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こんにちは☆
不登校・思春期&発達凸凹さんの子育て相談担当
カウンセラーのすぎもと海奏(みか)と申します。

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家では、不登校な息子(発達凸凹)&娘のカウンセラー。
学校では児童への寄り添い&保護者への労い担当をしております。
◾️特別支援教育支援員◾️保育士◾️キャリコン
◾️子育て心理学カウンセラー/インストラクター
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★自己紹介 はコチラ

こちらでは、自己紹介に加えて、親との関係、夫のこと、子どもたちの状況など追記させていただきます☺️


◆私のこと◆

学生時代、決めつけが強くヒステリックな母親に本音は話せず、口ごたえすることもできませんでした。学校では、自信がなく主張しないため、イジメの対象にもなりました。学校は、行くのが当たり前だったので小学校6年以降、(発熱しても)無遅刻無欠席無早退。実家から出る!という目標を原動力に、乗り切りました。

​中学3年のとき、ふと、『感じることをやめよう』と思った記憶があります。人は、悲しい気持ち、悔しい気持ちなどに蓋をすると、楽しいこと、嬉しいことも感じなくなります。
 
大人になって、息子が不登校になり、娘まで不登校になり、私自身が『楽しむことが分からない』ことに気付きました。子どもたちの不登校は、このことへの気付きを教えてくれた気がします。
 

◆支援員を始めたきっかけ◆

自分の息子が小学生になったとき、『支援員』という職種があることを知りました。そのとき、私の学生時代に、傍に寄り添ってくれる大人がいたら良かったな…と感じました。だから、「子どもの本音を聴き、何でも話せる大人として子どもたちに寄り添いたい」と思い、この仕事を始めました。
 
 
◆息子のこと◆
~中学1年夏休み明けから不登校に~

 
息子は、幼少期から、こだわり強めですが穏やかな性格でした。保育園や小学校では集団生活に適応し、友達にも優しく周りに迷惑をかけることもありませんでした。書くことの苦手さ、計算の遅さなど、気になることはありました。

小学3年のとき、やればできるので怠けていると思われ、できるまで居残りの日々。小学4年になり抜毛も始まりました。学校に相談しましたが発達面での問題指摘はなく、本人の希望で地元の公立中学に進学しました。
 
しかし、繊細で周りに気を遣い、我慢を積み重ね中学1年の1学期にキャパオーバー。家庭では厳しさも必要かと思い、叱咤激励。日常への頑張りを承認することも労うこともなく、自己肯定感は底辺まで堕ちてしまいました。結果、うつ診断で不登校となりASD、LDの診断も下りました。

高校選びについては改めて書きますが、都立定時制でいいや・・・との考えは、娘の不登校により見直しに><

改めて、子どもに合う学校を探し、中学3年の夏、息子が受け入れた通信制サポート校が見つかりました✨サポート校ではありますが、12月の入試に向けて体験授業に参加したり、テスト対策、作文など取り組んでいます。
 

◆娘のこと◆
~中学1年、中間テスト明けから登校渋り~

 
思い返せば、幼少期、母子分離不安のある子でした。小学校高学年以降、発表、日直、給食の配膳など苦手なことへの抵抗が増したものの、少人数のアットホームな環境の中で、周りの配慮により乗り切りました。

娘は、兄と違う公立中学へ越境入学。心機一転、マスクを外し、新しい環境、学習面への不安を抱えながらも全力で取り組んでいました。ルールも約束も守り、憧れだった部活も全力で明るく頑張っていました。でも、徐々にエネルギー不足となり足が止まりました。

6月まで、「私は不登校にはならない!!」と言っていましたが、食欲も落ち、生理も止まり、日に日に表情の暗くなる娘に「不登校にならないって、あなたが言ったじゃん!!!」と強い言葉をかけることはできませんでした。

部活だけ頑張ろうとしましたが、陰口を言う女子とのやりとりの中で、自分も何か言われているのでは?と感じてしまったり、学校も否定的だったり、理想と現実のギャップにも疲弊。「1日だけ休んでいい?」と言ったその週は休み、翌週復活したものの、部活にも行けなくなりました。そして、7月から週3日の別室登校を始めました。※11月現在、別室登校週1日と併せて、フリースクールへの登校に向けて調整中です。


◆パパのこと◆

まず、心の優しい人ではありません。
人の気持ちが分かる人でもありません。
自分の価値観が当たり前、『お前ら従え!!』と思っているタイプで、長男が不登校になって1年経ったころには、怒り限界でした。

学生時代は、今なら、ADHDの問題児として見られるような生活を送ってきた人です。カッとなると危ないながら、塾の講師をしていた経験があり、子どもたちの幼少期には、いきなり難しいことをやらせたり、大量の問題集を課したりしたこともありました。※子どもたちの勉強嫌いの根本には、この頃の記憶があります💧


不登校が原因で家族関係が悪化することはよくあることです。我が家もそんな時期がありましたが…不登校から1年半経った頃、面と向かって物申し、子どもたちへの対応が変わりました。発達障害について、息子が診断受けていることへの理解はありませんが、『いろんな人がいること』への理解は以前より進んでいると思います。

◆新しい家族◆
~2024年5月、犬(黒柴)を家族に迎えました~

2024年度、私が小学校での支援員の仕事を週2日に減らしました。以前から、子どもたちには犬や猫を飼いたいと言われていましたが、命を守るプレッシャーや経済面、何よりも、息子が犬猫アレルギー持ち💦私のストレスも計り知れないと思い拒否していました。そんなある日、NGと言っていたパパが急にOKを出しました!!

「どうせ飼えないんだろな・・・」
喜んだ直後の息子の言葉に背中を押され(・・;)、この1週間後、ブリーダーさんのサイトからご縁を感じた子をお迎えしました。


子どもたちは犬を可愛がっています。でも、朝の散歩に行く!と張り切っていた娘は起きる気配なし。。。数ヶ月間、朝夕の散歩も私だけで行っていました。飼い始めて5ヶ月目、私が出張で家を空けたことをきっかけに、息子が夕方の散歩に行くようになりました。娘の方は、、、いざと言うとき活躍してくれています☆

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人生、意識している方に流れていきます。引き寄せ、などとよく言いますが、私は、良いことも悪いことも、思考が現実になる経験をたくさんしています。在宅での仕事を増やそうと働き方を変えた途端、娘まで不登校で在宅になったことも妄想しました(・・;)

不登校は不安だし焦ります。せっかく無料の給食を食べずに、家庭の食費も爆上がり💦でも、そこに嘆いているうちは、何も変わらないのかもしれませんね。


家にいる時間を増やしてから、最初は、子どもたちに寄り添うことを最優先に過ごしました。

そして、今は次のステップにいます。
そのためには『お母さんが楽しく過ごすこと』✨

しかし、パパも在宅ワークが多いため、家に家族全員いる今の環境では私のエネルギーが貯まりません💦それに、家に私がいると家族の依存度が上がるため、支援員の仕事がない日は、カフェやレンタルオフィスでの仕事スタイルに切り替えたところです♪(2024年11月現在)

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長文になりましたが、お読みいただきありがとうございました。

私は、楽しいが分からない、親から誉められていない、承認不足、自己肯定感の低さはピカイチ!!そんな母でしたが、今のところ、子どもたちにとって家族で一番、気持ちを話せる存在になれているかと思います☆

家でダラダラ過ごす我が子を見ているのは、時に辛いです。

だけど、これから先、より良い方向に進むんで行くために必要なのは、子どもを信じて支えること。カウンセリングでは、今できることを一緒に考えて、サポートさせていただきます^^

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