福島の甲状腺がん検診への言及例
弓月光氏の言及
そのような事は言えません。現状の知見が示しているのは、
間接的だが安定した証拠によれば、成人に対する甲状腺がん検診で発見された甲状腺乳頭がんの高い割合が余剰発見(過剰診断)であると示唆される
発見した甲状腺乳頭がんを処置せず経過観察する(アクティブサーベイランス)研究では、微小であり明らかな転移や浸潤の無いものは、余剰発見になる割合が高いであろう事が示唆される(直接の確認は困難:超長期のフォローアップが必要だから)
小児に対するアクティブサーベイランス研究の証拠は無い
微小で無い甲状腺乳頭がんをアクティブサーベイランスしたらどうなるかの知見は無い。閾値は少しずつ上げて確認する必要があり、微小よりずっと大きな所にいきなり設定するわけにはいかないため
発見割合と地域に明確な関連が認められない事、福島県と隣接した地域において発見割合の増加が見られない事などから、被ばくによる甲状腺がんの流行は認められない
流行が認められないのに発見割合が以前より増大した
流行していないのが確かであるのなら、発見割合は、余剰発見と、将来に症状を呈するがんの先取りとの混合である
その混合の構成比は不明
一般に、余剰発見割合の推計は極めて難しい。推計がよくおこなわれる乳がんなどでも、研究による違いが大きい
このようなものです。いま得られているデータについて
小児甲状腺乳頭がんの高い割合が症状を呈さないとしても整合する
と表現する事は出来ても、
小児に甲状腺がん検診をして見つかるものの大部分は余剰発見である
とは言えません。検診による余剰発見割合の推計方法には、
RCTをおこなう
時系列的な発見割合や死亡割合などの推移を見る
マイクロシミュレーションによって推計をおこない、既に得られた統計的資料との整合性を確認する
などがありますが、RCTは倫理的な観点から実行不可能ですし、他の推計は、成人対象にはおこなわれていても、小児を対象におこなうのは困難だからです。また、甲状腺がん検診のマイクロシミュレーションによる研究も乏しいです(採用されるモデルもわずかしか無い:PATCAMなど)。
日本の小児に検診をやっていないのだから、全生徒に検診をしたら数人に発見されるであろうと言えるはずがありません。福島で得られた結果を先に平常と同じものとみなしてから、それを他県に一般化しています。これは、
福島の情況は平常か非常かを議論しているのに、福島が平常と変わらない事を前提して他県に敷衍している
わけです。福島の情況が実際どうかというのは、間接的な証拠を重ねて推論して行くしかありません。特に、
発見割合は罹患割合の代理指標である
発見割合は発見行為そのものがバイアスを与える
という所が議論を困難にしています。
発見割合に明確な地域差は見られないようだ
であれば被ばくによる流行は起こっていないであろう
しかるに、大規模検診をする以前からすると発見割合は異様に高い
なぜ発見割合は高いのか
このような推論の流れです。もし流行が無いのであれば、先述したように、増加した発見割合は、余剰発見と、将来に症状を呈するものの先取りとの混合です。ではその構成比がどのようになっているか、について、確たる事を言えるような強固な証拠は存在しません。
もし余剰発見が少ないとすれば、小児期での発見から数十年かけて、平常では有症状で発見されるはずだった分が補われて行くと考えるしかありませんが、だとすれば、成人における罹患率を低く評価しなくてはなりませんし、小児時に罹患する甲状腺がんの前臨床期の多くが数十年であると考える必要があります。そう考えるよりは、実は大部分が一生症状を呈する事が無いと考えたほうが良いのではないか、と展開するのもそれなりに合理的です。
そこをどう検討するかで、余剰発見の割合をどう見積もるかも変化しますが、いずれにしても、直接的の証拠で補強する、という意味の知見にはなりません。だから、はっきりした事は判らない、としか言えないのです。したがって、
発見されたほぼ全ては余剰発見である:髙野徹や菊池誠らの主張
余剰発見などほぼ無い:検診をおこなう組織としての福島県立医科大学、専門医の鈴木眞一らの主張
このいずれも、現在の証拠からは主張不可能です。
鴨下全生氏の言及
これは、
あたかもほとんど全てが余剰発見であるかのように考える人が出る
という意味であれば、その懸念は妥当。なぜなら、弓月光氏の言及の検討で言ったように、現状の証拠からそのような主張は出来ないからです。
あるいは、
福島で余剰発見が発生しているかのように考える人が出る
