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ACミラン18-19シーズンまとめ!チャイナからアメリカ資本へ!中長期的目線で「名門復活」を目指す

Ciao!ドドン小西です。東京オリンピック閉幕しましたね。サガンティーノとしては林大地選手の献身&献身的なプレーを観るのがとても嬉しかったものの、日本代表がメダルを逃したことが正直残念です。
あと、メッシのバルセロナ退団とパリ・サンジェルマンへの加入!常にエンターテイメント(喜怒哀楽・悲喜交々)を我々に提供してくれるサッカーは素晴らしいスポーツです(色々な意味で)。

では、早速18-19シーズンをおさらいしていきます。

ミランは借金のカタに。中国資本からアメリカ資本へ

2018年7月10日、オーナーである李永紅(ヨン・ホンリー)はアメリカのヘッジファンドからの借入金3億3000万ユーロの内、3200万ユーロの分割払い分を期限内に返済出来ず、期限の利益を失い、その「借金のカタ」としてACミランの経営権がエリオット・マネジメント・コーポレーションに移ることになります。いとも簡単にチャイナ・ミランは崩壊します。FFP問題を尻目に終盤のベルルスコーニ体制下や中国資本下で巨額の投資を行うも、まったくうまくいかずボロボロになったかつての名門・ACミラン。そのタイミングでアメリカのヘッジファンドが経営権を握る。「無理な投資はせず、有望な若手を安価で獲得もしくは育成・売却し、中長期的にCL復帰と財政健全化を目指す」そうしてクラブの価値を高めて転売する。一気にビジネスライクな路線変更となります。

スカローニ会長

新会長はパオロ・スカローニさん(上写真左)。そしてクラブのレジェンドであったレオナルドがスポーツディレクターに就任すると、「Grande Milan」パオロ・マルディーニがスポーツ部門の戦略開発ディレクターとして9年ぶりにミランに戻ってきます。CEOには以前にアーセナルで10年以上CEO等を務めていた(色々言われていましたが・・)イヴァン・ガジディスが就任(2018.12.1付)。結論から言えば、カンピオナートは5位。この結果を受け、2019年5月28日、レオナルドSD(下の写真右)とガットゥーゾ(下の写真左)は辞任を発表します。ガットゥーゾは約550万ユーロの給与を受け取らず、クラブに寄付する男気を発揮し去って行きます

リーノとレオナルド

その後、2019年6月14日にマルディーニはテクニカルディレクター(TD)に昇格、同日にクラブのレジェンド、ズヴォニミール・ボバンがチーフ・フットボール・オフィサー(CFO)に就任し、チームの強化を任せられることになります。

ボバンとマルディーニ

18-19シーズン・夏移籍市場

加入
ペペ・レイナ
(ナポリ)
アレン・ハリロヴィッチ
(ハンブルグ)
マッティア カルダーラ
(ユヴェントス)
ディエゴ・ラクサール
(ジェノア)
サム・カスティジェホ
(ビジャ・レアル)
ゴンサロ・イグアイン
(ユヴェントス・買取OP付ローン)
ティエム・バカヨコ
(チェルシー・買取OP付ローン)
アレッサンドロ・プリッツァーリ
(テルナーナからローンバック)
など・・
放出
レオナルド・ボヌッチ
(ユヴェントスへ)
ニコラ・カリニッチ
(アトレティコ・マドリーへ)
ジャンルカ・ラパドゥーラ
(ジェノアへ)
カルロス・バッカ
(ビジャ・レアルへ)
ルカ・アントネッリ
(エンポリへ)
マヌエル・ロカテッリ
(サッスオーロへ買取義務付ローンで放出)
アンドレ・シウヴァ
(フランクフルトへ買取OP付ローンで放出)
など・・

18-19シーズン・冬移籍市場

加入
ルーカス・パケタ
(フラメンゴ)
クシシュトフ・ピョンテク
(ジェノア)
放出
アレン・ハリロヴィッチ
(スタンダード リエージュへ買取OP付ローンで放出)
ゴンサロ・イグアイン
(ローン終了によりユヴェントスへ) 
など・・

