当時の私は長くてかさばる材木をホイホイ買えるメンタルではありませんでした。

・送迎が難しかった
キャサリンは免許を持っていないため私が送迎していたのですが、これが体力的に厳しかった。
私は後遺症の影響もあって疲れやすく、行きはともかく帰りがとてもきつくて月に1回ぐらいしか行けませんでした。
せっかく実家に来ているのだから残って片づけをしたいと思っても、当然ながらキャサリンを送って帰らなければなりません。
往復交通費とガソリン代で4000円近くかかっているので、私が残れないことはかなりのロスです。

私は別の人を雇うことを考え始めました。
地元で趣味の便利屋さんをやっている方を知っていたからです。
打診してみたのですが、本業が休みの日しか来れないとのことでした。
それでも自分で来て自分で帰ってくれるならだいぶ助かります(笑)
春から延々とリクエストしましたが、お盆までいっこうにタイミングが合わず。
そんな時、やはり地元で日当だけで来てくれる人を見つけました。

その方に依頼してからとんとん拍子に話が進み、この週末にようやく完成!
意に添わないことも予定外のこともたくさんありましたが、とりあえず床ができただけでよしとします( ;∀;)

実家の床が腐って落ちた。


このアンユージュアルな事態が発覚してから15年ぐらいたちます。
ようやくちゃんとした部屋が1つ増えて、私はとても満足です。
工事が終わったのが木曜日。
翌日から必死に掃除をし、荷物を運び、家具を運び、働きづめでした。
完成を見てようやく母も喜んでいましたが、それまでは夜になっても作業を続ける私に

「いつまでしよっとね!」
「あんたがせんでよか!」


と邪魔ばかり。
じゃあ自分がやれよバカ。
前準備もすべて私に押し付けておいてよく言うよ。
黙ってりゃいいものを。。。チッ。

母と何度も大ゲンカし殺意にまみれて無事に昨夜、生還。
片付けにあと3日ぐらいかかりそうですが、こっちの身が持たないので撤退しました。

ヘタクソでもセンスなくてもわからずやでも、大工さんはすごいと思いましたね。
15年の恩讐が一週間で解消です。



つらい毎日の記録