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親へのネガティブな解釈を消化できたとき大人になる

こんにちは、"_dawn_"です。
私の投稿に興味を持ってくださり、ありがとうございます。今回は、私が「自分も少しは大人になったのかもな」と思える体験をくれた一冊『甘えの構造』をご紹介します。この一冊を通して、私は親に対するネガティブな感情を自分なりに消化することができました。


そもそも「甘える」とは何か?

著者の土居氏は、「甘える」という心理動作を以下のように説明します。

『甘え』は親しい二者関係を前提とし、相手が自分に対し好意をもっていることがわかっていて、それにふさわしく振る舞うことが『甘える』ことなのである。今日的な『甘やかし』『甘ったれ』とは、似て非なるもの。

『甘えの構造』土居 健郎 著

幼児が生まれて初めて密に接する他者、それが親です。特に母親。その母親に対して幼児は精神的に一体化しようとします。その気の動きが「甘え」の起源とされています。相手からの好意を前提に、それに応えようと振舞うことで幸福感を感じるのです。それを念頭に置くと、「甘える」とは「自分を受け入れて欲しい!その人と精神的に密着したい!」という欲求と言えます。

上記から、「人を好きになる」ことの根源には「甘え」があり、大なり小なりの幼児性があると言えます。つまり、「甘え」の本質は「自分と相手の精神的な繋がりを欲すること」なのです。

本書では、自分の好意が相手に受け入れられることで幸福を感じ、そういった体験を幼少期に十分感じることで、自己と他者の境界を理解し、自立できるとも記されています。私はこの幼少期の「気の動き」をめぐって、過去の体験を再解釈することとなります。その一つが、父親に対する心理でした。

「拗ねる」という歪んだ解釈

評価者のような父親像

私の父親は裁判所の職員で、真面目や勤勉を擬人化したような人物でした。私が幼少の頃からずっと「本を読みない」「勉強しなさい」と繰り返していました。

そんな父親に対し、私はある出来事がキッカケで決定的に反感を持つようになります。それは小学校受験のときのこと。父親にみっちり付き添われ勉強して臨んだ結果、私は試験に落ちます。このとき、父親から受けた叱責が、私の心の中で大きく後を引くことになります。

というのも、学力試験の後に親子合同での面談があったのですが、これが父親にとって大きな不満だったのです。原因は、私が「好きな食べ物は何ですか?」と聞かれた際、「全部です!」とズレた応答をしたことです。自分自身、当時は言語化できていませんでしたが、子どもながらに嫌いな食べ物がない良い子を演じようとしていたと思います。ですが、家に帰るなり、父親から「なんでふざけたんだ!」と強く問い詰められました。一方大真面目の私は、何が良くなかったのか理解もできず、自分の意図も上手く説明できず、ただただ「怖い、嫌だ、苦しい」と感じていました。思えばこの調子では、学力試験も合格点に至っていたとは到底思えませんが、とにかくこの一件が私の中で記憶に色濃く残ったのです。

その後、私は近所の小学校に通い始めると、父親は年単位で遠方へ単身赴任することとなり、私が学生の間は、父親は家にいない期間の方が長くなりました。当時の私にとっては好都合でしたが、たまに父が帰ってくると「成績はどうなんだ」「直近のテストは何点だった」と聞かれることを疎ましく感じ、ずっと「父は息子のスペックを評価するだけで、私自身には興味がないのだ」と思っていました。また、折に触れて投げかけられる「お前にはわからないと思うけど、お父さんの言うことを聞いていれば将来大丈夫だから」という言葉にも、息苦しさを感じていました。

最初の解釈:甘えられず拗ねる自分

そんなこんなで、私は学生時代を父親を避けて過ごし続けます。そもそも父はほとんど家にいなかったですし、同居していても私が起きる頃には職場に出かけ、帰りは帰りでほとんど私が自室で寝る時間でした。週末も、「成績は?勉強は?どうなんだ?」と声をかけられるのが煩わしく、私は私で、できるだけ顔を合わせないようにしていました。

時は経ち、大学生の時に『甘えの構造』を読みます。そして、私は「自分は幼少期に甘える体験をさせてもらえなかった」と考え、「甘え」を成就させてもらえなかったことが自分の内面を形成していると解釈しました。

