ポーランドは未だ滅びず <1>
歴史ストラテジーゲーム『Victoria 3』で高難度実績「Not Yet Lost」に挑戦したAAR(リプレイ)です。プレイするのは列強に囲まれた小国クラクフ。歴史上は10年後に消滅するこの国で、見事ポーランド=リトアニア共和国を再興できるでしょうか。
本文中の出来事はすべてフィクションです。実在の人物・団体・国家などとは一切関係ありません。
はじめに
16世紀に黄金期を迎えたポーランド=リトアニア共和国は、18世紀に入り、プロイセン、オーストリア、ロシアによる三度のポーランド分割を経て地図から消え去りました。
クラクフはナポレオン戦争終結後のウィーン会議で成立した都市国家です。『Victoria 3』に登場する国家の中で唯一ポーランド文化を持ち、ゲーム開始時はオーストリアの傀儡国となっています。
実績「Not Yet Lost」を達成するには、プロイセン、オーストリア、ロシアから合計10州獲得してポーランド=リトアニア共和国を再興し、その後ロシアから4州獲得する必要があります。
実績「Not Yet Lost」達成条件
第1段階:ポーランド=リトアニア共和国の再興
プロイセンから2州、オーストリアから2州、ロシアから6州を獲得
第2段階:ポーランド=リトアニア共和国の拡大
ロシアから4州を獲得
殖産興業
最初に、これから打倒する列強諸国とクラクフの国力を比較してみます。
国力比較(1836年)
ロシア:GDP 35.4M、人口 58.8M
オーストリア:GDP 20.9M、人口 34.7M
プロイセン:GDP 12.0M、人口13.7M
クラクフ:GDP 0.1M、人口 0.2M
国力の差は歴然で、まるでお話になりません。その上、傀儡国のクラクフは宗主国以外に外交戦を仕掛けることができません。このままでは勢力拡張の方法がないため、当面は国力の増強に努めることになります。
GDP(国内総生産)を増やすには労働力が必要です。クラクフは人口が少ないため国外からの移民に頼りたいところですが、それには生活水準を上げ、移民にとって魅力的な国にしなければなりません。
幸いクラクフは最初から民主的な自由経済の国です。政治制度は富裕者投票の大統領共和制で、経済制度はレッセフェールと自由貿易に設定されています。そこで、このリベラルな路線をさらに推し進めることにしました。
移民を増やす方策を決めたところで、次は産業振興です。クラクフでは鉄と石炭が採れるので、最初はこれらの鉱山を開発します。クラクフが属するオーストリア市場では、産業革命に伴って鉄と石炭の需要が増えていくので確実に利益が出るはずです。
時代の変化に合わせて製鉄所を建て、鉄道を敷けば、原材料を国内で調達できるクラクフの製鉄業はさらに発展を遂げるでしょう。技術研究も鉱山と製鉄の生産性を上げるものに集中し、布告によって後押ししました。移住求心力を高める隣の芝生は青い運動と教育機会を高める社会的流動性の促進は必須の布告です。
普墺戦争
初手、いきなり自営農の制定を開始しました。当然、地主は急進化して革命を起こします。この一手はオーストリアでイベント「ポーランド国家への声明」を起こすことを狙ったものでした。
このイベントはクラクフで革命が起きるとオーストリアに発生します。オーストリアがプレイヤーならクラクフを併合する選択肢を選ぶところですが、AIは必ず反対の選択肢を選んでオーストリア国内の急進派を増加させます。
オーストリアの弱体化を狙った一手でしたが、今回のプレイでは直接的な効果は確認できませんでした。革命自体は宗主国オーストリアが派遣した軍隊により即座に鎮圧され、クラクフは一時的に混乱しただけで元に戻ります。
しかし、この革命は思わぬ副産物をもたらしました。地主の影響力が一時的にゼロになったのです。折角のチャンスなので、ここぞとばかりにリベラルな法律を制定しまくりました。
1837年 自営農
1838年 公立学校
1840年 文化的排斥
1842年 集会の権利
1843年 人頭課税
自営農の制定により地主の影響力が永続的に低下し、代わって農村民の影響力が上昇しました。さらに、識字率を高める公立学校、移民を増やす文化的排斥を制定していきます。
集会の権利を制定したのは、民族主義の技術で解禁されるクラクフ専用ジャーナル「国々のキリスト」を利用するためです。このジャーナルのボタンを押すと、周辺国にポーランド人の急進派を増やせます。さらに、運良くポーランド文化の独立国が誕生した場合、クラクフが独立していれば誕生した新国家を吸収できます。
人頭課税の制定により収入が安定した1843年、普墺戦争が勃発しました。オーストリアの傀儡国であるクラクフも否応なしに巻き込まれます。