と言っているのであれば、その懸念は的を外しています。何故なら、現状の証拠から、余剰発見が生じなかったなどと評価するのは不可能だからです。鈴木眞一の研究のように、手術後の病理組織的所見から、それが余剰発見であったかを判定するのも不可能(鈴木はそれが出来ると主張している)。
手術した後の所見でもって、微小で低リスク(明らかな転移や浸潤が無い)なものの割合が低いと判明した所で、それは余剰発見で無いのを意味しません。そこで低リスク(定義によっては超低リスク)と判定するのはあくまで、余剰発見の可能性を考慮しつつ慎重に少しずつ上げていっている閾値に基づいた分類なのであって、他の原因で死ぬまで症状を呈さないものを明瞭に区別するようなポイントでは無いからです。つまり、
ここより下は(アクティブサーベイランスの知見により)おそらく余剰発見であろう
とは言えても、
ここより上はおそらく余剰発見で無いであろう
とは言えません。それをある程度自信を持って言うには、発見した無症状のがんを全て、症状が出るか他の原因で死ぬまで経過観察するなどする必要がありますが、そんな研究は出来ません。
また、アクティブサーベイランスは、
症状が出るまで待つのでは無い
のを押さえます。
弓月氏のポストの検討部分で書いたように、ほぼ余剰発見であろうとするのも、余剰発見はほぼ無いであろうとするのも、いずれも乱暴な主張です。
わざわざ外部の人間などと表現する事で、
内部の人間で無いから真剣に考えていないのだ
というような印象に誘導しているし、またこれは、
外部の人間の意見は、それが外部からという理由で取り合わない
という宣言にも取れます(外部の人間は軽視するであろうと仄めかしているから)。もし証拠によって主張を補強して議論を戦わせるのを重視するのならば、外部が云々とは優先して考慮するような要因ではありません。
外部の意見で妥当
外部の意見で的外れ
内部の意見で妥当
内部の意見で的外れ
このいずれもいるに決まっています。
そもそも、軽視なる語にどのような意味を持たせているか不明でもあります。たとえばそれが、
福島における小児甲状腺がんはおこなうべきで無い
のような意見に対して向けられているとすれば、その意見は、甲状腺がんを軽視するものではありません。少なくとも、すぐそのように判定できるような意見とは言えません。何故なら、がん検診をおこなうべきで無いとの意見は、
正味の便益が認められない検診はおこなうべきで無い
という意味を含む場合があるから。これは、
たとえ甲状腺がんの流行が起こっていても
成り立ちます。がん検診の有効性には、罹患率の増加のしかたや、どのような自然史のものがどのくらい増えるかが関わり、またクリティカルポイントの位置と検診間隔によって決まってくるものなので、単に流行が起こっているとの理由のみで有効性が発揮されるのでは無いのです。したがって、検診しないほうが良いとの意見は、がんに罹る人や、がんに罹る事を軽視するに直結しません。
被害者の意味によるし、寄り添うの意味にもよります。
被害が、原発事故のせいで甲状腺がんに罹った、との意味であれば、それを支持する証拠はありません。証拠が無ければ、その責は負わせようもありません。
被害が、検診を受けて発見されてしまった、との意味なら、それは、検診せざるを得なかった情況をもたらした者に責任があるでしょう。その観点から、東電などが責任を負うべきとは言えます。
資料
↑成人に対する甲状腺がん検診の概要。便益と害の種類と証拠の現状。余剰発見割合の推計にも言及
↑USPSTFのステートメント。成人に対する甲状腺がん検診は、推奨グレードD。すなわち、やらない事を推奨。小児に対するステートメントは無いが、成人へのグレードがDなのに小児には肯定的に推奨出来ない
↑甲状腺腫瘍診療ガイドライン2024年版。クリニカルクエスチョン2-1。家族歴等の無い成人への甲状腺がん検診は、やらない事を推奨。当然だが、家族歴の無い人に推奨されないのは、家族歴のある人に推奨できるのを意味しない
↑成人の低リスク甲状腺微小乳頭がんに対するアクティブサーベイランスの知見と、それに基づいた適応の提言。臨床医はこの知見をもって、アクティブサーベイランス対象外は余剰発見で無い事を主張する場合があるが、それは妥当では無い。閾値を設定してアクティブサーベイランスを実施し、低リスクとみなしたものが余剰発見となる割合が高いであろうと推論するのは、低リスクで無いものは症状を呈する割合が高いであろうと推論する事とは異なるから
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