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【読書記録】宇奈月小学校フライ教室日記//本村雅宏著②


32年前の卒業記念品



『宇奈月小学校フライ教室日記』。
これは、わたしが先生の生徒だった少しあとのお話。わたしのふたつ下のオトウトの担任だった頃からのお話かな。
以前読んだものですが、ふいに思うところがあり読み返しました。

『宇奈月小学校フライ教室日記』に描かれている、わたしの通った宇奈月小学校は、廃校になり、取り壊されました。
(町の他の小学校と統合され、ほかの場所にあたらしく建ち、名前だけは残っていますが)
学校が取り壊される前。学校が数日、地域のひとに向けて開放され、そこに置いてあるままの備品が『ご自由にどうぞ』とされました。わたしは、母と、ムスメとうかがい、いくつかのものをいただきました。とてもせつなかったなぁ。大好きだった学校がなくなってしまうのは。

あぁ、どうしても思いが散漫。
読書の感想文には、到底なり得ませんね。


先生のこの本を読むと、わたしには釣りのことはまったくわからないのだけど、学校の様子や、あまりに身近な黒部川のこと、しっている子らのこと、自分の育ってきた環境のいろいろ、さまざまな思い出がやわらかによみがえって、どこかしら感傷的になっているのか、涙が止まりませんでした。


本村先生と山本先生と卓球台。
体育館。プール。
礼法室。太田文庫。
中庭のメダカ。
クロスカントリースキーの板とシューズとストーブ。
教室にいた鶉。

黒部川の水の美しさ。冷たさ。
そして、
連携排砂の日の濁流と、臭い。


宇奈月の、黒部川の、そこに生活する子どもたちと、オトナたちと、自然のリアル。
子どもの頃にはわからなかった『先生』の気持ちにも、なんだか胸をぎゅっとしめつけられてしまいます。



わたしはムスメを連れて東京に出てきて11年。かしら。
きっと、宇奈月に戻って暮らすことはもうないと思うのですが、生まれ育ったあの場所は、なにもかも、やっぱり大好きです。

この本が出版されるとき、わたしは先生からご連絡をいただいています。
小学校の卒業文集に一眼レフカメラの絵を描き、専門学校で写真を学んだわたしに、本を出版すること、そして、その表紙になる写真をわたしに撮らないかと。
そのときのわたしは、ものすごくうれしかったのに、あまりに自信がなくて、できません、って言ってしまったんですよね。
自信がなかった。
胸をはって写真を撮れなかった。

実際の先生の本のお写真は、表紙も先生が撮影されたもので、音も匂いも風も、感じられるものです。
だから、それはそれでよかったと思う反面、わたしにとっては、きっと、一生、一生の後悔です。
そのクリエイティブの一部になれたらよかった、と、わたしは今も思っています。


この本が出版されたのは2008年。
わたしはこの年 離婚し、1歳半のムスメを連れて実家にもどりました。

もともと結婚自体に反対していた両親だったので、離婚するなんて、とても申し訳ない気持ちだったのだけど、お酒を飲んでいるかゲームをしているか寝ているかだった(元)夫から、毎日のように人格を否定され、「おまえなんか」と言われ続けた日々から逃れたと思いきや、とにかく何よりも世間体、体裁を保つより大事なものがない実家の父には、「離婚なんかして、オレの残りの人生を台無しにしやがって」と罵られ、なんだか途方に暮れたのは、きっとずっと忘れないと思います。

(当時まだ実家に暮らしていたオトウトが、気にしなくていい、ずっとうちにいればいい、と言ってくれ、守ってくれ、ムスメをかわいがってくれて、それが、わたしが40歳をとうに過ぎた今もオトウトを『かわいいオトウト』と呼ぶひとつの理由だし、彼のためのお買い物にいってあげる理由でもあります。)

その年に用意した年賀状に印刷した写真のひとつに、ムスメとわたし、ふたりの影の写真があったのだけど、本村先生から、「娘さんとふたりで生きていくっていうことかな、と思った」とご連絡をいただいたのが、わたしの人生で、2度目の、学校で先生と過ごす1年のきっかけでした。


先生は当時、宇奈月小学校と同じ市内の小学校の教頭先生になっておられて、各教室の、担任の先生の補佐的に、スタディ・メイト(LD等の児童の学校生活を支援するための有償ボランティア)をお探しでした。
そのとき、先生がわたしにかけてくださった言葉は、「誰でもいいわけじゃないんだ。」

先生。今も先生の声で脳内再生されます。
誰でもいいわけじゃない、だから、わたしに連絡をくれた。
それが、どんなに、どんなにうれしかったか。

田舎の小さな小学校で、わたしは自分の恩師である本村先生と1年間、いっしょに過ごすことができました。
先生は、「教頭先生」だったけど、わたしにとっては「本村先生」のままで、わたしは先生の教え子で、たった数年でも、「先生」という大人が子どもにあたえる影響が少なくないことをよぅく知っていたので、慎重に、でも、とてもたのしんで毎日を過ごしました。
【職員室】という、異質な世界を垣間見ることができたのも、貴重な経験でした。
たった1年。されど1年。今のわたしをつくった、重要な日々でした。
いろいろな子どもとの関わりは、学びが多かった。あのときの子どもたちは、今はもう立派な大人ですよね、きっと。



卒業記念品だったオークヴィレッジのフォトフレームには、ムスメの写真を入れてリビングに。今も、大切にしています。
その写真のうしろには、高校のときのだいすきな野球部のみんなの写真、そしてもう一枚、小学校の卒業記念のクラス写真(わたしたちには卒業アルバムはなかったので)。


さて、ながながと書き連ねましたけど、何が言いたいかというと、わたしは先日、わたしの生まれ育った地のことを描いた恩師の本を再度読んだということ。
その恩師は、わたしにとってとても大切な先生であるということ。
【先生】という存在を含め、子どもと関わるすべての【大人】は、どんな些細なことかもわからない影響を、子どもに与えるということ。



以上。
2月に読んだ一冊、『宇奈月小学校フライ教室日記』でした。


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