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モーツァルト・弦楽五重奏曲 ト短調 KV516、弦楽五重奏曲 ハ長調 KV515


2006年に書いた解説原稿をweb用に加筆修正してみました。モーツァルト・ピアノソナタチクルスのレクチャー原稿を補強するつもりで書いてます。

♦︎弦楽五重奏曲 ト短調 KV516

 この作品が書かれた1787年、親しい人たちの訃報が31歳のモーツァルトを相次いで襲いました。1月には、共に弦楽四重奏を弾いて楽しんだ親友のフォン・ハッツフェルト伯爵が、9月にはもう一人の親友で年少の医師ジークムント・バリザーニが相次いで亡くなります。そして、その間にもう一人、モーツァルトはかけがえのない大きな存在を失うことになります。

3月から病床にあった父・レオポルドが、5月28日、帰らぬ人となったのです。父親の死に先立つ4月4日、モーツァルトは病床の父に宛てて、次のような手紙を書いています(父親に訪れる死を予感したかのようなこの手紙は、モーツァルトの当時の死生観が率直に表明されていることでも有名です)。


『死はぼくたちの生の最的目的です。ぼくはこの数年来、死と大変親しくなっています。そのため、死はぼくにとって単に恐ろしいものではないばかりか、まったく心を安らかにして、慰めてくれるものなのです。』


モーツァルトにとって、父親は絶対的な存在でした。強い父親と抑圧される息子という図式はフロイト理論の基本ですが、実際、長期にわたる父親の強い愛情と支配が、息子にとって大きなストレスになっていたことは間違いないでしょう。1787年の春から夏にかけて、ちょうど父レオポルドの死をはさんだ時期、モーツァルトはオペラ「ドン・ジョヴァンニ」KV542の作曲を進めていました。

父殺しとその懲罰を内容とする、死の匂いが充満した作品を書いていたのは、偶然とはいえ、実に象徴的です。

 父親の死の前後には、「ドン・ジョヴァンニ」KV542の他にも重要な作品が作曲されています。皮肉な嘲笑の音化ともいえる「音楽の冗談」K.522と、それに対をなすかのようにシンプルでで透明なセレナード「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」K.525。それから歌曲も傑作をいくつも書いていますが、中でも、死への親近感に溢れた「夕べの想い」K.523と、それと対をなす激しい恋の歌である「クローエに」K.524。そして、モーツァルトの室内楽作品の中でも、最も深い内容を持つといわれている、一対の弦楽五重奏曲、ハ長調K.515とト短調K.516。この2作品も、その翌年誕生した交響曲第40番ト短調と第41番ハ長調のように、光と影、明と暗の鮮やかなコントラストをなしています。


 弦楽五重奏曲 ト短調K.516は1787年5月の作品です。モーツァルトにとって宿命の調性といわれるト短調で作曲されており、同じ調で書かれたピアノ四重奏曲第1番や交響曲40番と同様、悲痛で劇的な音楽表現がなされています。非常に有名な作品です。「ドン・ジョヴァンニ」の年に書かれたこの五重奏曲は、「フィガロ」の年に書かれたピアノ四重奏曲ト短調や、もっと後に書かれた交響曲第40番以上に痛切で、まるで、逃れられない死の深淵をのぞきこんでいるかのようです。

第1楽章はソナタ形式。救いのない激情を一気に溢れさせたような音楽です。この第1楽章の旋律を評した、『モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。・・・(小林秀雄「モオツァルト」より)』という名文句は有名です。この名文句が日本人のモーツァルト観に与えた影響は極めて大きなものでした。

第2楽章は、第1楽章の悲痛さを、更に先鋭化させたようなメヌエットであり、通常の同種の楽章のように聴衆を和ませてはくれません。第3楽章は弱音器を付けた柔らかい響きで、死の深淵からの救済のようにも聴こえますが、短調に傾く場面も多く、どこか不安な要素を残しています。第4楽章の序奏では、第1ヴァイオリンによって胸を抉られるような痛切なカヴァティーナが歌われます。アレグロの主要部はト長調に転じますが、アインシュタインが『慰めなき長調』と呼んだように、その性格は一般的な歓喜のフィナーレとは若干異なっていて、どこか彼岸の音楽のようすら聴こえます。

アインシュタインの「慰めなき長調」って言い方は素晴らしいです。非常に的確で、しかも詩的です。

アマデウス・カルテットの映像が残っているのが素晴らしいです。ぼくは若きノーバート・ブレイニンよりも、ピーター・シドロフとセシル・アロノヴィッツの内声二人にどうしても目が行ってしまいます。ちょい脱線しますがぼくはピーター・シドロフをめっちゃ尊敬してます。カルテット弾きですが、この先生はソロも凄い!ぜひ以下の動画をご覧ください。

♦︎弦楽五重奏曲 ハ長調K.515

この作品は、ト短調KV516の約一ヶ月前の1787年の4月に作曲されています。性格的にト短調KV516と背中合わせのような作品です。非常に雄大で大規模です。相次いで書かれたジュピター交響曲とト短調交響曲のような関係性と言えるかもしれません。ハ長調KV515はジュピター交響曲のように堂々として輝かしく、君臨する王者のような風格がありますす。

しかし当時のモーツァルトは、父や親しい友人たちの相次ぐ訃報や自分自身の体調の悪さなどから強く「死」を意識しており、そうした感情がこの輝かしい作品の中にも、しばしば暗い影を落としています。揺れ動く調性、不安定な半音階的進行。 第一楽章のテーマは上昇する軽快な分散和音(チェロ)とそれに応答する「ため息」の応答(第1ヴァイオリン)で構成されています。音楽は徐々に「ため息」の部分が存在感を増し、もはや「幽玄」とすら言える内省的な展開部へ揺れ動きながら誘われていきます。ぼくはこの楽章の展開部(動画の3分50秒あたたりから)を偏愛しています。ぼくはト短調KV516で泣いたりすることはないすが、KV515の1楽章の展開部ではいつの間にか泣けてしまってることがよくあります。演奏していても鳥肌が立ってしまう場面です。

2楽章で歌い交わすヴァイオリンとヴィオラのいつ果てるともしれない歌は本当に素晴らしいです。非常にロマンティック(エロティック)に昂めあってしていくのに、常になんとなく彼岸の気配が漂っているのが凄いです。

エロスとタナトス...

そういえば「ドンジョヴァンニ」もエロスとタナトスのオペラですね。

シューベルトはモーツァルトを心から尊敬し、KV516ト短調に強く惹かれていたそうですが、ぼく個人はKV515の方にシューベルト(特にD.956)に繋がる要素を強く感じてしまうので、シューベルトがKV515についてどう考えていたのか非常に興味があります。


余談

以下、余談。それにしても、👇こんな映像があるんですねえ!

まあ、実際はカザルスとのライブ録音が最高!です。

映像があることにびっくりしてしまって...

脱線しましたが、シューベルトの弦楽五重奏曲D.956の決定盤はこれです。

これしかない。

異論は認めません・笑

CDはヴェーグSQのメンバーが参加したグリュミオーの録音にぼくは非常に愛着があります。安いしいい演奏だし個人的には超おすすめ。



モーツァルトのKV515は、ヴェーグ先生がマリーケ・ブランケステインやハイディ・リチャウアーらの弟子筋のプレーヤーたちと一緒に弾いた1987年のザルツブルクのレジデンツのライブ録音が最高に好きです。

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