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2011年3月ヨーロッパで過ごした2週間の記録

2011年3月20日から2週間を、わたしはヨーロッパで過ごしました。
震災直後の日本を離れ、時差約12時間の土地で出会った人々、感じたことなどを、ここに書き残したいと思います。

前述として、このタイミングでヨーロッパに渡った理由ですが、高校で所属していた部活が、2~3年に1度ヨーロッパにて演奏活動を行っていました。この演奏旅行への参加は希望制ですが、部員の半分以上は参加しますし、OB・OGも希望すれば同行できます。2011年、私は大学生でしたが、大学でコンサート制作の勉強をしていたこともあり、現役部員のサポート演奏、会場設営やアテンドなどを行うため参加しました。

10年前の記憶になるので、うろ覚えの部分も多いかもしれません。
それでも忘れないために、伝えるために書き残します。


日本を発ったのは、3月20日でした。

約12時間のフライトを経てドイツ、イタリア、オーストリア、フランスの4か国を回りました。

ヨーロッパ地方は乾燥していると聞いていたし、私たちはコンサートで歌う予定もあったので、全員マスクを付けていました。日本から来た、約100名近くの日本の学生が、です。今となっては目立たなない光景かもしれませんが、当時はきっと異様に見えたのかもしれません。
日本で大きな地震があった10日後に、ヨーロッパでマスクを付けた日本人がたくさんいるわけです。空港で待機中、お店で買い物の際中、街中を徒歩で移動中に、何回も声を掛けられました。

「原発の事故があったから、マスクを付けてるの?」
「こちらでもマスクを付けなければならないくらい、放射能の影響があるの?」

私たちは拙い英語で、こちらでコンサートが控えていて、そこで歌う予定があるから喉のケアのためにマスクを付けていると答えました。ヨーロッパにも、日本の地震のニュースは届いていました。当時のTwitterでは、「Pray for Japan」という言葉が数日間、数週間にわたってトレンドになっているくらいです。知らない人はいない、というくらい私たちが日本人であるとわかれば、声を掛けてくださる方が多かったようにも思えました。


バス移動の際中、街中の景色を眺めていると、日本の国旗が目に入りました。

日本国旗を掲げていたのは、現地の小・中学校と思える建物でした。道路に面した窓ガラスに日本の国旗が貼られていて、そこにはカタカナで「フレンズ」と書かれていました。
何人の日本人が見ているかもわからない外国の街中で、ひっそりとそこにありました。もしかしたら姉妹校が日本にあるのかもしれません。日本人が多く通っているのかもしれません。そこにある理由がわかりませんでしたが、時差約12時間の土地で、日本のことを思ってくれている人がいるんだ、と目頭が熱くなったのを今でも覚えています。

ドイツとフランスでは、ホームステイをしました。
ホストファミリーは日本のこと、日本にいる家族のこと、被災地のこと、たくさんのことを気にかけてくれました。震災当日の話も、被災地で不足している物資もインターネットを借りて調べ、伝えました。私がお世話になったホストファミリーは「日本が今より大変な状況になったら、家族全員連れてここに帰っておいで」と声を掛けてくれて、日本に帰ったら被災地に送ってほしいとフリースジャケット数点と毛布を預かりました。私以外にも、数人の部員が日本のために、と様々な寄付品を預かっていたようです。


コンサートを各国で行った際には、演奏終了後に被災地への募金を募りました。
多くの方が、日本のために募金をしてくださいました。その中でも特に覚えているのが、演奏終了間際、足早にコンサート会場を出られる年配の女性の方です。あまりに急がれていて言葉も早くうまく聞き取れなかったのですが「これを日本のために募金したい」と、50ユーロ札1枚を私に預けられた方がいらっしゃいました。急がれていたけど、お札を私に渡して、受けとった私の手を両手で包んでぎゅっと握ってくれました。痛いほど伝わる、日本を思う気持ちを忘れてはならないと思いました。


震災後、2週間をヨーロッパで過ごしてみて、自分の想像以上の方が日本のことを心配していることを実感しました。こうして10年前の2年間を思い出してみて、それと同時に、自分は海外のことに目を向けられているかな?と思い返すきっかけにもなりました。


3月11日を迎えるたび思うことがたくさんあって、思い出すこともたくさんあるけど、年々忘れていくことも多くなっていて。
忘れちゃいけないことってたくさんあるし、伝えなくちゃいけないこともたくさんある。これからも3月11日を迎えるたび、私はヨーロッパで過ごした2週間のことを誰かに伝えていきたいなと思います。

もう忘れたことも多くて、あまり詳しく書けなかったけど、当時のことを少しでも感じてもらえたら嬉しいです。震災当日も大変な思いはしましたが、それと同じくらいヨーロッパで過ごした日々、受け取った気持ちも大事にしていきたいです。


これが2011年3月ヨーロッパで過ごした2週間の記録。
大好きなモンマルトルの丘からの景色を添えて。

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