イグアインの獲得(ローン)には期待感がありましたが、機能せず。「クロアチアのメッシ」と言われたアレン・ハリロヴィッチの将来に期待もしましたが、まったく芽が出ず、ローンを繰り返し、最終的に契約満了で放出。
ボヌッチは前回お話しした通り(前回の記事をみてね)
https://note.com/_calcio1899/n/n9644bff83442
あとは、ロカテッリの放出。これ今でも悔やんでも悔やみきれない・・。
まぁしかし、冬の移籍市場でやってくるルーカス・パケタクシシュトフ・ピョンテク、そして前半戦振るわなかったバカヨコがミランの後半戦を盛り上げてくれます

波乱の船出・大きな不安と小さな期待

さて、期待のイグアイン。序盤戦はスソのクロスをエリア内でゴールにたたき込むなど、ミランに本格的なCFがやってきたと期待しましたが、最終的にカンピオナート22試合6得点。冬にローン期間満了でユヴェントスへ送り返されます。ガットゥーゾ・ミランのベストメンバーは以下の通り。

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前半戦はとにかく毎試合失点を重ねます。格下相手にも守備のミスやビルドアップが機能せず、途中で奪われ(後ろからつなげない・・と言った方がいいかも)失点を重ね、ジャックやビリアの怪我による、特定の選手の酷使などもあり、なかなか調子の上がらない状況。また、前述したとおり、イグアインは期待を裏切り(ユヴェントス戦での最悪なパフォーマンス)、チャルハノールは絶不調といったありさまでした。
このころはちょこちょこカスティジェホも点とってますね。悪いことばかり書きましたが、2018年最後のSPAL戦はみごと勝利を収め、19節終了時はなんとか5位とまだまだCL出場権を目指せる順位。

そして、冬のメルカート明け。救世主、パケタピョンテクがミランを勝利へと導きます。チョンボの多かったバカヨコも覚醒します。

さて、後半戦。ジェノアから加入したピョンテクは第22節ローマにアウェイでリーグ初ゴールを決めると、その後のカリアリ戦、アタランタ戦、エンポリ戦と連続ゴールなど18試合9得点(リーグのみ)と大活躍。パケタはミランの攻撃において違いを生み出すだけでなく、献身的なプレーも随所に魅せてくれます。バカヨコについては前半戦はなんだったのかと思うほどの安定感を発揮。中盤でのボール奪取から的確に味方にボールを供給、チームにバランスをもたらします。

カンピオナート結果

結果18-19シーズン

年明け20節から27節まで8試合負け無し一時3位まで順位を上げます。しかし28節から34節までの7試合で1勝2分4敗と大ブレーキ(28節ミラノデルビーでの2-3での敗北が痛い、相変わらずユヴェントスにも勝てず)。35節から4連勝と最後巻き返しを図りますが、結局5位フィニッシュ。
18-19シーズンもユヴェントスは安定感抜群の守備で負けない。憎らしいくらいの強さで(第2節からずっと首位)8連覇。

また、16-17シーズンからガスペリーニが指揮を執るアタランタがクラブ創設以来初のCL出場権を獲得します。前半戦一時17位まで低迷しますが、怒濤の追い上げをみせ37節でインテルを逆転し3位。アタランタが一躍ヨーロッパで注目され始めます。

UEFA主催の大会への出場権剥奪

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ミランはシーズン終了後の2019年6月に公式にFFP(ファイナンシャルフェアプレー)違反の結果として2019-2020年のUEFAクラブ大会から除外されることを受け入れ、その決定を受けて順位表で6位に入ったローマがヨーロッパリーグのグループステージに上がり、予備予選進出は7位のトリノとなりました。(ミランは2015年から2017年の間に支出規制に違反していたとしてUEFAから関連の欧州トーナメントに2年間出場禁止措置通告を受けていたが、スポーツ仲裁裁判所に控訴。最終的にはミラン側から1年間の出場停止を申し出た形をとってUEFAと和解)

ミランは公式声明として
「自発的に本件を受け入れ」、クラブをトップに戻すために行動する。我々のファンが来シーズンのヨーロッパ大会にチームが出場するのを見ることができないという事実に悲しみを覚えるかもしれないが、クラブはFFPを認識し、尊重する。クラブは、完全なコンプライアンスへの道筋を築こうとしており、制裁を受け入れる以外に選択肢がないことを認めている。
との見解を示しました。

