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佐賀県I市T町の人柱伝説

私とT町とは少しかかわりがある。
幼少期にこの町をよく訪れ、数々の不気味で陰鬱な経験をした。

20年ほど前までこの地は開発から見捨てられた感があり、たとえば夜間に「飲み物が欲しい」と思っても車で30分ぐらいかけて駅前まで行かないと何もないという陸の孤島であった。
印象を一言で言うと「横溝映画の舞台になりそう」である。

I市は焼き物で有名で、豊かな自然が残っており、マリンスポーツや古民家ブームのニーズにもマッチしているのにさびれていく一方。
首長はいったい何をしているのかとイライラさせられたものだ。
そのくせ道路だけはガンガン作るので意味不明。
そんなに需要ある?←失言

さてこの町は陸の孤島っぷりが認められたのか某大学の研究対象になっており、いくつかの研究レポートを読むことができる。
目を通したところ、私の知る実情とは違う部分も見受けられて信憑性がはなはだ疑わしかったが、取材した相手によって見解が違うっていうのはしょうがないことかもしれない。

今回はじめて町内の橋梁工事にまつわる人柱の話を読んだ。
人柱は大昔には珍しい事ではなかったと思うが記録を残しているケースは少ない。
おおっぴらに書ける話でもないし、後年、気づいた人が「まずい」と思って記録を処分するケースもあるだろうし。
歴史は常に歪められる危険にさらされている。

で、この人柱の話をまとめると。

・橋の工事がうまくいかないので話し合って人柱をたてることにした
・話し合いの結果「服に横ぶせ(破れた部分に縦柄の布を横向きにかぶせて繕うこと)をしている者」を人柱にすることとなった
・その日、偶然にも横ぶせをしていたのは発案者であった
・発案者が人柱になった

という伝承があるらしい。
ちなみに私は地元の話としてコレを聞いたことは一度もない。
母(代々この地に住んでいる家の娘)にも聞きましたが初耳とのこと。
だからどうってことはないんですが(あるが)、若干の違和感があります。

この話に違和感を抱いた理由ははっきりしている。
ここから30分ほど離れた長崎県松浦市にまったく同じ内容の伝承があるからだ。
そこは昔から「人柱地区」と呼ばれ、今でも「人柱橋」という橋が残っている。犠牲者を祀る「人柱観音堂」では毎年、犠牲者の供養が営まれている。
いわば史実として町オフィシャルに人柱を祀っているのだ。

いっぽうK町には公式な記録はなさそうで、塚も碑もない。
もし人柱が史実であればずいぶん薄情なことだ。
村人は遺族たちに恨まれたかもしれないね。
だからいまだに町じゅうがあんなに暗く陰鬱な雰囲気なのかなーと思わないでもない。

とか言いつつ、普通に「聞いたことある話(松浦の人柱)を適当に言ってみただけ」ってやつなんだろうなと思っていますが。

とりあえず今日はこれまで。
ちなみにイニシャルは仮名です。


つらい毎日の記録