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【看取り日記01】あっという間の出来事、母の看取りを始めます。

悲しい話が続くと思うので、あんまりだ〜と思ったら読むのやめてくださいね。
まだ亡くなってないけど、これから始まる看取りの話です。

書いてる間に息を引き取っちゃった。
書き途中のものに追記をしながら更新していきます。

あとはずっと優しい夫への惚気です。

56歳の母を30歳で看取りました。
発見した時には末期がん、2年前からはじまった延命治療。
2023年8月中旬に緊急手術、余命宣告。

手術から看取りまで約3週間の出来事をまとめています。

今回の内容:結婚式後〜8/13(日)までの話

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結婚式後の様子

結婚式終わってからやっぱり調子が悪かった母は、寝てるというか横になっていることが増えました。

結婚式後に定期検診で病院にも行きましたが「腎臓・肝臓の機能低下」が見られ抗がん剤などの薬の服用ができなくなりました。
機能回復を待ちましょうという結果です。

腎臓に関しては片方が正常値ではあるから腎ろうを行うほどではないと判断をもらってました。

腎瘻とは、背中から腎臓に穴をあけて、チューブ(カテーテル)を留置し、尿の流れを確保する方法です。

腎瘻造設法について

そうは言ってもだんだんと横になるのも辛くなり、椅子に座って眠ることが増えました。
眠りも浅く、痛みですぐに起きてしまうそうです。
椅子にずっと座っているせいか足のむくみもひどくなり、歩くのも困難になりずいぶん辛そうでした。

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8/13(土)救急搬送・緊急手術

わたしはお盆は実家ではなく、夫と共に過ごしていました。
お盆の中日はわたしの実家で夫も一緒にご飯を食べよう計画をしていました。
そしたら、その前日に伯母から連絡が来て「ママは救急で病院に行きます」と18時くらいに連絡が入りました。

痛かったんでしょうね、あまり痛みを言わない母が病院に行くと判断したのは偉かったです。(でも自分では一切電話はしない)(しな〜?)

すぐに向かう予定でしたが、今後どうなるからわからないから結果が出るまで待機しててと連絡が来たので自宅で連絡を待ちました。

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眠れてないママを眠らせてあげたい

19:30に伯母から連絡が入り「ママを眠らせてあげたいから入院させるね」と連絡が入りました。
ドキドキしながら伯母に電話をしたら、
とにかくずっと眠れていない母の希望は痛みより何より「眠りたい」と。
それを叶えるには痛み止めなど対処できる入院しかないと考え入院を決意したそうです。

ずっと1時間で痛みで起きて辛そうだったから、寝れるならそりゃあいい!と思い
一度安堵しました。
よかった〜と。

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緊急手術

その1時間後また伯母から連絡が入りました。
「やはり危ないらしい 緊急で手術する」

検査の結果 緊急で手術が必要と判断されまして。
震えましたね〜。怖かったです。死んでしまうのかと。

連絡を聞きすぐに病院に向かうのですが、それがめちゃめちゃ大変でした。

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緊急で手術を行うという連絡が20:30くらいだったのですが、
自分と夫はお酒を飲んでおり自分達で運転が出来ず。
※わたしは普段お酒を飲みません タイミング悪い〜。

ならタクシーで向かう!と思い電話をしたら、お盆でどの会社も自宅到着まで40分かかると。

そしたら夫は自分の家族に連絡してくれまして、
(まさかそこまでしてくれると思ってなくて嬉しかったです)

ですが夫の実家の方も普段飲まないのにたまたまお酒を飲んでおり「なんてこったい」な感じでした。
重なるもんなのよね〜。

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家から病院までは車で1時間かからないくらい。お酒さえ飲んでいなければすぐに帰れるのにと悔しさがありました。

今思えば、あの時、「救急で病院へ行った」時
その時に自宅に戻っていれば
まだ意識がはっきりして
意思疎通ができるママと話せたんだろうな、と思います。
たらればですけどね。

その後自宅から歩いて7分のバス停に後5分でバスが来ることを発見し、走ってそこまで向かいました。(いつもは使わないバス停で迷子にならないことに必死)(あと間に合うかわからなくてめちゃめちゃ走った)

そしたらまさかの夫も着いてきて「あ、バス停まで見送ってくれるんだ」と思ったら一緒にバスに乗り
「あ、駅まで来てくれるんだ〜」と思ってました。

そしたら最終的に病院まで着いてきてくれました。
そこまでしてくれるのね。すごいとか思っちゃった。

友達に旦那が着いてきてびっくりしちゃった!って報告したら
家族なんだから当たり前じゃん。って言われました。
そっか。そうなのか。

***

着いたのは22時。
もうママは手術室に居ました。
がんばれの応援できなかったな。

24時くらいに手術は無事に終わりました。
寝ている高機能病棟へわたしと伯母だけは入ることができ、一瞬だけ母に会えました。
コードにたくさん繋がれて、痛々しそうな母でした。
思わず涙がこぼれちゃった。
そしたらママに「泣かないでよ」って言われて余計に泣けちゃいましたね。

この後もずっと母はわたしの事なのか家のことなのかわかりませんが何かをずっと心配してました。
自分が一番辛いのにね。怖いのにね。

***

腎ろうの手術は無事に終わり、尿が無事に排出できるようになるということです。
これで痛みが減らなければ癌そのものの痛みなので鎮痛剤を使用していくとのことでした。

この日はここまで。
病院から帰るにもタクシーはなく(電話も繋がらない)で「えっどうする」って事がめちゃめちゃ起きましたが、とりあえず無事帰れました。(割愛)

翌日も母の病院へ様子を見に行くのでその日の夜少しだけ休み行動することにしました。

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