終盤のベルルスコーニ政権、中国資本の杜撰な財政管理・無茶な投資のツケが回ってきた格好になりますが、個人的には「健全なクラブ運営を行うというフロント経営陣の強い覚悟」が感じられました。

さて、以下、選手紹介です。

|パトリック・クトローネ
1998.1.3生 ITA  
186cm/79kg FW
(17~19年)

クトローネ

クトローネ2

2006年から2017年までをミランの下部組織で過ごし、満を持してトップチームに昇格したミラン生え抜きのCFとして期待を集めます。プリマヴェーラでは67試合出場43得点とミラニスタからの愛を一心に受けて順調にトップまで上り詰めてきました
2017年5月21日、ホームでのボローニャ戦85分にトップデビューを果たします。17-18シーズンはアンドレ・シウヴァとカリニッチの加入により当初レンタルでの出場機会の確保をクラブから提案されるも拒否しチームに残ります。そこで46試合18得点(リーグ28試合10得点)と大活躍し結果を残します。18-19シーズンはイグアインとともにFWの柱として期待されますが、結果を残せず、更にピョンテクの加入とガットゥーゾの4-3-3採用による出場機会の減少や慣れないウイング起用もあり苦しいシーズンになりました。
19-20シーズンはマルコ・ジャンパオロが監督に就任し、4-3-1-2を採用したため、ピョンテクとの2トップが期待されましたが、ジャンパオロはピョンテクとタイプの異なるFWを求めたことやウォルバーハンプトンからの(クラブにとって€18Mの移籍金は)魅力的なオファーがあったこともあり、涙ながらにミランを去ることとなります。多くのミラニスタが生え抜きの若いCFにインザーギを重ね、将来的にNo.9を継承し、ミラン復活の原動力となってほしいと願っていたことでしょう。それほどまでにストライカーとしての嗅覚は抜きん出たモノだったと思います。
しかしウルブズから半年でセリエAのフィオレンティーナにローン移籍後、更にバレンシアへローンもまったく結果を残せていません。今後の去就が注目されます。(戻ってきてもいいんやで)
追記:2021/08/14エンポリへの移籍が決定!

|クシシュトフ・ピョンテク
1995.7.1生 POL  
183cm/77kg FW
(19年1月~20年1月)

ピョンテク

自国ポーランドで頭角を現し、2018年6月8日、セリエAのジェノアへ。コッパ・イタリアのレッチェ戦では開始19分でハットトリックを達成。 8月26日エンポリでセリエAデビューを果たし、試合開始6分でエンポリからゴールを奪うと、7試合連続ゴールを記録。1999年のシェフチェンコ以来、セリエA出場4試合で5ゴールを決めた選手となりました。ジェノアでの18-19シーズン、リーグ19試合13得点(公式戦21試合19得点)と大爆発し、一躍ビッククラブから注目を集めますが、シーズン中の2019年1月23日、€35Mでミランが獲得に成功します。ミラン移籍後すぐにコッパ・イタリアでの2得点など幸先の良いスタートをきり、貴重な得点源として18試合9得点(公式戦21試合11得点)をあげ、18-19シーズン終わってみれば37試合22得点(公式戦42試合30得点)とセリエAを代表するストライカーの一人となります。
そして19-20シーズンには背番号9を身につけ、新たなエースとしてミランに君臨するはずでした・・。が、まったくといっていいほど、得点は生まれず、18試合4得点。2020年1月30日、イブラヒモビッチに押し出されるようにヘルタ・ベルリンに移籍していきます。しかし、彼には気の毒ですが、不調に陥った原因はガットゥーゾからジャンパオロへ監督が替わり、まったく違うチームとなってしまったことと言われています。彼はボックス内で力を発揮する純然たるストライカーであり、ポストプレーやロングボールの起点とはなり得ず、かといってボックスの外から自力でドリブル突破をできるタイプでもないため、どうしようもなかったと。
最終的にミランへの恨み節を残して去っていきますが、間違いなくミランで輝いたストライカーであったと思います。
「入団したばかりの頃、皆から“ボンバー(名ストライカー)”と呼ばれた。ただポーランド語では意味が違っていて、“銃を撃つ者”すなわち“ピストレロ”を意味する。それでガンマンのパフォーマンスを思いついたんだ」と話していた”レヴァンドフスキ2世”がまた活躍することを願っています。

|サム・カスティジェホ
1995.1.18生 ESP  
183cm/67kg FW
(18年~)

