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【看取り日記03】退院当日から


56歳の母を30歳で看取りました。
発見した時には末期がん、2年前からはじまった延命治療。
2023年8月中旬に緊急手術、余命宣告。

手術から看取りまで約3週間の出来事をまとめています。

今回の内容:退院当日〜次の日

看取り日記01▼

前回のお話▼


退院当日( 8/25 金曜日 )

10:00に退院決定!ということで介護タクシーを呼び、わたしは母の車で病院へ向かいました。

めちゃめちゃ余談ですが、わたしは車を所持しておらず、伯母は目が悪い(義眼)ので免許を持っておりません。
こういう時母だけがいろんなところに運転して対応してくれてたんだよな〜、ほんと感謝です。
そんな母は車が好きなようで
・フィアットのパンダ
・フォルクスワーゲンのルポ
・スズキのジムニー(new!)
という感じで車を購入しています。
パンダに至ってはわたしはすごく小さかったですが"左ハンドル"だったな〜というのを覚えています。
ルポとジムニーは母の通院の際、借りて運転しました。

実家の駐車場は狭いうえに縦列駐車で入れなきゃいけなく、1回ルポを傷つけました。ごめんよ。
そこから駐車場に入れるところだけはママに交代してもらってました。(病院から帰ってきて駐車場で交代など)
だから前回の日記で「今日は駐車ばっちりでした!」に繋がります。

***

着いた時は母はまだ準備中で看護師さんと談話室で薬のやり取りをしました。
処方された薬は山ほどあり、その中に痛み止めとして毎日飲むアヘンがありました。(薬の名前失念しました)(お薬手帳が実家)
その時初めて母が麻薬を使用しているのを知りました。
本当に終末期なんだ…とその際強く思ったのを覚えています。

この薬だけは忘れないようにしないと、とメモを取りました。

・・・

薬や退院の手続きを行い母と会い自宅へ介護タクシーで帰ります。
支払いを私が行いましたが、
手術、2週間の入院費用で107,220円。
個人的には意外と安い〜〜という感情でした。

***

自宅へ帰宅

自宅に戻り母をベッドに寝かせ、私たちは夕方来る訪問看護、訪問診療などを待ちました。
母は歩くことは困難ですが、
まだ自力で起き上がったりすることができ、忙しなく動いていました。

ですが「ガクン」と全身の力が抜けてしまうため私としては動かないで寝ててほしいなと思っていました。

この母の「身の置きどころがない」に対する解決できない多動は最後まで悩まされます。

・・・

伯母はちょうどこの頃繁忙期で、この日は仕事を抜けて病院へ迎えに行って、またすぐに仕事に戻りました。
職場までの送迎を行うため、母が一人になる瞬間が生まれてしまうのですが
まだ意識もあり、意思疎通もでき危ないことはしないだろうと思い片道30分程度一人にした時間があります。

16時に訪問診療、看護さんが来て今の状況を今後の対応を検討するという予定が入っていたので
急いで伯母を回収して戻ったら「あらびっくり!」
母がベッド近くの椅子に座ってる〜〜!!
あなた一人でベッドから起き上がって歩いたの!?寝ててね!って言ったじゃない〜〜〜!

これを見て余計にまだまだ元気なんだ。
と思いました。

***

訪問診療後、余命宣告

初めてのお医者さんなので現状の診療をしてもらいました。
少し経って、看護師さん1人を除いて別室で話がありました。

「余命は2週間〜1ヶ月です」と。
2年間毎月、毎回病院に付き添いましたが初めてちゃんとした余命宣告をされました。(前の時は終末期ですだけだったのでどれくらいかはまだ分かってませんでした)

まさか2週間、1ヶ月???
介護だって3ヶ月だって、年越してもやるつもりだったのに2週間??
衝撃でした。

お医者さんの話を聞いている中、静かにずっと泣いてしました。
ですがこの後母がいる部屋に戻るのに泣いてちゃダメだ!勘付かれちゃダメだ!と思いました。

その後週明け月曜日から診療を始めます。と決まり、その日は終わりました。

***

母の様子

帰ってきてからの様子ですが食欲がよくありました。
そう入ってもゼリーを一口食べたり、梨を一切れ食べたりとその程度ですが。
とても嬉しかったです。
なんでも食べてくれるのが嬉しかったです。

また、介護中ずっと食べてたのが氷のアイスです。


サクレ レモン

これを本当によく食べました。
私が食べようと思ってたまたま買ってきてたのに全部食べられた!笑
介護中5,6個食べた気がします。
もっとかな?とにかくよく氷を食べました。

あとは顔を氷でべしょべしょにして欲しいというお願いもありました。
まだお水を口から飲めていましたが、水分が足りてなかったのかな?という感じです。

・・・

大変心苦しいのですが、私は明日友人の結婚式に参列する予定がありました。
流石に前日キャンセルは、とも思ったし、心から行きたいという思いもありました。
ですがこんな母を一人にしておくことはできず、
(伯母は仕事)(母は退院する際一人でお留守番するからとにかく家に帰りたいという要望)
伯母と相談し、叔母が休みを急遽取ってくれる運びとなりました。

結婚式のため私は実家を離れ夜は自宅へ、その後結婚式に自宅から参加。
その後結婚式場から直帰で実家へ帰る予定になりました。

その際のお迎えなどは夫がしてくれました。ありがとう。

退院後の母を叔母に任せ私は一時帰宅しました。
私のメンタルもよくありません。目も腫れています。明日までにどうにかしないと。
夫にも状況を伝えないとという気持ちでした。

・・・

私が居なかった夜ですが、まあ〜〜〜〜〜下痢が酷かったみたいです。
だいぶ粗相をしまして、、、伯母一人にしてごめんよ〜〜〜。
夜中から大変だっただろうに、、、ママも大変だっただろうに。
そんな時に私は実家に居ない、無力。

原因としては処方されて1日3回飲んだマグミット錠でしょうね。
次の日からこの薬、要検討になりました。

***

25日退院してすぐは介助を嫌がりました。
ご飯や飲み物を飲ませようとすると嫌がり自分で持ちたがる。
でも力がすぐに入らなくなるのでガクンっと落としてしまう。

落ちたものを家族で拾おうとすると嫌がる
と言った感じでした。

ママも自分でできると思うんだろうな。
意識というか、やりたいことがあったんだろうなと思います。

***

本当にあれなんですけど、わたしママの死期が近いのを少し前から感じていたのだと思います。
だって、

・毎日やっていたラジオ体操の際、音声の録音を8月上旬からしていた
→声って忘れやすいから録音しておこうと思った

・車の駐車にチャレンジしてみた
→車擦ってからずっと敬遠していた自宅の駐車。ふと「あ、今日入れてみよっかな」から何回か挑戦(だがしかし上手く入れられない!)
ママがいなくなった時にできるのは私だけなので

・急に涙が出る
→会社で涙が止まらない時期がありました。なにかあったわけでもないのに
会社には申し訳なかったな〜。急に号泣し出すんだもん。ビビるよな。

・結婚式のご祝儀袋ママと伯母のものだけこっそり取っておく
→筆跡って大事だから!

大したことじゃないのかもですが思い立って取っておくということが多発していました。
う〜ん、今思えば何か感じていたのかな。

***

ここからあっと今の1週間が始まります。
母は余命より早く1週間ほどで亡くなります。
ですが介護は相当しんどく、だいぶ参っていきます。
介護してる人はほんとにすごいよ、みんなちゃんと褒めてあげてね。

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