ドメイン知識に基づいた評価の必要
この種のニュースに対する反応として見られるのは、
そのようなミスは起こるべきで無かった。医師の責任は重い
ミス自体は起こり得る事だ。医師は反省して、再び医療の現場で命を救って欲しい
こういう意見ですね。しかるに、これらいずれの意見を言うにも慎重になるべきです。必要なのは、
当該専門分野において当該事例がどのくらいの蓋然性で起こり得るものだったか
という情報です。
あるミスについて、それが起こるか起こらないかのみで話をするのが適切で無いのは解ると思います。絶対にミスをしない事が保証できないのは、いわゆる常識的な認識としてあるからです。
ですから、冒頭で紹介したようなニュースを見聞きして、それはけしからんとか、こういう事は起き得るのだから、などと色々の意見を持つのは、
起こりやすさを、自身の経験や知識に基づいて直観的に判断している
からです。けれども、そこで判断材料となる経験・知識は、評価先である所の分野に関する専門的知識とは限りません。否むしろ、いま話題にしているような医療分野におけるニュースであれば、その分野の専門知識を前提とした判断をする意見は稀でしょう。医学の専門家が集う専門サイトのような場では無いからです。
このnoteの題に書きましたが、着目する分野に関する専門的な知見の事を、ドメイン知識などと言います。この表現は比較的最近出てきたものだと思いますが、科学や工学の文脈では、実質科学的や固有技術などの表現で、現象の評価における専門知識の検討の重要さが言われる事があります。
話をニュースに戻すと、これは、
腎臓の摘出手術で
誤った血管が切断され
ミスリカバリーのためにバイパス手術をおこない
患者は出血性ショックで死亡した
このような現象の連鎖が生じたものです。重要なのは、何となく直観的に判断するのでは無く、これらが当該分野の知識・技術・オペレーション等の観点に照らしてどうであったかを検討する事です。
臓器を摘出する事を思い浮かべれば素人でも、対象の臓器付近の血管の構造はどのようになっているかとか、病変はどのような具合であるかとか、術野はどう確保されるのかとか、色々の観点がある事が想像できます。
そして検討すべきは、目的以外の血管を切断してしまう頻度はそもそもどのくらいか、切断した場合のリカバリーのオペレーションにはどのようなパターンがあるか、そのパターンそれぞれについて成功確率はどのくらいか、といった所で、それがまさにドメイン知識にあたるものであり、これまでの知見に照らした定量的な評価が必要な部分です。そしてそれは、医学医療の知識に疎い我々のような非専門家が容易に判定できるものでは無い訳です。
記事のタイトルには
とあります。ここがいかにも、
環境や機器によらない術者のヒューマンエラー的ミスが、蓋然性が低いにもかかわらず発生した
かのように読めます。しかるに、そのような蓋然性の情報、つまり、同様のミスが同様の手術においてどのくらいの頻度で起こったかについては、少なくともニュースでは触れられていません。ニュースで人為的と言っているのは、切断すべき血管を誤認したという事実を指しているのみです。
もしかすると、専門家(腎臓外科医など)からすれば、いやその血管を切断するとかあり得ないだろう、となるような事案なのかも知れませんし、その症例であればそういう事もあるだろうな、となるのかも知れません。それがどちらであるかは非専門家には容易に解らないし、また軽々しく判断して事案全体について社会的含めた評価をおこなうべきでもありません。
自分が詳しい分野に関するニュースが流れた時、それに対する反応群が実に浅はかなものと感ずる場合があります。いや全然知らないのによくそんな断定的に批難できるな、といった具合に。それと同じような軽率な反応を自身がしていないかどうかを、常に反省的に見ておく必要があるでしょう。
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