サム・カスティジェホ

サム2

スペイン・バルセロナで生まれ。12歳で加入したマラガの下部組織で頭角を現すと2014年8月に19歳の若さでトップデビューし、主力として2014-15シーズンはラ・リーガ34試合1得点5アシストと活躍します。マラガ財政難からビジャレアルへ放出されると、チームの4位フィニッシュとヨーロッパリーグ準決勝進出に貢献する活躍を見せます。そして2018年8月に€21M+(カルロス・バッカ)でやってきます。初年度はスソのバックアップとしてリーグ戦31試合4得点(途中出場23)と役目を果たします。翌シーズンはスソから右ウイングの座を半ば奪い取る活躍を見せ、2020年1月にスソがセビージャに移籍するなかで定位置を確保するかに思えましたが、同時期にミランへ加入したアレクシス・サレマーケルスとのレギュラー争いでは一歩及ばない現状です。
余談ですが、2020年6月9日、ミラノで車に乗っていたところ、スクーターに乗った2人の強盗に遭遇し、顔面に銃を突きつけられ、時計などを奪われたと報道されましたが、無傷ですんだようです。
当初は抜群のスピードと足下のテクニックを併せ持つレフティ、チャンスメイクとゴールに直結する決定的な仕事をする右ウイングとして期待されていましたが、カットインからの左足でのクロスは一定の評価ができるものの、スペインでは得意としていたドリブル突破は激減し、味方を活かすフリーランやスペースへの飛び出し、チャンスメイクなどの点において物足りない感は否めません。SNS界隈では「マッチ棒」などと揶揄され、シェフチェンコなど往年の名選手の背番号7をつけた彼には批判的な見方が大勢を占めますが、個人的には好きな選手で、前線からの自陣深くまで走り回り、味方を助ける献身性には頭が下がります。
2021年8月時点では去就は不透明ですが、続報があればお知らせ・更新します。背番号7が再び輝くことを願っています。

|ルーカス・パケタ
1997.8.27生 BRA  
180cm/72kg MF
(19年1月~20年9月)

パケタ

2007年に10歳でブラジルのフラメンゴ下部組織へ。2016年にトップチームデビューを飾るとレギュラーとして3シーズン活躍、欧州のトップクラブの目にとまります。そしてパリ・サンジェルマンとの激しい獲得競争の末、2019年1月4日移籍金€35Mでミランへ加入します。
「カカー2世」とも呼ばれ、プレースタイルは、レフティーのファンタジスタタイプ。ブラジル人らしい遊び心のあるテクニックとドリブルスキルを持ち、足下が確かなことによる懐の深さからキープ力もあり、フィールドを見渡すかのような長短のパス、強烈なミドルやFKも魅力です。また、献身性も併せ持っており守備面での貢献もできることからフラメンゴやブラジル代表では、トップ下だけでなく、サイドハーフ、セントラルMF、セカンドトップ、偽CFなど様々な役割をこなすことができるとの評判でした。
加入時ミランでは主にインサイドハーフかウイングでの起用が多く、チャルハノールとの流動的なポジションチェンジや正確なパス、積極的に前に運ぶドリブルなど非常に大きなアクセントとしてすぐに欠かせない存在になります。ただ、怪我や出場停止などで佳境を迎える終盤戦に出場できなかったことが悔やまれます。
そして、翌シーズンはジャンパオロに監督が替わり、パケタに求められるものが大きく変化します。このへんはもうピョンテクとある意味同じで、悔やまれる点ですが、ジャンパオロとの確執にまで発展(発端はジャンパオロがパケタに対し、ブラジル人であることを忘れて、遊び心を押さえ、もっとソリッドにプレーすべきと発言したことから)、最終的にはフロント陣を加えた面談でシャンシャンとなった訳です。トップ下での起用時に素晴らしいパフォーマンスを披露することもありましたが、本来の姿は取り戻せず。ジャンパオロ解任後も好不調の波が激しく、チーム事情もあり、2020年9月30日、オリンピック・リヨンへ去っていくことに。リヨンでは一転好調を維持しており、元気に活躍しています。パケタに幸あれ!
ちなみに、リオデジャネイロ北東部に位置するパケタ島の出身であることから選手登録名は「パケタ」です。

