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ACミラン14-15シーズンまとめ!スーペル・ピッポの手腕は如何に!?名門再建の重圧・・クラブ上層部の混迷
Ciao❗ドドン小西です。
13-14シーズンを8位で終えたミラン。終盤調子を上げていたかに見えたミランでしたが、クラブのレジェンドであるセードルフを解任し、またもレジェンドであるフィリポ・インザーギをプリマヴェーラの監督から昇格させます。監督業3年目のピッポの手腕は如何に?
14-15移籍市場
夏の移籍市場では主にフェルナンド・トーレス(チェルシーからローン)やジェレミー・メネズ、アレックス(PSGからフリー)、ディエゴ・ロペス(レアル・マドリーからフリー)らの名のあるベテラン勢をローコストで獲得します。
更にマーケット閉幕直前にアタランタから€7Mでジャコモ・ボナベントゥーラを獲得。
逆にマリオ・バロテッリを€20Mでリヴァプールへ売却するなど支出を抑えて、堅実に良い選手を集めようと試みました。
冬にはスソをリヴァプールからフリーで獲得しつつ、トーレスを完全移籍で獲得しそのままアトレティコ・マドリーに貸し出します。
14-15シーズン基本スカッド
さて、ピッポ・ミランですが、プリマヴェーラの監督時に多用した4-3-3が基本フォーメーションとなります。
プレシーズンの北米ツアーでは不振を極めたチームでしたが、、
開幕からラツィオ、パルマを破り2連勝❗
その後、ユーヴェに惜しくも敗れますが、14年末までは16戦6勝7分3敗の7位と混乱のなかでも健闘します。
しかし、年が明けてからは坂を転がり落ちるように順位は下降線をたどっていきます。
序盤戦はエル・シャーラウィとメネズを中心としたハイプレスからの速攻。中央のメネズがフリーランニングで空けたスペースに、エル・シャーラウィや本田が入り込みフィニッシュに絡むことで、速く組織的な攻撃ができていました。
しかし、エル・シャーラウィの怪我による離脱で一気に瓦解します。トーレスがあまりにもフィットしなかったことも予想外でした。
インザーギもメンバーを入れ替えたり、フォーメーションを変えたり様々手を尽くしますが、結局立て直し出来ず。。ミラノデルビーこそ意地の2戦ドローに持ち込みましたが、なんとカンピオナート10位という散々な結果を残し、解任となってしまいます。
14-15シーズンカンピオナート結果
終わってみればユヴェントスの4連覇。負けない。安定して強い。2位以下を引き離し独走。それにしても例年になく、引き分けの多いシーズンで2位のローマは13分😲
ミラン凋落の原因とはなんなのか?
ズバリ、、「お金の問題」です
1986年、ミラネッロにヘリコプターで現れた救世主ベルルスコーニ。しかし、実業家としても政治家としてもカルチョにお金をかけていられなくなりました。
実業家としてはかつてのメディア王もインターネット時代の到来とともに資金力は低下し、政治家としては趣味ともいえるカルチョに湯水のように金を使うことは自身の支持を失うことにも繋がりかねない・・といった状況に陥っていました。
更にはミランの運営を完全に任せていた盟友ガッリアーニとバルバラ(2番目の妻との長女)の確執とそれによる失策も問題を複雑化していました。選手の獲得や監督人事での対立でチームは振り回されます。
バルバラについてはパトとの交際によって彼の売り時を逸してしまう、ガッリアーニはバルバラの反対を押し切り、セードルフを解任、インザーギを監督に就任させるetc...
選手にお金をかけなくなる、フロントが対立する。このような状況でチームがうまくいくはずはなく、ミランの凋落は自明の理といったところでしょう
左からバルバラ、ガッリアーニ、インザーギ
さてさて、以下、選手紹介です
|ジェレミー・メネズ
1987.5.7生 FRA182cm/73kg
FW(14~16年)
幼い頃から成績が良く、会計士を目指していたことも。ユース時代からマンチェスター・Uが関心を寄せるなど、その才能はすでにヨーロッパで注目されていました。2004年ソショーでプロデビューを果たすとリーグ1最年少ハットトリックを記録。その後モナコ、ローマ、パリ・サンジェルマンを渡り歩き、アレックスとともにミランへフリーで加入(同じフランス代表でローマでも一緒にプレーしたメクセスと仲良し)。ウインガーやトップ下としてのプレーが多かったものの、ミランでは主にトップで起用され、インザーギ監督からは偽9番として大きな期待をを寄せられます。ゲームメイクやスペースメイク、エル・シャーラウィや本田が彼を追い越し、ポジションチェンジを繰り返しながら、自らもゴールを量産。エゴイスティックな一面を批判されることもありましたが、移籍初年度は33試合16得点とミランを牽引。翌シーズンは怪我でほぼシーズンを棒に振ることになり、06年にボルドーへ移籍すると、アンタルヤスポル(トルコ)、クラブ・アメリカ(メキシコ)、パリFCへ。そして、20年6月セリエBのレッジーナへ移籍し活躍中です。イタリアではファンとバーで喧嘩になったり、コッパ・イタリア試合後、帰宅途中に車へ投石されるなど散々な目に遭遇。それでも4年ぶりにイタリア復帰。頑張ってほしいものです。
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|フェルナンド・トーレス
1984.3.20生 ESP
186cm/78kg FW(14~15年)
