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ポーランドは未だ滅びず <2>

歴史ストラテジーゲーム『Victoria 3』で高難度実績「Not Yet Lost」に挑戦したAAR(リプレイ)です。プレイするのは列強に囲まれた小国クラクフ。歴史上は10年後に消滅するこの国で、見事ポーランド=リトアニア共和国を再興できるでしょうか。

本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。


前回のあらすじ

列強プロイセン、オーストリア、ロシアに囲まれた都市国家クラクフは、移民の力を借りて産業を興し、半世紀の時を経て世界一豊かな街へと変貌を遂げた。宗主国オーストリア=ハンガリーに対抗しうる経済力を背景に、クラクフはついに自治権を獲得する。

傀儡国から自治領へと昇格したクラクフ。地図上ではまったく変化が見られない。

領土拡張

列強オーストリア=ハンガリーを敵に回し、満身創痍になりながらも自治権拡大を勝ち取ったクラクフは、ボロボロになった経済を立て直すのに10年の時を費やしました。

幸い宗主国オーストリア=ハンガリーとの外交関係は心配していたほど悪化しておらず、市場にもそのまま留まり続けています。

国力比較(1902年)

  • ロシア:GDP 78.6M、人口 80.1M

  • オーストリア=ハンガリー:GDP 62.5M、人口 43.6M

  • プロイセン:GDP 29.8M、人口17.0M

  • クラクフ:GDP 8.6M、人口 1.7M

戦争の余波でGDPは伸び悩んでいるが、識字率は99%を突破して世界第1位となった。

クラクフの次なる目標は領土拡張。最初に目指すのは港の確保とポーランドの形成です。

港がなければ世界の国々と貿易できず、独立に成功しても経済的に自立できません。ポーランドの形成は将来ポーランド=リトアニアを復興するための足がかりです。復興に必須ではありませんが、ポーランドを形成することで一部の州への請求権が獲得できます。

ポーランドの形成には特定の9州の中から5州の獲得が必要です。その9州は現在プロイセンが4州、ロシアが3州、オーストリア=ハンガリーが2州支配しています。つまり、列強を2カ国以上倒す必要があるわけです。

西ガリツィアはクラクフを含むため、分割州の扱いになっている。

とにかく喉から手が出るほど欲しいのが港です。そこで、最初の標的はバルト海への最短ルートであるプロイセンに決めました。プロイセンは普墺戦争に惨敗して以来国力が伸び悩んでおり、数度の内乱を経験していました。

しかし、プロイセンは経済力でも軍事力でも今のクラクフが単独で対抗できる相手ではありません。しかも、アメリカと防衛協定を結んでいるのです。軍資金を貯めながら機会を窺うこと数年。アメリカで南北戦争以来の内戦が発生しました。絶好のチャンス到来です。

プロイセンの同盟国アメリカで南北戦争以来となる大規模な内戦が発生。

1902年、クラクフはプロイセンに2州の割譲を要求して外交戦を開始。アメリカが中立の立場を堅持する一方、プロイセンをライバル視するオーストリア=ハンガリーがクラクフ支持を表明します。

しかし、これで勝利が約束されたわけではありません。宗主国オーストリア=ハンガリーの介入により、外交戦の主導権は宗主国に移りました。戦争を完全勝利で終わらせるか、白紙和平で終わらせるかは宗主国次第です。オーストリア=ハンガリーに厭戦感情が広がる前に圧勝しなければ、なにも得られずに戦争が終結してしまいます(1敗)。

オーストリア=ハンガリーは自らの同盟国ロシア、イタリアにも呼びかけ、プロイセン包囲網を敷きました。外交戦は決着がつかないまま戦争に突入。戦争を圧勝で終わらせるため、クラクフも募兵努力の布告を出し、ありったけの兵士を動員して最前線で戦います。

クラクフ軍も最前線で大活躍。同盟軍だけでは軍事大国プロイセンに圧勝できなかった。

戦争は1年間続き、首都ベルリンを含む全土を占領されたプロイセンは降伏。クラクフは当初の要求通り2州を獲得しました。

⌛ゲーム終了まであと33年(悪名36)


