『ワイルド・ワイルド・カントリー』 オウム真理教が目指した教団の形
by 輪津 直美
バグワン・シュリ・ラジニーシ(後にオショウと名乗る)が立ち上げた教団のドキュメンタリーが初めて配信されたのは、今年の3月だった。ネットフリックスが、80年代に起きたこの事件に関するドキュメンタリーを、今更作る意味はなんだろうか?
配信から約4ヶ月後の7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃他6名の死刑が執行された。
瞑想を主体とした宗教を立ち上げ、インテリを集め、田舎に街を作り上げ、行政に人を送り出し、武装する… ラジニーシ教団の成り立ちはオウムと酷似している。麻原彰晃は、ラジニーシ教団を模範にしていたのは間違いないだろう。しかし、決定的に違うことがある。それは、オウムが目的のはっきりしない無差別テロを起こしてしまったことである。
ラジニーシ教団の辿った道はある意味わかりやすい。
信者が増えすぎ、インド政府に目をつけられ、アメリカに新天地を求めた。田舎の住民にとって彼らは招かざる客で、衝突が起こった。衝突はエスカレートしたため、州や連邦政府当局からの監視対象となった。そして、教祖のラジニーシはついにアメリカを追放され、インドに戻る。
オウムがエスカレートしてしまったのは、ラジニーシ教団のように、帰る場所がなかったからだろうか?
教団の施設があった旧上九一色村のあの場所は、まさに逃げ場のない隔絶された場所であったし、日本で非社会的集団だと広く認知されている以上、外国に逃げるという選択肢の可能性も限りなく低くなる。
麻原以下、幹部もいなくなってしまった今、オウム真理教が本当に目指していたことは何だったのかは、謎が多いまま闇に葬られた。しかし、もしかしたら、ラジニーシの教団が辿った道は、その謎を解く手がかりとなるかもしれない。
ラジニーシの著作や瞑想の音楽は、今だに売れており、多くに支持者を持っている。
私は、ずいぶん昔に仕事で使った瞑想のCDを、自分でも気に入ってよく聞いていたのだが、それが実はラジニーシ教団のものであったことを、今回初めて知った。
ラジニーシの教えは、私達の知らないうちに生活の中に入って来ている。オウムの教えも、そうなるかもしれない。
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