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インド料理のこと1 インドにおける国家建設と「インド料理」を読んで


北インド・デリーで深夜に食べたベジターリー


何度かインドを旅行して、東インドのコルカタや北インドのデリー、南西のケーララあるいは南東のチェンナイなど、各地の料理を食べた後に、こんなバラエティ豊富な料理を一言でインド料理とまとめることができるのかと疑問が浮かびました。

そこで「インド料理」を国民料理としての視点からみた小論が掲載されている本があったため読んでみました。

本はタイトルでもある『「国民料理」の形成』といった観点から、フランス料理、アメリカ料理、地中海料理などをテーマにした小論を食の文化史の研究者が寄稿しています。

インド料理は、井坂理穂氏(大学院総合文化研究科地域文化研究専攻教授)が、インドにおける国家建設と「インド料理」という題で寄稿されています。

著者は冒頭で、「地域や宗教などさまざまな背景をもった異なる食の選択をする人びとがいるインド社会において、地域や社会集団の違いを越えて共通する「インド料理」の有様を描くのは難しい」といいます[1]。

小論では、大きく国民料理としてのインド料理について大きく3つのことがあげられています。

1.「インド料理」概念は、インドの国家建設の過程を反映しながら、その多様性を繰り返し強調するかたちで形成されている。

2.近年、ヒンドゥーナショナリズムを掲げる政治勢力のもとで、インドの国家・国民像を再構築する試みが進められ、それに対応して「インド料理」のあり方にも一定の方向づけが試みられている。

3.インド国内外の外食産業や料理書の世界での動向にみられるように、「インド料理」の「つきることのない」多様性をより一層強調する動きも活発化している。

(井坂2019)

この中で、特に2の内容が昨今のインド料理を取り巻く状況として興味深いと感じたので紹介していきます。

インドではヒンドゥー信者が多数派ですが、昨今はヒンドゥー・ナショナリズム勢力が展開している牛肉食への激しい批判や、政府や強力な政治勢力のもとで、特定の家庭的な菜食料理が「インド」を象徴するものとして、また優れた健康食として推奨される動きがみられるといいます。それらのイメージが国民料理としての「インド料理」を形成する可能性に言及しています。

日本人の自分からみれば日本に比べてインドは菜食料理が多く、しかも美味しいので菜食がインド料理を形成する一側面であるとも思います。ただ、政府や強力な政治勢力による菜食料理や菜食主義の称揚がヒンドゥー・ナショナリズムと結びつくことは全く知りませんでした。
菜食料理を国民料理とする動きと、肉食の文化をもつ人々の排除にもつながりうる国の方法性を表すのであれば、食だけではなく宗教間や民族間を含めた根深い問題であり、国家が国民料理を決めるのかという流れで生じる力については、インドに関わらず注意するべきことだと感じました。

この小論では政治的な力によって国民料理の形成される可能性が言及されていますが、そういったある意味で「大きなインド料理」がある一方で、インドを旅した人にとって思い浮かべる「小さなインド料理」があるのかもなと思いました。
自分にとって「小さなインド料理」はバーダーミーで食べたワダやベンガル―ルで食べた北カルナータカのミールスだったり、ベンネドーサです。今、食べたいだけかもしれませんが。

今回はインドが国家とともに国民料理が形成されつつあるという話でした。
次回は、この小論でも参照されているアパデュライとナンディのエッセイを読んでいきたいと思います。

[1] 著者が編者の『食から描くインド』の序文にさらに詳しい「インドの料理」の概要が掲載されています。

参考文献
井坂理穂2019「インド料理における国家建設と「インド料理」」西澤治彦(編)『「国民料理」の形成(食の文化フォーラム,37)』ドメス出版、pp.63-86.

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