|フランク・ケシエ
1996.12.19生 CIV  
183cm/76kg MF
(17年~)

ケシエ

ケシエ3

母国コートジボワールからイタリアに渡り、アタランタの下部組織に加入した2014年。15-16シーズンはチェゼーナ(セリエB)へとレンタル移籍で加入し、プロデビューを果たすと、36試合4得点2アシストと首脳陣を納得させる活躍を見せ、16-17シーズンからアタランタのトップチームに定着します。ガスペリーニの下、セリエAの舞台でも十分通用することを見せつけ、30試合6得点2アシストと、にわかにビッククラブから注目を集めます。そして、2017年6月2日にミランへと加入
もともと、彼は背番号として19を選んだのですが、数週間後に同じくミランに移籍してきたレオナルド・ボヌッ⚫のためにその番号を譲り、ケシエは背番号を79に変更しました。ところが1シーズンで⚫ヌッチが去ったため、改めて19を選択することも可能でしたが、背番号を変更すると自分のシャツを買ってくれたファンに申し訳ないと言う理由で79番を付け続けるナイス・ガイなのです。
ミランデビューシーズンから公式戦54試合と不可欠な存在ではありましたが、決してパフォーマンスが良い訳ではありませんでした。しかし、2019-20シーズン以降、ステファノ・ピオリ監督体制になってからは見違えるようにチームの攻守の要に成長し始めます。
CBとしてのプレー経験を持ち、圧倒的なフィジカルと運動量で中盤でのボール狩りを得意とする選手でしたが、パスの精度や視野の狭さ、展開を読まない強引なドリブル突破など改善点も多い印象でしたが、20-21シーズンは完全に化けたといっても過言ではないでしょう。フィジカルやボール奪取力はそのままに、広範囲のカバーリング、状況判断の向上、パス精度の向上、的確な運ぶドリブル、積極的な裏への飛び出しなどなど、いまではミランの心臓として大車輪の活躍を見せてくれています。更に休まない、怪我しない。こっちが心配になるくらい、長時間高いプレー強度を保ったまま、試合に出場し続ける・・。今後数年ミランを攻守にわたり支える選手になることは間違いないでしょう。(A代表、東京五輪2020でも活躍)
また「プレジデント(大統領)」のニックネームを持つ彼ですが、理由はミラネッロ(練習場)でガジディス(現CEO)の駐車スペースに自身の車を止めたこと。咎められても「なにが問題なの?」と切り返したことで、プレジデントと呼ばれるようになったとか。ロッカールームでもプレジデントとしてズラタンやケアーとともにリーダーシップを発揮しているようです。
今後の更なる活躍に期待ですね。(引き続きPK職人としても期待です

|ルーカス・ビリア
1986.1.30生 ARG  
178cm/72kg MF
(17年~20年)

