「2024年8月の名前のない珈琲 El Salvador:透明フリーウェイ」
一目惚れというものは、本当にあるらしい。
実に5回。
わたしは一目惚れをしている。
といっても、それは対ヒトではなく、対イエ。
そう、「家」だ。
社会人になって20年、その間に6回の引越しをしている。
それが多いのか少ないのかはよくわからないけれど、その6回の引越しのうち、しようがなく選んだ初めての家をのぞけば、どの家も、内見した途端に「ビビビッ!」と来るものがあった。
きっと、この感覚は一目惚れと似ているのだと思う。
人によって、家に求めるものは違うだろう。
ちょっとばかり閉所恐怖症気味のわたしにとって、最重要事項は明るい抜け感だ。
玄関から奥の窓、そして、その窓の向こうの景色まで、もうズバーンとした抜け感があれば最高だ。
このズバーンとした抜け感を例えるなら、透明なフリーウェイに近い。
わたしの立っている玄関からその窓の向こうの景色までをつなぐまっすぐで透明なフリーウェイがわたしには見えるのだ。
この抜け感には明るさが付きもので、抜けているということは、たいていの場合、その家の中は明るい。
ちなみに、各部屋に視線を外へ向けられる窓があれば大丈夫。
その家は明るい抜け感が備わっていることが多い。
そう考えると、しようがなく選んだ初めての家も明るい抜け感はちゃんとあったのだけど、いかんせん、建物自体が要塞のようで怖かった。
内見したときに、わたしだけに見えるこの透明フリーウェイが出現すれば、わたしはその家に一目惚れをする。
2024年8月の名前のない珈琲El Salvadorを新しい家の台所で飲みながら、家に対する一目惚れのことを考えていた。
不動産屋で物件の説明を受け、実際に足を運ぶときのドキドキ感は、楽しみもあれば、不安もある。
本当に、自分に合う家が見つかるかしら?
それは、グッと攻めてくるEl Salvadorの苦味とその奥に見え隠れする赤い果実のジューシーな甘酸っぱさに近い。
隠れていた甘酸っぱさに気づいたとき、自分だけがわかる好きなところを見つけてしまう感覚は、内見のときの透明フリーウェイそのものだ。
ありがたいことに、6回目の家にも透明フリーウェイは出現した。
2024年8月の名前のない珈琲はこの名前しかない。
珈琲を飲み終えた珈琲カップを見ながら、わたしは名前のない珈琲の名前に「透明フリーウェイ」と名付けた。