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【自分語り】ストレングスファインダーをやってみたら社会不適合者みたいな結果が出たので必死になって長文で弁明する文章


そもそもストレングスファインダーとは

受けるだけで8000円くらいするクソ怪しい性格診断。流行ってるし、似たようなのを就活でやった気がする。自分の性格における強みがわかるらしい。

結果

見方はシンプルで、要は番号が小さいものが私の「強み」らしい。

ワイの結果

感想

いやいや、納得がいかない。

特に司令性が高い割に調和性と活発性がビリなのはどういうことだ。ただの嫌な奴みたいじゃないか。

これをSNSにアップしたところ、おれとろくに対話したことない人たちから「納得の結果」と言われてしまい悲しい。(要は間接的に社会不適合者だと言われたようなものだ。)

まあ、まず前提としてこのテスト、設問がおかしい気がする。

(とてもAだ) (Aだ) (どちらでもない) (Bだ) (とてもBだ)

というタイプの5択なのだが、AとBが対立の関係にない設問が多く、どちらでもないを多く選択することになった。

また、途中までの設問の結果を使って次の設問を決めるようなアルゴリズムになっているらしく、途中から「人間関係構築力」系の質問が来なくなったように感じる。

そもそも全部で質問は177問なので、34個の資質を特定するのであれば1つの資質あたり5問しか聞いてくれないことになる。

親密性についての考察

親密性の結果のスクショ

人間関係構築力関係で言えば上から4番目に親密性があるのだけは納得だ。親密性はいうなれば、仲のいい人とは一人一人を大切にする的な感じの「強み」らしい。

持論として、「人間関係3つの壁説」というのがある。つまり、よい人間関係を構築するには3段階の困難があるということだ。それは

注目の壁→理解の壁→好き嫌いの壁

「注目の壁」というのは、そもそも注目されなければ何も始まらない。私が挨拶を大事にしようとしているのはこれが理由だ。

「理解の壁」というのは、自分を正しく理解してくれたり、理解できていないことを理解してくれることだ。言い換えると、偏見や決めつけを持たれないということ。

一度偏見や決めつけを持たれてしまうと、修正がとても難しい。上の方でちょっと書いたろくに対話したことない人たちというのはもう偏見を持ってしまっているので修正不可能だろう。

そして、「好き嫌いの壁」。これは趣向の問題だ。いわゆる「生理的に無理」だとかはこれに該当する。直せるものは直せるし直せないものはなおせない。

幸い、私は理解の壁さえ超えてしまえば、比較的うまくいく場合が多い気がしている。一方で、理解の壁を越えるのはちゃんとジェントルに距離を詰めてくれる人や、もともとある程度育った環境が近かったりする人とでないと難しい。結構偏見を持たれてしまうことが多く、ちょっとモラみを感じて自分からも避けてしまうことが多い。

結果、とても仲のいい人と、あまり仲良くない人に分かれてしまう。

最近「敵味方思考」という言葉を知った。要は白黒思考とか0 100思考の人間関係版みたいなものだが。そんなつもりはないけれど結局そうなっている現状はあまり好ましくないなとは思う。

協調性についての考察

ストレングスファインダーでいうところの協調性というのは真の意味での協調性ではないのではないだろうか。

協調性が低く出てしまったのは以下の理由があると思う。

おれは思想信条的に自由主義者だ。他の人を重大に傷つけない限り何してもいいじゃんと思っている。

みんなが信仰してる古くて間違った価値観は全部ぶち壊してよくね?と思っている。

ストレングスファインダーに政治的信条みたいな項目はないけれど、おれは今まで自由を大切にする政治家や政党に投票してきた。

そういう関係の項目のせいで協調性が低く出てしまった。これらの質問項目には「人を重大に傷つけない限り」という但し書きがなかった。

あと、ひととの関わりの中で特殊な戦略をとっている気がする。

ひととひととが関わるとそこには囚人のジレンマゲームが生じる。

そうすると

引用元: システムガーディアン株式会社(https://sys-guard.com/post-16381/)

(私, 相手): (協力, 協力), (非協力, 協力), (協力, 非協力), (非協力, 非協力)

の4択状態が生じるわけだ。相手は当然(協力, 協力)か(協力, 非協力)になるのが望ましいと考えている。

でも、おれは(協力, 協力)以外認めたくないという思いがある。せめて小規模集団ではそれが成立してほしい。これはちょっと完璧主義なところがあるのかもしれない。(良くないのかなあ)

だから、おれは(協力, 協力)か(非協力, 非協力)を選択する。

それゆえ相手が非協力を選んで対話が成立しないことを確信した瞬間(非協力, 非協力)に持ち込もうとする。

そりゃこじれるんですよ。

でも、これは悪いのは非協力を選んだ相手側が悪いのであって、根本思想としては(協力, 協力)を選ぶことで社会全体を良くしようという思いから来ている。

まあ、(非協力, 非協力)じゃなくて(囚人のジレンマゲームからの離脱, 非協力)を選ぶべきではあるんだろうね。要はモラみのある人は無視することだ。

そうはいっても、関わらなきゃいけない人間関係ってあるからなあ。

どうしようもないとき、ちゃんと(協力, 非協力)に甘んじることができる余裕がほしいものだ。

年下だとか、友達だとか、長期的に見て(協力, 協力)になれる人には何をくれてやってもいいんだけど、自分が最も憎む相手にもそれができるようになるのが正しい大人の在り方なのかもしれない。

この記事書いて自己理解が深まった

なんか文章化すると見えてくるものがあるね。ストレングスファインダー、結果は納得していないけれどやってよかった。

ジョハリの窓でいうところの隠された窓についての話でした。ちょっと盲点の窓については理解の壁を越えてくれた人と越えてくれなかった人でだいぶ印象が違いそうなので、客観性というものが確保できず調査できなさそうだ。


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