ビリア

アルゼンチン出身のビリアはAAアルヘンティノス・ジュニアーズで頭角を表し、2004年にプロ契約、チームの昇格に貢献。翌シーズンにはインデペンディエンテへ移籍し、全試合に出場するなど、中盤の要としてプレーします。2006年7月、ベルギーのアンデルレヒトへ加入すると、7シーズン公式戦302試合に出場、4度のベルギーリーグ制覇等に貢献し、キャプテンにも就任しました。そして更に高いレベルでのプレーを臨み、アーセナルノリッジレアル・マドリードインテルからの関心が寄せられる中、2013年7月23日、セリエAのラツィオへの移籍が実現します。
ラツィオでは13年から17年の4シーズン在籍し、公式戦133試合16得点、ここでもキャプテンを任されることもありました。
リヴァプールやマンチェスター・ユナイテッドへの移籍も取り沙汰されるなか、2017年7月ミランにやってきます。加入当初はチームの状況も悪いなか、中盤の底で重宝されますが、なにせ怪我が多い。これはベルギー時代からずっとですが、本当に怪我が多い。18-19シーズンも怪我の影響あり、先発は13試合のみ、バカヨコがファーストチョイスという状況。更に19-20シーズンはイスマエル・ベナセルの加入により更にその立場は弱いモノとなっていきます。伊『Calciomercato』によると「(ベナセルは)ビリアよりもリスクをかけたプレイを選択する傾向にあり、縦への推進力をチームにプラスできる。ビリアが落ち着き、経験、ゆったりとしたテンポとするなら、ベナセルは大胆でフレッシュ、ハイテンポだ。それをピッチで証明している」との批評。結局、ミランとの契約満了後の2020年9月14日、ファティ・カラギュムリュクにフリー移籍していきます。
あのラファエル・ベニテス(レアル・マドリーやインテルの元監督)も大のお気に入りだったというビリア。エル・プリンシピト(スペイン語で「星の王子」)の愛称でアルゼンチン代表でも親しまれました。守備的なMF・プレイメーカーで、中盤でボールを取り戻した後に得点機会を作り出す能力に長けており、テクニック、広い視野、高いパス精度を誇り、エリア外からのミドルシュートも持っており、やFK・PKキッカーでもあります。ミランでは本来の良さが限られた場面でしか発揮出来ず、いぶし銀なビリアの仕事ぶりは好きだっただけに残念です。

|リカルド・ロドリゲス
1992.8.25生 CHE  
182cm/77kg DF・MF
(17年~20年)

リカルド・ロドリゲス

2010年3月21日のスイス・スーパーリーグのチューリッヒで17歳の若さでトプデビューを果たし、2012年1月にはヴォルフスブルクへ19歳でステップアップし、6シーズンを主力として過ごしDFBポカールのタイトルを獲得しています。ヴォルフスブルクでは184試合に出場し、22得点28アシストを記録しており、FKやPKキッカーも務めていました。そのころからスイス代表にも定着しています。
インテル、チェルシー、アーセナル、マンチェスターユナイテッド、レアルマドリーも関心を示す中、2017年6月8日、ミランが獲得に成功します。17-18および18-19シーズンは左SB絶対的レギュラーとして君臨します。しかし、19年夏にテオ・エルナンデスが移籍してくると、一気にレギュラーの座を奪い取られてしまい、19-20シーズン途中、出場機会を求めてPSVへレンタル移籍していきます。その後、トリノへ完全移籍
SBとしては恵まれた体格と果敢な攻撃参加と守備能力を兼ね備え、左サイドからピンポイントのクロスを放り込む、左サイドのスペシャリストと言ったタイプの選手です。その正確な左足はクロスだけでなく、すべてのプレースキックで活かされます。ヴォルフスブルク時代はブンデスリーガ最高のサイドバックとの評価を得るほどでした。
20-21シーズンは怪我で出場機会は限られましたが、トリノの左サイドの主力として活躍しています。

|マテオ・ムサッキオ
1990.8.26生 ARG  
182cm/75kg DF
(17年~20年1月)

ムサッキオ

2006年16歳の時にアルゼンチンの名門リーベル・プレートにてトップデビュー。2009年8月、スペインのビジャレアルに引き抜かれ、当初はBチーム2部で研鑽を積み、2010年2月13日ラ・リーガでのトップデビューを飾ると8シーズンで249試合に出場7得点の活躍を見せ、ビジャレアルの堅守に大きな貢献を果たしたとして、注目されます。そして2017年5月30日、チャイナ・ミラン最初の補強選手としてミランにやってきます。
高さ、スピード、テクニックの三拍子が揃ったCBとして、ベルルスコーニ政権時代からビジャレアルとの交渉を重ねており、一年越しの獲得となったわけです。17-18シーズンこそ、ボヌッチがCBのレギュラーとして君臨していましたが、18-19シーズンはロマニョーリとともに、ミランのCBの地位を確立します。しかし、当初期待されたほどのパフォーマンスを見せることは出来ず、19-20シーズンは怪我での離脱、新たに加入したシモン・ケアーやプリマヴェーラから昇格したガッビアとのポジション争いで不覚を取るなど精彩を欠く状況が続きます。
結局、2021年1月27日ラツィオへ移籍していきます(ルイス・フェリペが足首の負傷で数か月の離脱したことでラツィオが獲得に動く)。しかし、怪我もあり、公式戦5試合のみの出場。ビジャレアル時代も足首の大怪我に見舞われ、なにかと怪我の多いムサッキオ。2021年6月末時点でフリー扱い?公式発表次第、更新します。

