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そこに意味はない『1917』

 第一次世界大戦について十分説明できる自信がない。中学、高校であれだけ勉強したはずなのに。思い出せるのは、せいぜい「サラエボ事件」と「初めて世界を巻き込んだ大規模な戦争」であること。

 航空機、戦車、機関銃、手榴弾、毒ガスといった兵器が初めて用いられ、未曾有の命(1700万人以上と言われている)が犠牲となった。
 今日、当時の戦争を目の当たりにした者は既に生きておらず、断片的な知識や写真を頼りに、勝手に「ストーリー」を作り上げてしまっている人の数は多いでしょう。私もその一人です。

 数十年後、戦争を深く知らない世代が歳をとり、国の舵を取る。その結果、同じような歴史が繰り返されるかもしれない。

ほとんどの映画にはストーリーがあります。
ドクに頼んでデロリアンDMC-12を改造した車で30年前に行くこともできるし、
キングスクロス駅の9¾番線から魔法学校へ行くこともできる。

ストーリーがあれば、偶然起きたことに意味付けだって出来るし、作中で死んでしまった者が何故死んだか、その意味を考察する事ができる。

人間は、意味を求めたがります。
ほとんどの事象は偶然で、そこに理由なんてないのに。

映画は特にその傾向が強い。
着ている服、消えかけた蝋燭の火、匂い、登場するほとんどのものがメタファーとして用いられる。

第一次世界大戦中に生きた人々は、そんな意味付けする余裕もなく、ただ目の前にいる兵士を殺し、無数の死体が転がる塹壕を進み、木が一本も残らない森を見つめる。今回の『1917』は全編ワンカットという事で、我々もまさにそんな状況を追体験できる作品に仕上がっていた。

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ただ、ストーリーを眺めるのではなく。
ストーリーの一部になる。

そんな体験を通じて、戦争の悲惨さを少しでも理解し、学び、後世に伝えなければならない。それが私達の生きる使命だと思うし、先人を弔う唯一の方法なのではないか。私の主観的な意見となってしまいましたが、少なくとも私はこのように思います。

ひたすらに走り続ける。
つまずき、転がり、流され、泥だらけになりながら。
圧倒的な没入感、緊張感そして何より彼らの熱量を、スクリーン越しに受け取ってみてはいかがでしょうか。

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