見出し画像

ズタズタの傷は治りが遅い

来月から復職が決まりました。仕事は好きなのでとても嬉しいです。
これを機に休職についてまとめておこうと思います。


休むまでに至った経緯

きっかけは1通の役所からの封書でした。内容は伏せますが、それを読んだだけでメンタルをやってしまいました。本当に読んだだけです。
後に親との関係を切るほどに効果バツグンだったそれは問い合わせてみたらただのお知らせでした。
きっかけって不思議ですね。それまでは大丈夫だったのに…。
メンタルをやってからは、日に日に弱っていき4日目には仕事を早退。コロナ禍なので発熱を繰り返すわたしは出勤できず。発熱は人と話すと出るものでした。心因性発熱ですね。
なんとか精神科を受診して双極性障害Ⅱ型と診断され、そのまま休職することに。
3ヶ月で復帰したものの本調子ではなく4ヶ月時短で働き再び休職しました。

休職中の生活

最初は薬が合っていなかったのもあり意識が低下し食欲はなく眠れもせず。記憶が曖昧な日々を過ごしました。
病院を変えてからは合う薬を模索して、最近はちゃんと効いてる感じが出てきました。
1回目の休職時の記憶はほとんどありません。それでも復帰したのはどうしてもしたい仕事があったからなので意地ですね…。
2回目の休職は前回を省みて、なぜこんなに不安なのか、なにを恐れているのか、考えました。その結果「自分が安心できる環境をつくる」ことを目標にしました。

実家での出来事

なぜ安心できないかというと実家との関係が悪かったからです。
特殊な家族構成なのもあり幼少期から母の愛情に飢えていました。思春期は帰宅するたび男性陣の怒鳴りやひどい時は母を殴ったり。このときは母を守らなくちゃと思って立ち振る舞いをしていました。でも母からは愛されず死にたい気持ちがあったりと揺らいでいました。
実家に残した母を不安に思いつつも、大学で地元を離れ一人暮らしをして実家の異常さを思い知り、普通の生活を手に入れました。今でも特定の金属音や男性が腕を上げると身体が勝手に反応します。
その後も電話や帰省時に精神的にも身体的にもダメージのあることが続きました。
それとは別で母が私名義のものを管理していて、さすがに私も働き始めて支障が出てきたにも関わらず管理をこちらに譲らないため難儀していました。
段々愛情が欲しかった母にも疑念が生じ始めて、決定的だったのが帰省時に兄が私を殴ったときの、母は兄を恐れているため保身をする発言でした。兄>母>私なんですね。それがありありとわかりました。
それからもう帰省をしないことを決めました。

自分の安心できる環境とは

「実家の知らないところに住むこと」
「私名義のものをちゃんと手元に置くこと」

まず引っ越しをしました。
住民票を移す際に「住民基本台帳事務における支援措置」をお願いしました。
都道府県によって順序が異なるようですが、私の場合は住民票を移す前に、家庭支援総合センターに予約を取りどのようなことがあったのか聞いてもらい家庭内暴力があったと認定されました。その報告を役所と共有してくれるので後日住民票を移すのと同時に支援措置をしてもらいました。
これで私の住民票の写しから住所がバレることはなくなりました。
注意事項としては1年更新ですのでこの工程を1年に1回することです。なかなかハード。

私名義のものの管理については、弁護士にお願いしました。探すにも勝手がわからず知り合いから紹介してもらいました。
事務的に物事が進みとても安心してできました。
最後に弁護士さん越しに質問した事柄については回答が得られず、心底ガッカリしました。何も言わないということは肯定と同意義だったので。

ここまでが去年の秋から今年の夏の話でした。
その後私の本格的な休息をとれるようになりました。

本格的な休息

最初はとにかく生活をすることでした。
起きて活動して寝る。それの繰り返しでした。
できるときはゲームしたりイラスト描いたり、ちょこっと仕事関連のことをしたり。無理はしない。
以前の私と違うことは、睡眠(寝つきが悪い・悪夢をよく見たり等)と自炊ができなくなったことです。
睡眠は薬で調整中で、自炊はスーパーへ行って何も買ってこれない程なので同居人にお願いしています。
できることだけして生きさせてもらってます。
「自分の安心できる環境」をつくることは危険と隣り合わせだったので希死念慮も自傷もしましたが段々落ち着いてきて、最近は一歩手前で堪えられるようになりました。
それと職場の同僚や友人と会っていました。元々は人好きな人間なので休職中に会った友人だけで10人超えました。
人間不信になっていたので会ってくれる人がいること、また会って話すことで自信に繋がりました。ありがとう。

これからどう生きるか

最近になってやっと双極性障害の人はlowで過ごすのが目標だと言われてたことに納得できてきました。守るぞ!気を配るぞ!と思う自分は少し封印します。
また、これからの自分はメンタルを壊す前の自分とは違う人間だということも腑に落ちてきました。これからは、自分の波を乗りこなすことを目標にして無理はしないで過ごしていこうと思います。

ちょうど中学生の私がどうしようもなくなって某知恵袋に質問したページがまだ残っていました。
やるせなさが伝わってきますね。今日はこれを掘り起こしてしまったため色んな感情が出てきて眠れずもう早朝です。
中学生の私には、世界がそこだけじゃないことともっと自分勝手に生きていいんだよと伝えたいです。過激な反抗期にだってなってもよかったとすら思います。

本当はもっともっと憎しみや悲しみがあったのですがあえてフラットを意識して書いてみました。

わたしはこれから育ち直します。ではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?