サッカー界のスーパースターのひとり。誰もが知っているトーレスはアトレティコ・マドリードでキャリアをスタート。01年にトップデビューを果たし、リーガ・エスパニョーラ174試合に出場して75ゴールを記録。07年リバプールに加入した際はクラブ記録の移籍金が話題に。11年1月には5000万ポンドのプレミア記録の移籍金でチェルシーに加入し、史上最も高価なスペイン人選手となりました。チェルシーではFAカップとUEFAチャンピオンズリーグで優勝しました。翌シーズン12-13シーズンのUEFAヨーロッパリーグ決勝でゴールを決め、チェルシーの初優勝に貢献。スペイン代表としては03年にポルトガル戦でデビュー。以来100試合以上に出場しており、スペイン歴代3位の得点を誇ります。Euro2004、2006年W杯、Euro2008、2010年W杯、Euro2012、2014年W杯に出場。トーレスはEuro2008とEuro2012の決勝で得点を記録。08年は優勝を決めるゴール、12年にはゴールデンブーツを獲得するなど、長々と説明しましたが、何が言いたいか。そう。サガン鳥栖にトーレスがやってきました😲最初は完全によくあるとばし記事だと思って信じてはいませんでしたが本当にやってきます。スタジアムで生トーレスを観たときは息子と2人で大興奮しました。とにかくカッコイイ・・
ミランではフィットせずうまくいきませんでしたが、日本にサガン鳥栖に来てくれたことに感謝です。ありがトーレス❗お疲れ様でした。
駅前スタジアムにて。試合後挨拶に来てくれたトーレスら選手達をパシャリ(この試合は川崎に負けてしまいました・・)
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|ジャコモ・ボナベントゥーラ
1989.8.22生 ITA180cm/75kg
MF・FW(14~20年)
08年5月4日にアタランタでリヴォルノ戦でデビュー。7年活躍したアタランタからミランへ引き抜かれます。ミランでのデビュー戦では本田からのパスでゴールを記録します。類い希なテクニックとウイングや中盤でもプレー可能なユーティリティー性、強烈なミドルシュート、正確なプレースキック、左右から繰り出す正確なパスを備えた攻撃における万能型選手です。ミランにおいては暗黒期を支え続けた苦労人のひとりであり、監督がコロコロ変わる中で彼だけは計算できる数少ない選手として重宝されました。18-19は膝の怪我による長期離脱。2019-20シーズンの2019年9月26日、11ヶ月ぶり出場を果たし、19年11月23日ナポリ戦で2018年10月7日以来のゴールを決めました。しかし、19-20シーズン以降、契約延長されずフリーで放出されます。ミランが若手路線へ舵を切ったことやテクニシャンタイプの彼の居場所がなくなってしまったことが大きな要因でしょうか。彼にとっての最後の試合カリアリ戦終了後、サン・シーロのピッチにひとり姿をあらわし、静寂の中で涙を流す背中を私はずっと忘れないでしょう。20-21シーズンはフィオレンティーナで活躍中です。個人的にはすごく好きな選手なのでこれからも追いかけていきたいと思います。
Forza Jack❗️
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|アレックス 1982.6.17生 BRA
188cm/92kg
DF(14~16年)
ブラジルの名門サントスからオランダのPSVを経て、チェルシーへステップアップ。PSGとの契約満了でフリーとなりミランに加入します。ミラン加入時はすでに30歳を超えていたこともあり、懐疑的な声も聞かれましたが、クラブはPSV時代から彼の獲得を熱望しており、チェルシーやPSGで彼を指導したアンチェロッティのお気に入り。実際、大型のセンターバックとして特に空中戦で無類の強さを発揮しました。背番号は元チームメイトであり、セレソンでもコンビを組んだこともあるチアゴ・シウヴァにならって33番を選択。また、セットプレーからの得点や強烈なロングシュートも彼の魅力でした。膝の故障を抱えており16年ミランで引退を決断。
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|ディエゴ・ロペス 1981.11.3生 ESP
196cm/87kg
GK(14~16年)
レアル・マドリーからやってきた元スペイン代表のGK。最初に彼がレアル・マドリーに加入した際はあのカシージャスがゴールマウスに君臨していたため、ほとんど出番は無く、主にビジャ・レアルで活躍。13年カシージャスの長期離脱の際にレアル・マドリーに呼び戻され、カシージャスが復帰してもシーズン終了まで正GKの座を守ります。が、結局放出され、アンチェロッティの後押しもありフリーでミランに加入。「CL王者レアル・マドリーからやってくる欧州最高のGK」として大いに期待されます。ラツィオ戦でのPKストップなど印象に残るシーンもありましたが、15-16シーズンはシニシャ・ミハイロヴィッチがシーズン早々に16歳のジャンルイジ・ドンナルンマを抜擢したことによって序列が下がってしまします。そして16年8月、再びラ・リーガへ。エスパニョールに去っていきます。現在2部のエスパニョールですが、彼は39歳になったいまも正GKとして活躍中です。
今回はここまで。
10-11シーズンを最後に混乱・迷走を続けるミラン。次回は15-16シーズンをおさらいしていきます。乞うご期待。。
さて、先週2021.3.19のマンチェスター・U戦は0-1と惜敗。残念ながらEL敗退となってしまいました。
ある意味、20-21シーズンはカンピオナートに全力投球出来るとも言えます。首位インテルとの差は開き、3位ユヴェントスは背後に迫っていますが、CL圏内はもちろんスクデット獲得もまだまだ視野に入っていますから頑張って応援していきましょう。
それではまた。
Forza Milan🔴⚫🔥
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