国力比較(1843年)
ロシア:GDP 38.6M、人口 61.8M
オーストリア:GDP 26.4M、人口 35.9M
プロイセン:GDP 15.0M、人口14.4M
クラクフ:GDP 1.0M、人口 0.3M
開始時に比べればクラクフのGDPは約7倍、人口は約1.5倍と飛躍的な伸びを示しています。しかし、周辺諸国にはまだ歯が立ちません。普墺戦争に巻き込まれる前に独立戦争を仕掛ける戦略もありますが、今回のプレイでは採用しませんでした。
クラクフはオーストリア側で普墺戦争に参戦したものの、一兵も出さずに傍観しました。そもそも軍隊を持たず、全力で経済を拡大しているので貢献のしようがありません。フランスの参戦により挟撃されたプロイセンは惨敗。ドイツ統一の夢は破れました。
⌛ゲーム終了まであと93年
自治拡大
普墺戦争のあとも産業の育成に努めながら、着実に法律の制定を進めていきました。
1845年 制限選挙
1847年 移住規制なし
1848年 救貧法
1851年 公共健康保険
1852年 選挙制の官僚
1854年 専門的な警察機構
1856年 女性の財産権
1858年 普通選挙
1860年 賃金助成
1863年 規制機関
1865年 児童労働の制限
1870年 比例課税
1880年 義務初等教育
1890年 大規模徴兵
選挙法の改正により実業家の影響力を徐々に労働組合へシフトし、労働組合の力で社会福祉を充実させていきます。すべては移民にとって魅力的な国を作り上げ、周辺国に対抗できる力をつけるためです。
その総仕上げとして比例課税で収入を安定させ、大規模徴兵で大国との戦争に耐えられる軍事力を手に入れました。ようやく雌伏の時は終わりを迎え、ポーランド=リトアニア共和国の再興に乗り出す条件が整ったのです。
国力比較(1890年)
ロシア:GDP 71.6M、人口 76.7M
オーストリア=ハンガリー:GDP 49.1M、人口 41.6M
プロイセン:GDP 29.6M、人口16.0M
クラクフ:GDP 9.1M、人口 1.6M
クラクフのGDPは宗主国オーストリア=ハンガリー(オーストリアから国名変更)の5分の1、プロイセンの3分の1程度にまで追いつきました。識字率は94%に達して世界第5位。生活水準に至っては17.4で世界第1位です。そのおかげで移民の数はうなぎ登り。人口は開始時の7倍に膨れ上がっています。
1887年、オーストリア=ハンガリーはイギリス、アメリカとの戦争に敗北。翌年にはイタリア北部がサン・マルコ共和国を宣言して内戦に陥りました。サン・マルコ共和国の独立は失敗に終わったものの、オーストリア=ハンガリーの弱体化は明らかです。クラクフは両方の戦争に巻き込まれましたが、軍隊を動員せずに傍観を続けます。
そして運命の1890年。クラクフが大規模徴兵を制定した直後にオーストリア=ハンガリーが外交戦でフランスとロシアを敵に回しました。これはまたとないチャンスです。
クラクフは宗主国オーストリア=ハンガリーに傀儡国から自治領への自治権拡大を要求。これが拒否されると徹底抗戦の構えを見せました。
独立ではなく自治権の拡大を要求したのには理由があります。独立に成功しても、満身創痍で放り出されるのは列強に囲まれた陸の孤島。オーストリア=ハンガリー市場から追い出された直後は原材料の調達もままなりません。たちまち国家経済は崩壊し、社会福祉の縮小は致命的な革命に繋がり、クラクフは滅亡してしまいます(1敗)。
ついに戦争が始まるとクラクフは他国に助けを求めることもせず孤軍奮闘。自治権の拡大以外にはなにも求めず、ひたすら防衛に徹しました。
これにも理由があります。自治権の拡大以外を要求したり、他国を懐柔するために要求を追加すると、戦争目標が増えてしまいます。自治権の拡大のみであれば領土を守っているだけでオーストリア=ハンガリーの戦争支持率をマイナスにできますが、それ以外の戦争目標があると、その目標を占領しない限り戦争支持率はゼロより低くなりません。それでは結局どの要求も認めさせられないのです(1敗)。
長く苦しい戦争は1年半続き、クラクフは債務不履行を目前にして自治権の拡大を勝ち取りました。1892年のことです。
⌛ゲーム終了まであと44年
次回予告
世界で最も豊かな街クラクフは自治権の拡大に成功。ついに外交戦を仕掛ける力を手に入れた。しかし、国力はいまだ周囲の列強諸国に遠く及ばない。ポーランド=リトアニア共和国の再興を目論むクラクフの次の一手は?
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