革命前夜

初めての領土拡張に成功したクラクフですが、国内には問題が山積していました。新たに獲得した領土には総人口の3分の1にも達する急進派を抱え、国内では干渉主義専制政治を求める政治運動が革命にエスカレート中。国家財政は破綻寸前で、軍隊の動員を解除しても大幅な赤字です。

ようやく地図上にクラクフの文字が現れた。その隣には革命を警告するアイコンが。

最初に手をつけたのは社会福祉の大幅な削減です。領土拡張で人口が確保できるようになった今、生活水準を上げて移民で人口を増やす必要はなくなりました。教育や社会保障など各種行政機関の投資レベルを最低水準に下げ、財政赤字を改善するとともに新領土の編入に必要な行政力を確保します。

しかし、この戦略転換は諸刃の剣でした。不安定だった国内は生活水準の低下が原因でより一層不安定になり、終戦から1年後には革命がどうしても避けられない状況になってしまったのです。

あと数ヶ月あれば政治運動が収まるのに、その数ヶ月で革命が起きてしまう。

干渉主義専制政治を求める政治運動は両方とも革命に発展。一方の法律を制定する間にもう一方の革命が進行する始末で、完全に行き詰まりました。数ヶ月の時間を稼げれば危機を回避できますが、その数ヶ月間で必ず革命が起きるのです。

革命が起きても宗主国が鎮圧してくれます。しかし、征服したばかりの州に首都が移転されることで行政力が激減し、致命的な財政赤字が発生します。こうなるとプレイを継続するには破産するしかありません(1敗)。

革命前夜の利益集団。専制政治を求める実業家を抑えられなければ未来はない。

『Victoria 3』では運頼みは通用しません。セーブデータを何度ロードしても毎回同じタイミングで同じ出来事が発生します。イベントやAIの行動も同じです。プレイヤーが行動を大きく変えない限り、歴史の流れを変えることはできません。

あらゆる手を尽くして革命の起きない世界線を模索するプロセスは、まさに何度も同じ時間を繰り返すSF作品のようでした。試行錯誤の末、最後にたどり着いた答えがこちらです。

  • あらゆる布告と消費税を廃止
    →浮いた権力で革命側の利益集団を抑圧、体制側の利益集団を強化

  • 税金を最低、公務員給与を最高に設定
    →正当性と権力を増やし、制定中の法律の審議を加速

  • 体制側の利益集団から将軍を採用、即元帥に昇進
    →体制側の利益集団の影響力を増やし、相対的に革命側を弱体化

この解決策により革命の進捗率を99%で食い止め、革命が起きる前に干渉主義を制定。即座に専制政治の制定に移ることで、かろうじて革命の沈静化に成功しました。

⌛ゲーム終了まであと31年(悪名26)

絶望的な無限ループから脱出した瞬間。干渉主義の制定までこの状態を維持した。

不撓不屈

ようやく財政再建に成功したクラクフは1908年、再びプロイセンに2州の割譲を要求して外交戦を仕掛けました。勝利すれば念願の港が手に入ります。

今回も味方につけたのは宗主国オーストリア=ハンガリー。懐柔するために恩義を負ったので、今後10年間は独立できません。オーストリア=ハンガリーはまたもや同盟国ロシア、イタリアを引き込み、必勝態勢を整えました。

戦争は前回と同じ構図になった。プロイセン側で参戦しているのはスペイン。

戦争は1年ほど続き、今回もプロイセンの惨敗で終わりました。クラクフは要求した2州を手に入れ、無事バルト海に港を確保。ようやく世界の国々と自由に貿易や外交ができるようになったのです。

