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ACミラン10-11シーズンまとめ①躍動するベルルスコーニ!!監督アッレグリと「ファンタスティック4」

Ciao!ドドン小西です。日本代表のヨーロッパ遠征が始まっていますね。コートジボワールとの対戦もあるとのことで、ケシエが地上波で観ることができるという事実に興奮しています😁また欧州ではUEFAネーションズリーグも開催されており、各国がしのぎを削っています。

しかし、代表ウィーク明けに予定されているインテルとのミラノデルビー前に両チームでコロナ感染者が複数名発生しており、試合が行われるのかどうか・・。イタリア代表U21でも感染者がでており、その中にガッビアが含まれるとか。今のところ、デルビーは開催される様子ですが、果たして・・。また、肘の脱臼から回復が待たれるレビッチですが、間に合うかどうか微妙なところ。ズラタン・イブラヒモビッチがコロナから回復ロマニョーリも復帰し、チームに合流したのはせめてもの明るいニュースでしょう。

ここで移籍に関して簡単に

クロアチアのメッシ」と呼ばれたアレン・ハリロビッチが双方合意の上、契約解除となります。2018年夏にバルセロナBからミランへ。すぐにスタンダード・リエージュへレンタル移籍。その後、ヘーレンフェーンへ。そして今回契約解除とミランでの活躍の機会はありませんでしたが、まだ24歳。確かな技術はもっていますし、なによりまだ若い!フリーとなってしまいますが、今後も頑張ってほしいものです。

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同じく2018年夏にミランに加入したディオゴ・ラクサールセルテックレンタル移籍。昨シーズン後半はトリノへのレンタル移籍もありました。ちなみに昨年開催されたコパ・アメリカでの日本vウルグアイでも左サイドで出場しています。スピードとテクニックに優れた左サイドのスペシャリストで個人的には好きな選手でしたが、テオ・エルナンデスと比較するとどうしても見劣りする状況でした。また、ダロトを獲得したということは、テオの控えとしても構想外なのでしょう。ELで対戦するセルテックへの移籍ですが、ミラン戦以外での健闘を祈ります😉

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10-11シーズンはアッレグリ監督

さて、前置きが長くなるのはいつものことですが、本題にはいります。前回ご紹介した09-10シーズンはレオナルド監督のもとセリエA3位・CLベスト16敗退と満足のいく結果は出せませんでした。

目下、最大のライバルであるインテルに5連覇を許している状況

10-11シーズンに向けて新たに監督を招聘する必要があるのですが、ここでベルルスコーニが動き出します。彼は無名もしくはビッククラブを率いたことのないサッキやザッケローニを抜擢しミランに連れてきました。ある意味大きな賭でしたが、ベルルスコーニはことごとくその賭に勝ってきました

そして、今度はマッシミリアーノ・アッレグリ

サッスオーロをセリエC優勝へ導き、その後カリアリをセリエAで躍進させた若手イタリア人監督(当時43歳)。ミラン就任時のサッキやザッケローニとの共通点が多いですね。今はユヴェントスの監督だったイメージが強いかもしれませんね😰

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ベルルスコーニのファンタスティック4

ベルルスコーニはまだ止まりません。メルカートが幕を閉じようとしていた8月末、2つのビックニュースが続けて飛び込んできます。

当初ミランの補強はとても静かなものでした。ジーダやファヴァッリ(引退)の後釜にGKマルコ・アメーリアやCBマリオ・イェペス(早い段階で移籍が決まっていました)。MFロドニー・ストラッサー、若かりし頃のソクラティス・パパスタトプロス(ミランでは活躍出来ず。後にドルトムントやアーセナルで活躍)、そしてケヴィン・プリンス・ボアテング(次回紹介しますが、当時は無名に近かった)などを獲得し、補強は終わり?と思われていました。

しかし、突如8月28日にバルセロナからズラタン・イブラヒモビッチ(無償レンタル買取OP付)、そしてメルカート最終日8月31日にはマンチェスター・Cからロビーニョ大型補強が発表されます!

