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わたしの転職体験

#転職体験記 が目についたので、わたしの転職について振り返ってみようと思う。

専門学校で写真を学んで、それでもみんなが”自分が一番”の世界で戦えなかったわたしは、ひとり暮らしがさみしかったのもあって、学校卒業後は実家に帰った。20歳の時。
親戚が、この会社に話をしておいたから、という、地元の酒造メーカーに就職。
古い古い古い体制の会社で、一番年の近いひとでも11こも年上だった。
13人の事務員の中で、一番上のひとはわたしの祖母と同い年だった。
先輩(女性)からのセクハラと、あまりにも古い体制だったのが嫌で2年で退職。

友達の家が経営していた某コンビニエンスストアで人手不足、ふみちゃん来てくれなーい?と言われて数ヶ月アルバイトしたのち、近所のおじさん(小さい頃から可愛がってもらってた)から、人手不足だからよかったら、といわれての勤めたのが、電力会社の子会社。
観光地で地元の電力開発の歴史の案内の仕事をして6年。

出産を機に退職、離婚を経て、小学生の頃の恩師に、誰でもいいわけじゃないんだ、と声をかけてもらって、小学校で働くこと1年。(1年契約)

このあと初めて自分で就職活動をするのか。
31歳の時。
初めてハローワークに行った。
酒焼け声のマダムに、「あなた、仕事さがしてるの?わたしのお店ではたらかない?」と話しかけられたのもこの時。
結局、ホームページで検索して、歯科医院の受付のオープニングスタッフに応募した。
履歴書を見て、「字、きれいですね」が先生の開口一番だったのと、実は30歳までの年齢制限だったから、「いいんですか・・・?」と聞いた記憶がある。(30歳までの年齢制限だったのは、先生が32歳だったから。年下がいいな、と思ってのことだったらしい。)
それがオープンまで1ヶ月を切っていて、院長先生は即採用してくれた。なんでも、先に決まっていた方が急に辞めたらしかった。
先生からしたらラッキーだった、と言ってもらえた。とてもとても働きやすい環境で、わたしにとっても超絶ラッキーだった。

3年働いて、子どもを連れて上京することを決意したために退職を申し出た時、「いっしょに年をとっていってくれると思ってたのに」と先生は言った。「プロポーズ??」ってみんなで笑った。(きれいな奥様もかわいいお嬢さんたちもいらっしゃる先生なので、冗談で)


東京にきたほうが、仕事もあるし出会いもある。
あんたとムスメの人生にとって、そっちの方が絶対にいい。

と、幼馴染の親友が言ったし、過疎しかない地元でムスメを育てるよりもいいと思った。
随分と思い切った決断だった。

思い切って上京、まず、3つの派遣会社に登録。
1つ目派遣会社で最初に受けたのが、某証券会社の恵比寿支店の受付の仕事。で、即採用をいただいた。
9時から16時まで、ひろい受付で、どっぷりと立派なレザーのソファに座って、東京タワーとスカイツリーを眺めて、予約時間にいらっしゃるお客様を迎え、お部屋にお通しし、お茶を出す。それだけの仕事だった。

それが1年経とうという時、わたしを東京に呼んだ親友の夫が起業した。
そしてそこでまた、採用していた受付スタッフが急に辞めた。そのために、わたしが召喚された。
”今の(証券会社の受付の)仕事と同じ条件なら”と引き受けたのが不幸のはじまり。
「ベンチャーだから」を言い訳にする、超スーパーブラック企業だったと思う。


まるでわたしが書いたのかと思うようなクチコミを書かれている会社。
ほんとうにこの通りだから、今はもう笑えるけれど。

社員は使い放題。残業代出たことない。通信料足りない月も自己負担。
何か不都合があれば偽装。
完全に男尊女卑思考でセクハラも酷い。客、従業員の容姿に関する悪口ばかり。社長のお友達集めて作ったからまともな大人がいない。「期待してる」と上手い言葉で社員登用して何年経っても給料上がらず手当も出なかった。おすすめしません。

他では経験できない雑用をたくさんやらされました。行き当たりばったりの嘘をつく能力が上がったと思います。

ほんとうに、人として好きではない。そういう社長だった。(親友は離婚します)

わたしが具合悪くて会社のトイレで嘔吐して、ちょっとむりだ…とうなだれているところに、消毒用のアルコールスプレーをかけてきたこと。
わたしが忘れた携帯電話( iPhone )のパスコードロックを解除しようとして失敗してたこと。(取りに戻ったらロックアウト状態だったの。鳥肌ものの嫌悪感しかない。)
終わらない仕事、午前3時、職場の片隅で壁にもたれて眠るわたしのムスメ。それをみて「うちの会社だから子連れて仕事できてよかったね」と言ったこと。
わたしがそう言ってた、と他のスタッフの悪口を流布したこと…書き出したらきりがない。


