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残念な母娘

昔、祖母がうちに長期滞在した時。
母と祖母が買い物に行くと言うので、以前からチェックしていた浴衣を買って来てくれるよう頼んだ。
遊び着にするようなちゃんとした浴衣ではなく、寝巻みたいな安っぽいものだったが、古臭い花柄の中に1枚だけ素敵な柄行きのものがあるのを私は見つけていた。モチーフは撫子(ナデシコ)だった。
わざわざ指定しなくても、この中から1枚選ぶとすると10人中10人がナデシコを選ぶだろうというぐらい、その浴衣だけがオシャレで、どう見てもナデシコ一択だった。
でもちゃんと、

「撫子の柄」

と指定した。

うちの母はバカなので撫子を知らないかもしれないが、祖母が付いているので大丈夫だろう。
古い女だ。大和撫子の由来となった花ぐらい知らないはずがない。

帰って来た二人が持ってきたのは菊の浴衣。
いちばん古臭く、ださいと思っていたものだ。ありえない。

なんでこんなことができるんだろう。
私はショックで怒ることもできなかった。黙り込む私に、母は言った。

「わからんやったもん。どれね、撫子て」

殺意を覚えた。母親はいつもこの調子だった。

「ごめんね。返しに行ってあなたの好きなのを買おう」

とか、なぜ言えないのか。言い訳ばっかり。
バカが二人してゴミを買ってきたおかげで、私はもう浴衣を買えなくなったというのに。

ナデシコがわからなかったとして「絶対にコレじゃないだろう」ってやつをなぜ選ぶのか?
撫子がわからんでもさすがに菊ぐらいわかるだろう。
そういう時は消去法で行けや。店員に聞けや。
死ぬほどバカ。救いようのないセンス。
祖母とはそんなに長く一緒にいたことがないからわからないが、母にはたびたびそういうことがあった。
ナデシコを選べと言われて菊でしかないものを選ぶというのは、無意識の悪意なのか、認知機能のゆがみなのか。

私は生まれた時から赤貧だが、母はそうでもない。
母は結婚した相手が無職の遊び人だったために貧乏生活をしていたが、実家(ばあさんの家)はなかなかの金持ち。
件の浴衣は売り場で一番安い商品で、当時で2800円。
それでも本来なら私に買える額ではなかったのだが、柄がキレイだったので諦めきれず、贅沢だとは思いながらもお願いしたものだった。

女が二人も揃って買い物に出かけ、ナデシコさえ判別できない。
トルコキキョウやヘリオトロープと言ってるんじゃない。ナデシコだ。

自分より20も40も年上の女に、ナデシコを知っていてくれというのがそんなに難しいお願いなのか。

金がないことよりも、自分の母親と祖母に最低レベルの教養がないことが本当に恥ずかしく、悲しかった。
私だったら一目で「これ」とわかるし(あたりまえだが)、

「あの中で一番きれいだったからすぐわかったよ、あなたはセンスいいね」

とリクエストされた浴衣を渡し、娘を喜ばせてやったのに。
このおばさんとおばあさんは、カネと不要品を交換してゴミを増やし、私を泣かせただけだった。

売り場に何十枚もあるわけじゃないんだよ?せいぜい7、8枚。
柄だってミックスじゃなく、一種類の花がプリントされているだけなのに、、、ナデシコがわからずに菊を買って来るババア。
思い出すだけで本当にイライラするし、絶望する。

昔の女とは言っても二人ともちゃんと高校出てるし、祖母に至っては郵便局に勤めていた学業優秀な人だ。
知能が低いわけではないだろう。
目が悪いの?ほんとに悪意なの?いったい何なの?

この件は私のトラウマとなっている。
このように私の血縁の女はまったく私の期待に応えてくれることのない人たちだった。

ついでに言うと料理もまずい。
嫌いなものを延々と供する。
(こいつらのせいで私はほぼ成人するまで食べることにまったく関心がなかった。外食する金はなかったのでガリガリに痩せていた)
違うのがいいと言っても応じない頑固さだけは二人とも持ち合わせている。
頭がおかしいんだと思う。
このおかしさが、私にまで遺伝しておかしな家が形成された。

バカは子供を育てないほうがいい、と私はこの二人を見て学んだ。
だからうちには子供がいない。

つらい毎日の記録