ミラニスタは狂喜します。さすが、ベルルスコーニ!と。この二人に関しては彼のポケットマネー😲

ベルルスコーニが久しぶりに大きく動いたことで、シーズン開幕前からミランへの期待が大きく膨らみます。彼が純粋にクラブの強化を企図したものか、選挙に向けての人気取りか・・。当時は政治的に追い込まれていてのことだったのではないかという見方が大勢を占めていました。

イタリアメディアはミランの豪華攻撃陣を「ファンタスティック4」と命名し、大きな期待とともに、この強烈な個性を持ったスターをどのように扱うのかと、アッレグリの手腕にも注目していました。何せ、イブラヒモビッチロナウジーニョロビーニョパトがいますからね。手探りで最適解を見つけようとしていたアッレグリが開幕から序盤にかけてどのような布陣で戦ったのか観てみましょう。

10-11シーズン基本フォーメーション

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シーズンの開幕戦の対レッチェでは、まだズラタンはコンディション面で試合には出られずスタンド観戦。09-10シーズン活躍したボリエッロがズラタンの位置に入ります(彼はその後ローマへ移籍)。レオナルドの遺産とも言える、左ウイングにロナウジーニョを据えるシステムを踏襲したアッレグリ。パトがケガのため離脱した後もしばらくはボアテングやロビーニョを使って、この3トップ(トリデンテ)を維持します。つまり、前回ご紹介したロナウジーニョ・システムを続けるかに見えました。(上記図のシーズン序盤4-3-3)

しかし、アッレグリは2トップ+トップ下(トレクアルティスタ)+3ボランチを駆使してカリアリ時代に成功しています。最初はCL予選にターンオーバー的にこのシステムを採用し、序盤以降は完全に4-3-1-2へ移行していきます。さて、トップ下にロナウジーニョを据え、レジスタの位置にピルロを置きこの二人をガットゥーゾがカバーする布陣に一旦落ち着くかにみえるのですが、ロナウジーニョは精細を欠きます。そもそも運動量が少なく、守備面で期待できないため、苦肉の策として左ウイングにロナウジーニョを置いていた訳ですから。(上記図のシーズン序盤以降4-3-1-2)

さて、ここで意外な(当時は)救世主が現れます。そう、みんな大好きケヴィン・プリンス・ボアテングです。運動量豊富で中盤や3トップの右ウイングもこなし、前線へも積極的に飛び出すスタイルで、徐々に監督とミラニスタの信頼を得るようになっていきます。かくして、シーズン序盤から重宝され、出番を増やしていくわけです。

ここで、簡単にアッレグリの4-3-1-2の特徴を簡単に説明します(私見です。他に戦術的なことを詳しく解説していらっしゃるかたが大勢いますので詳細は調べてね)。

攻撃面では2トップが流動的に動き回り、両サイドにうまくポジションを取ってパスを受け、起点となります。彼らがあけた前線のスペースにトップ下の選手や中盤の選手が飛び込んでいきゴールに迫る、または、そこから2トップのどちらかが再びボールを受けてフィニッシュというかたち。とくにイブラヒモビッチやロビーニョは足下の技術が高いため、パサーとしても機能しました。
守備については中盤は基本的に3ボランチが奔走します(ピルロでは厳しいか?)。もちろんトップ下にも守備(ロナウジーニョでは厳しいか?)は求められます。サイドハーフを置かない分サイドを突かれることはありますが、そこはサイドバックとセンターバックがしっかりとカバー。ましてやミランにはチアゴ・シウヴァとネスタがいますので、最後の局面で相手にシュートを許さない堅いディフェンスで跳ね返す。といったかたちでしょうか。

このように観るとやはり、中盤に求められるものはハードワークでしょう。そうなってくると選手の起用や序列に変化が生じてきます。アッレグリはベルルスコーニに思惑などお構いなしに勝つために自分の考えをどんどんかたちにしていきます。もちろん、常に怪我人を抱えている状況でもありましたので、試行錯誤もあったのでしょうが、徐々に現状の最適解が見えてきますが、その内容については次回に(長くなるので)

さて、ここで一番大切なことは、そう、選手紹介です

|ズラタン・イブラヒモビッチ 1981.10.3生 SWE
195cm/95kg FW(10~12年・20年~)