当時、私は周囲の人間関係において、人から評価されることや失敗し恥ずかしい思いをすることを過度に恐れていました。そして、それをコンプレックスにも感じていました。そうした自己の内面の問題を、親のせいにしていたのです。父親に甘えたい気持ちを消化させてもらえなかったという解釈であり、本書で言うところの「甘えを成就できず拗ねる」状態です。

当時の解釈:自分の好意を受け取ってくれないように見えた父親

そんな拗れた思い込みは、成人して親元を離れた頃にはすっかり忘れかけていたのですが、28歳の頃に転機を迎えます。

解釈が変わった瞬間

そんな私の思い込みが変わったのは、祖父、つまり父親自身の父親が他界し、法事で三重県に赴いたのがキッカケでした。
思えばこれまで、父の故郷に行ったことはありませんでした。母方の実家の北海道へは毎年のように遊びに行っていたのに。私自身も、父親に苦手意識をもっていたこともあり、「息子って実家とかあまり帰らないものなのかな」という程度で、これまで特に関心を向けてきませんでした。
淡々と済まされていく法事、父親自身も特別に悲嘆に暮れる様子もありませんでした。そんな中、母親からこっそりと意外なことを教えてもらったのです。

父親の知られざる境遇

なんでも、亡くなった父方の祖父は大層気難しい人柄だったようで、父親自身も苦手意識を持っていたとのこと。父は、子どもの頃からあまり積極的に親とコミュニケーションを取らず、とにかく本を読み、勉強し、何事も自分の中で処理しようと振舞い育ってきたと。それが理由かどうかわかりませんが、私の母と結婚した後も家族の顔を見せる機会はあえてつくらずにいたようです。

そのことを聞いて、私の父親に対する見方が大きく変わりました。父は、本を読み、勉強し、自分なりのやり方で人生の課題に取り組んできたのではないかと。そして、私に「勉強しろ」「本を読め」と口酸っぱく言っていたのも、自分自身の経験に基づき、父の表現できる形で人生において重要な事柄を伝えていたのではないかと、そう解釈できるようになったのです。

解釈の変化:好意を受け取れていなかったのは自分

私は、この心境の変化で、なにか閊えていたものがスッと取れるような気がしました。父親を少しだけ理解できたような気がしたのです。
つまり、父親の私への好意はずっと前から向けられていて、それを私が受け取れていなかっただけのだと。そして、この心境の変化が、『甘えの構造』という一冊の本を介して起きたことも、そして私自身も悶々と考えてこの解釈に行き着いたことも、本を読み学び、人生を歩んできた父親の生き方との奇妙な一致を感じ、感情が動く体験となりました。ようやく父親の好意に気付き、受け止めることができたと。自分なりに「甘え」が成就したと解釈できたのです。

新しい解釈:父親の好意を受け取れていなかったのは自分

このことに関して、父親が実際何を思っていたのか、答え合わせするのはなんだか野暮な気がして、未だにこの心境の変化について話したことはありません。ですが、たまに実家に帰ると、子供の頃よりずっと父親との会話は増えましたし、ワイン好きの父親との晩酌は心地よいと感じます。

他者を発見して自立する

「甘える」という心理動作は、しばしば「拗ねる」「執着する」といった状態に繋がり、その方が目につきやすく、悪いものと捉えられがちです。ですが、著者の土居氏は、「甘える」ことは、そういった歪んだ心理とは別の、本質的には良いものという立場を取っています。

相手からの好意を前提に、それに応えようと振舞うことで幸福感を感じる。このプロセスは、親子兄弟・夫婦恋人・友人や師弟…と、あらゆる人間関係において成立するからです。それらのひとつひとつが、感情の動きを体験できる貴重なものなのです。

ただ、注意すべきは、あくまでどの関係性においても、自己と他者はそれぞれ自立した個であり、一方的に「甘える」という気の動きを押し付けてしまうと、その「甘え」は破綻してしまうということです。私は父親との関係性において、甘えさせてもらえないという一方的な「拗ねる」解釈により、自立した個としての人間関係を築けずにいました。そこから、相手の中にある好意を解釈できたことで、それを受け取ることができました。独立した他者同士として初めて「甘える」が成立したと考えています。「自分もちょっとだけ大人になったかもな」と。

この変化をくれた『甘えの構造』は、私にとって思い入れのある一冊です。また、本書は「甘える」という独特の心理動作を、様々な視点から解剖している点でも興味深い一冊です。この記事をキッカケに気になった方は、ぜひ手に取ってみてください。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
また、別の投稿でお会いできたら嬉しいです。ではまた!

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