|ファビオ・ボリーニ
1991.3.29生 ITA  
180cm/74kg FW・MF他
(17年~20年1月)

ボリーニ

父親の影響でボローニャの熱心なファンであり、2001年9歳でボローニャの下部組織へ加入。2007年にはイタリアを訪れていたチェルシー関係者の目にとまり、16歳でチェルシーのアンダーカテゴリーに所属し、得点王にも輝くなど、ストライカーとして期待を集めますが、トップチームに定着することは出来ず、スウォンジーへレンタル移籍後、パルマへ完全移籍。パルマでは一度も出場すること無く、そのままローマへレンタルされ、11-12シーズンで一定の活躍をみせたため、完全移籍を果たします。(スウォンジーへのレンタル前にパルマとの契約合意があったと代理人が発言。そのままチェルシーとパルマの法廷闘争に発展する事態も・・)
しかし、2012年7月9日、リヴァプールへ完全移籍当時の監督ブレンダン・ロジャーズがチェルシーのアンダーカテゴリーのコーチ時代やスウォンジーでの監督時代に目をかけたボリーニを連れてきた、とのこと。
しかししかし、リヴァプール在籍は12-13シーズンと14-15シーズンのみで13-14シーズンはサンダーランドへレンタル、一旦もどって、結局サンダーランドへ完全移籍します。
そして、やっと、2017年6月30日、ボリーニはミランに買取義務付ローンでやってきます(翌年買い取られます)。加入直後から主力としてプレイ。しかしチームの不調により、シーズン半ばにモンテッラ退任し、ガットゥーゾが監督へ就任すると、1年目は一定の出場機会を得ていましたが、18-19シーズンは出場機会が激減。終盤はルーカス・パケタの怪我や出場停止などで出番が回ってきますが、リーグ戦では途中出場も多く、20試合の出場にとどまります。
本人はガットゥーゾが退任し、ジャンパオロが監督となった際に、手応えを得ていたようですが、2020年1月14日、ヴェローナと19-20シーズンの終わりまでの契約で完全移籍。
2020年12月15日、トルコ1部カラギュムリュクへ移籍。20-21シーズンは20試合9得点と活躍を見せています。なお、元ミランのベルトラッチやルーカス・ビリアも同クラブに所属しています。
若い頃は同世代のなかでも有望な若手イタリア人ストライカーの一人とみなされ期待されましたが、大成せず。勤勉で献身的、泥臭いプレーも厭わない、それでいて足下の技術もあることから、ウイングやインサイドハーフ、時にはサイドバックまで様々な役割を与えられ、黙々と働く姿にある種の感動を覚えずにはいられませんでした。今後はストライカーとして、少しでも長く活躍してほしい選手のひとりです。

以上、主な選手紹介でした。
21-22シーズンの開幕も間近に迫り、移籍市場も8月末までと、日に日にテンションが上がっていく自分がいます。
なんと言ってもCLの舞台に帰ってきたミランをはやく観たいですね。

ミランの歴史を追いかけてやっとここまで来ました
現実に追いついたら何しようかなーと考えていますが、「好きな選手を掘り下げてみる」「ミランFemminile(女子)やプリマヴェーラの紹介」「過去の好きな試合を好き勝手語る」etc..
僕のnoteを読んでくださる皆さん、今後もお付き合いのほど宜しくお願いします。万が一、リクエストがあればお願いします笑・・
それでは。

Forza Milan🔴⚫🔥

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