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今だ現役を続けるカリスマ伝説、など彼を形容する言葉は枚挙にいとまがありません。所属したチームを次々と優勝に導く優勝請負人。195cmの長身と強靱なフィジカル、繊細なボールタッチ、テクニックを併せ持ち、テコンドー仕込みのアクロバティックなプレーで観客を魅了、時に試合を個の力で決めてしまいます。ピッチ内外での振る舞い・発言も破天荒で(最近はかなり大人になっていらっしゃいますが😁)、華があり世界中に熱狂的なファンがいます。そのすさまじい影響力から、彼の名前にちなんで「ズラタネル(支配する)」という新語が造られスウェーデンの辞書にのっているそうです。
1999年スウェーデンのマルメでデビュー。2001年オランダの名門アヤックスで大活躍
2004年夏にセリエAへ上陸。当時はユヴェントスへ加入するもカルチョ・スキャンダルによってユヴェントスの優勝剥奪・セリエB降格が決まるとあっさりと2006年インテルへ移籍。低迷していたインテル優勝に貢献し、08-09シーズンは得点王にも輝きます。
「もうセリエAでやることはない」と2009年バルセロナへ。加入後すぐに周囲との連携を深め、終わってみれば公式戦21得点と結果は残したものの、シーズン後半は怪我によるコンディションの不調から徐々に調子を落とし、終盤にはベンチスタートも多くなってしまいます。またバルサの「ティキ・タカ」と呼ばれるパスサッカーやメッシを中心とするチーム戦術に自尊心の高い彼が納得出来るはずもなく、当時の監督ペップ・グラウディオラとの確執もあったとのことから1年で退団してしまいます。
そして、2010年8月28日のミランへの加入発表。10-11シーズンについては次回詳しく紹介しますが、スクデット獲得と11-12シーズンは得点王に輝きます。
残念ながら、ミラン財政難の折、2012年にパリ・サンジェルマンへ移籍し、またも大活躍。2016年に再び移籍するまで122試合に出場し113得点と素晴らしい結果を残しています。
そして、自身のTwitterで「王としてやってきて伝説として去る」との言葉を残し、2016年マンチェスター・Uへ。ここでも得点を量産するも、膝の前十字靱帯損傷の大けがを負うことに。7ヶ月という早さで復帰し今後も活躍が期待されたが、2018年に退団。
2018年ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ)へ加入。1試合1得点のペースで得点を量産。いまだ衰えを感じさせないプレーで観客を魅了しました
そして、2019年・・ミランを救うため、再び帰ってくることに😂高いプロ意識と練習といえども負けることを極度に嫌い、自身だけでなくチームメイトにも高い要求をする。プレーもさることながら言葉と態度でチームの意識を行動を変えてしまうカリスマ性を持つリーダーとして、彼が加入した前後ではまるで違うチームに生まれ変わりました。20-21シーズンこそは・・と思わずにはいられないですよね。

追記、20-21シーズンはカンピオナート2位!ズラタン・イブラヒモビッチの契約延長が決まり、21-22シーズンも要として活躍を期待しましょう

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以下、公式HPに掲載されているズラタンの「トリビア」です。一部抜粋して紹介します。(翻訳に自信なし!)#IZBACK: 10 FACTS His record-breaking numbers in Serie A and moreと銘打ってあります。是非ご覧ください。

ミランでの1シーズンでズラタン(2011-12年28得点)よりも多くのゴールを記録したのはグンナー・ノルダール(1949-50年35得点・1950-51年の34得点)のみ。
2010/11シーズンと2011/12シーズン、イブラヒモヴィッチはミラノで85回プレーし、この期間に他のどのチームメイトよりも2倍以上のゴール(56得点)を記録し、より多くのアシスト(21)を記録。

ミランが(勝点3制度になって以降で)勝点80を獲得した4シーズンのうち2シーズンはズラタンが在籍していたとき
ヨーロッパの5大リーグで、ペナルティエリア外からのシュートでより多くの得点を奪っているトップ3はズラタンとリオネル・メッシ(78得点)とクリスティアーノ・ロナウド(60得点)。
ズラタンはチャンピオンズリーグ(アヤックス、ユベントス、インテル、バルセロナ、ACミラン、パリ・サンジェルマン)に6チームで出場し、得点を挙げている。

さてと。今回はここまでです。

読み返すと途中からズラタンのことしか書いていないですね

とりあえず、次回はいよいよアッレグリの元でタレント達が躍動します。スクデット獲得までの道のりまだ紹介していない選手達(+冬加入の選手)をご紹介したいと思います。これからもお付き合いください。では、また。

Forza Milan❗❗

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