クラクフの領土はついにバルト海に達した。しかし、地図上には不穏なアイコンが。

ポーランドの形成に必要な5州のうち4州までを手に入れたクラクフですが、急激に領土を拡大したひずみは予想以上に大きいものでした。

1910年
革命への恐怖から治安維持のために国民衛兵を制定。2年後には移住規制も制定され、クラクフの自由は少しずつ失われていきました。

1911年
新領土のドイツ人が分離独立。クラクフは内戦状態に陥りますが、反乱は即座に鎮圧されました。

1912年
専制政治を求める革命が発生。以前からくすぶっていた革命ですが、規模が縮小したためオーストリア=ハンガリーの介入で鎮圧されました。

1913年
致死性のインフルエンザ「ベルギー風邪」が国内で大流行。数年にわたって経済の低迷を余儀なくされました。

1914年
オーストリア=ハンガリーで帝政打倒を掲げる革命が勃発。翌年鎮圧されたものの、内戦の間にオーストリア=ハンガリーは破産しました。

このイベントは第一次世界大戦時のスペイン風邪を模したもの。

苦難の歴史を乗り越え、ようやく国内を安定させたクラクフでしたが、宗主国オーストリア=ハンガリーの破産という絶好のチャンスを前にしても独立戦争を仕掛けることはできませんでした。先の対プロイセン戦争の際に恩義を負っていたからです。

⌛ゲーム終了まであと22年(悪名24)


独立不羈

1916年、クラクフはロシアに3州の割譲を要求。拒否されると、そのまま単独で戦争に突入しました。ロシア側にはオスマン帝国が参戦しています。

他国の支援を期待しての外交戦だったが、圧倒的に不利な戦争に突入。

戦争は壮絶な塹壕戦となり、戦線は1年間にわたって膠着状態が続きました。しかし、オスマン帝国が脱落すると形勢は一変。ロシア軍が総崩れになったのです。ロシア軍は塹壕歩兵ではなく、まだ散開歩兵を配備していました。

ロシア軍は総崩れになり、序盤の膠着状態が嘘のような快進撃が起きた。

ロシアに勝利し、3州を獲得したクラクフはポーランドの形成に必要な5州以上の条件を満たしました。とうとうポーランドが蘇る時が来たのです。

ポーランドの形成により、東西ガリツィア2州への請求権も獲得しました。現在、オーストリア=ハンガリーが支配するこの2州は、将来のポーランド=リトアニア再興に必要です。

ついに地図上に姿を現したポーランド。まだオーストリア=ハンガリーの自治領なので同じ色。

ポーランドの復活と時を同じくしてオーストリア=ハンガリーがスペインと戦争を開始しました。この戦争でオーストリア=ハンガリーは領土の過半を占領され大敗北を喫します。

そして、1919年。スペインと講和したばかりの宗主国オーストリア=ハンガリーにポーランドが独立要求を突きつけました。以前負った恩義は一年前に失効しています。

国力比較(1919年)

  • ロシア:GDP 91.0M、人口 78.6M

  • オーストリア=ハンガリー:GDP 72.2M、人口 43.2M

  • ポーランド:GDP 32.5M、人口 12.3M

  • プロイセン:GDP 29.0M、人口9.5M

国力はプロイセンを上回り、GDPはオーストリア=ハンガリーの45%に達した。

本来なら、ポーランド=リトアニアの再興に必要な2州も要求したいところですが、塹壕歩兵を配備するオーストリア=ハンガリー軍の防御力は非常に高く、ポーランド軍の攻撃力では攻撃目標を占領できません(1敗)。

そこで、自治権を拡大したときと同じく、全力で防衛に徹してオーストリア=ハンガリーの戦争支持率をマイナスにすることを目指しました。この戦略なら、同じく塹壕歩兵を配備するポーランド軍の方が有利に戦えます。

開戦すると即座にオーストリア市場から締め出されてしまいます。そのため戦争の間はひたすら経済を正常に回し続けることだけに注力しました。継戦能力の喪失が、すなわち敗北だからです。ポーランド独立戦争は丸1年続き、オーストリア=ハンガリーは渋々独立を認めました。

⌛ゲーム終了まであと16年(悪名38)

ようやく本来の色で表示されるようになったポーランド。残された時間は少ない。

次回予告

クラクフはポーランド再興を果たし、オーストリア=ハンガリーから独立を勝ち取った。しかし、ポーランド=リトアニア共和国再興のために残された時間はわずか。急激な領土拡張は各国の警戒心を高め、正常な外交は困難になりつつあった。クラクフ改めポーランドの次の一手は?

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