それでも、5年。がんばってた。
ムスメを育てなくてはいけない、生活がかかっていたし、件のクチコミにもあるように上手い言葉で会社の成長や今後お給与が上がっていくことを匂わされ続けた。
もしかしたらお給与が倍に、さらに倍になっていくようなことを聞かされ続けた。
でも、匂わされ続けただけで結局なにも変わらず、休みも少なく、
あなたは無能だ、だから人一倍動け、
あなたはバツイチのシングルマザーだ、だから父親の分も働け、
あなたはボクに雇用されてるんだ、だから24時間365日ボクの電話には出ろ、働け、
と言われ、
あなたのような学歴も資格もない40歳に転職先なんてあるわけないと言われ、そう言われ続けると、ほんとうにそう思えてしまうのが不思議なもので、(仕事自体はたのしかったものの)時間に追われ、いつもイライラしてムスメに八つ当たりをし、ため息ばかりついて笑うことなんてなかった。
転職を決意したときも、「あなたのみたいに学歴も資格もない40歳にいい仕事が見つかるわけない」とはっきり言われた。
そうかもしれないと思ったけど、
そうじゃないかもしれない、と思いたかった。

40歳での転職は、それはそれは、不安だった。
本当に学歴も資格もないから。
でもね、でも、あった。
自分ができることでよろこんでもらえる場所があって、たのしく働ける場所があった。

今の職場との出会いは、わたしの人生の転機になった。
学歴もない、資格もない。
リクルートかなにかのサイトだったと思う。
【学歴不問】【全員面接】と書いてあったのが今の職場。
そのとき40歳だったわたしは、年齢によって応募できる企業の幅が思っていた以上に狭くなることを感じていたし、
学歴によってそもそも面接すらしてもらえないところも多かったので、
この求人には飛びついた。

2社、応募して、1社目が、今の職場。
面接をしてくれたのは同い年の女性で、事務長。
小柄な柄、ピシッとパンツスーツを着こなしてすてきな印象。
まだ小さいお子さんがいらっしゃるとのことで、わたしのように子どもをもつひとはお互いの気持ちを理解し合えるだろうからうれしい、と言ってくれた。
2次面接にはわたしともうお一方(男性)が進んだらしい。
基本的に一緒に働く事務長がいいと思う方を選んだらいい、というボス♂♀のお考えで、事務長はわたしを採用してくれた。
ボス♂曰く、ボクはさいしょからキミだと思っていたけどね、と、あとから聞かせてくださった。

(ちなみに、2社目の企業で面接してくれたのも女性の社長さんだった。くたびれた毛玉つきのセーターを着て、とても偉そうな態度。いや、偉いんだろうけれども。)


同い年の10年選手のセンパイ(事務長)は、「お互いに足りないところを補い合いましょ」と言ってくれる人格者だった。
わたしは学歴も資格もないけど、それでも、接客の経験があって受付業の経験があって、事務の経験もあって、パソコンが使えた。すぐに重宝された。
ボス♂もボス♀もやさしくて素敵なひとで、公私ともに母娘ともにかわいがっていただいている。(去年、今の家に引っ越せたのも、ボスご夫婦のご好意。頭が上がらない。)


転職してから、「ママ、おうちで笑うようになったね」とムスメに言われたときはもうしわけなさすぎて涙が出た。ちいさいムスメに5年間もさみしい思いをさせたこと、取り返しのつかない日々を過ごしてしまったと思っている。

だからこそ、今、ふたりでソファに座ってだらだらとテレビを見て笑う時間も、「しあわせだね〜」と言い合える。
わたしにとって、この転職は、人生の転機になった。


そこにいる自分のことがすきじゃなかったら、辞めた方がいい。
仕事なんて、”わたしがいなくちゃまわらない”なんてことはない。
わたしは転職をすすめる。
(もちろん、責任はあるから辞め方はきれいなほうがいい)
仕事だって、自分の人生の一部なわけで、
そこにいる自分のことがすきじゃないのに、
その一部が大部分になってしまうのはもったいない。



…ということを、
引っ越しのときに訪問見積もりに来てくれた感じの良い若人に話した。
「それは一ノ瀬さんの転職がうまくいったから言えるんですよ」と言われた。
その通りかもしれない。



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