見出し画像

真っ赤な紅と、ベリーショートと、私。



最近、

私が屈強な大魔神だったら、
こんなこと無かったのかなと思う出来事に
多々遭遇する。


ちなみに昨日は、
渋谷駅前でフライヤーを配っていたら、
男子大学生くらいの4人組に
「めっちゃファンです!」と声を掛けられ、
その場のノリという名前に包まれた
優しい嘘だと分かりつつも、

先方から話しかけていただいたり、
フライヤーを受け取ってもらえることは
中々大変なことだということは、
経験していくうちに分かったことだったので
「ありがとうございます」と返すと、


いきなり目の前で渡したフライヤーを
噛みちぎられた。

本当に、噛みちぎられた。
口で。


丁度、私の顔の部分と首から下とで
噛みちぎっていたので
「綺麗にちぎって頂いてありがとうございます」
と返すと、男性4人組は私の台詞を反芻した様子で
帰っていった。




自己顕示欲や承認欲求が
モンスターと化し蔓延る今の世の中で、
大きな世界が広がる小さな端末を置いて時々、羽を
宿して何処かへ翔んでいきたい気持ちに駆られる。


先ほどの話の、リアクションは相手方が求めていた反応でないことは分かっているし、
健全なリアクションではないと自分でも思う。


でも割と、少しだけ、もしかすると
そのくらいでは驚かなくなっていたくらい、
いつの間にか色んな場面に
遭遇してしまっていたのかもしれない。


私が自分で自分を想像できないシーンはひとつだけ
今のところ、
母が死んだ時だけだ。母が死んだら、
自分でも自分がどうなるか分からないし、
何をするかも想像付かない。



こっちに長くいると、いつの間にか
自分がサイボーグ化していることに気づいて、
・人間関係は波風を立てないがモットーで
・食べ物の好き嫌いはないから何を選ぶにも
 一番最後でよくて

話の流れは止めないように、時には
真っ白い死装束を着てその場に居ることもあるし、
時には身の丈に合わないピンヒールを履いて靴擦れを隠す。

話し合いも、過半数がそれを良しとしていたら、
?と思う疑問は、自分の中でどうにかこうにか
決定したものに近付けるように調理する。


でも、
やっぱり、


川の斜面で咲いている一輪の
黄色いスイセンは綺麗だし、
サクラの木の幹の下腹部で咲いた蕾も美しく見えて

自分にも、
良いと思うものがあるということに気付く。



消費者がじいちゃんばあちゃんが主な
町の菜花の直売所で、
Ado(さん)の踊が爆音で掛かっていて、母と
「これ、誰のどういう意図の選曲かな」
なんて話してた。

カートを押していると、目の前に「うど」を見つけて、母に教えると、お腹を抱えて笑ってた。

ありがとう、私の大好きな光景だった
本人は気付いてないけどね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?