隅田川、隅田公園、牛嶋神社、2018

画像1 浅草駅で降りて、観光客に混ざりながら隅田公園に向かう。
画像2 牛嶋神社が隅田公園の中にある。もともとは平安時代に別の場所で建立されたが、大正12年の関東大震災で焼失、昭和7年の隅田公園の完成時にここに移転した。
画像3 昭和20年3月9日の夜、日付が変わって10日になった頃、B29の大編隊が東京上空に低空で進入してきた。東京大空襲である。米軍は東京の家屋に耐火性が無いことを研究済みで、B29が搭載していたのは大量の焼夷弾であった。綿密に練られた計画通り東京は火の海となり、多くの人が逃げまどい、焼かれていった。正確な死者の数は誰も知らない。みんな家族が一緒に逃げるから、助からない場合は一家が全滅してしまう。だから実態がわからない。
画像4 多くの死体は仮埋葬された。隅田公園にも多数が埋められ、後年掘り起こされて荼毘に付された。仮埋葬された時点で灰になっていたり、原型を留めてない死体も多かっただろう。きっとこの下にも、まだたくさんの人が眠っている。都内各所から掘り起こされて火葬された105,400体の身元不明の遺骨は、横網町公園の震災納骨堂におさめられている。
画像5 どんなに泣き叫んでも、炎は容赦してくれなかった。強烈な熱に巻かれて、隅田川に飛び込んだ人も多かったそうだ。死体が何層にも重なり、飛び込んだはいいが、上がることができなくて溺れた人も多かったらしい。言問橋あたりは特に酷かったそうだ。海まで流れた死体は誰も数えていない。浦安や大森の海岸にたくさんの死体が打ち上げられたそうだ。東京大空襲は名前は知られているが、今は恐ろしいほどその痕跡を見つけることができない。本当に不思議だ。まるで無かったことにしたいかのようだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?