過ちは繰り返しませぬから

あまりそんなイメージはないと思いますが、岡山は実はたくさんの作家を輩出している県です。例えば、最近でいうと、あさのあつこ先生や小川洋子先生、重松清先生などなど。私もよく先生たちの本を読ませていただいています。
吉備路文学館もありますよね。まだ行ったことはありませんが、行ってみたい場所の一つです。

そして、去年のことになるんですが、大学で開講された小説の書き方を学ぶ講義に参加しました。そして、ご指導くださったのは、なんと小手鞠るい先生です!小手鞠先生は岡山県出身で、著作は『アップルソング』『エンキョリレンアイ』などとても沢山あり、恋愛小説の達人です。その他、絵本や児童書なども手掛けられています。いやいや、そんな現役の作家の先生に小説の書き方を教えていただけるなんて、恐れ多すぎます……

『ある晴れた夏の朝』

授業の内容は、先生の著作である話題になった『エンキョリレンアイ』か『ある晴れた夏の朝』のどちらかを読んで、物語の大きな枠組みだけを先生の作品から借りて、そこから自分でオリジナルストーリーを作るというもの。私が選んだのは見出しにある通り『ある晴れた夏の朝』です。

あらすじはこんな感じです。

アメリカの8人の高校生が、広島・長崎に落とされた原子爆弾の是非をディベートする。肯定派、否定派、それぞれのメンバーは、日系アメリカ人のメイ(主人公)をはじめ、アイルランド系、中国系、ユダヤ系、アフリカ系と、そのルーツはさまざまだ。はたして、どのような議論がくりひろげられるのか。そして、勝敗の行方は?

読み手を引き込むための2つの工夫

個人的にこの本の特徴は2つあると思っています。

1つ目は「原爆」というものを日本人の視点からではなくアメリカ人、外国人の視点から描いているということです。
当たり前ですけど、日本で書かれた「原爆」の話ってあくまでも日本人の視点ですよね。日本では、「原爆」は絶対悪として語られていますが、それは私たち日本人の立場だからです。他の立場から見ても同じような結論になるかどうかわかりません。
この作品の舞台は人種のるつぼと言われるアメリカです。いろんなバックグラウンドをもつ登場人物たちが壇上で彼らの意見を述べ合います。こうして多方面からの視点を読者に提示しています。

2つ目は物語の大半がディベートの内容で進むということです。
討論会に向けての準備の過程よりも討論会の内容や情報がとても詳細に書かれることによって、自分も会場の観客の一員になって参加しているかのような臨場感が生まれることに加えて、たくさんの情報も得られるので、深くテーマについて考えることができるような構成になっています。

この本は「第65回青少年読書感想文全国コンクール」(中学生の部)の課題図書に選出されています。それはやはりこのように読み手を物語の中に引き込んで、考えさせる力があるからでしょう。いわゆる児童文学ですが、だからこそ誰にもわかりやすく読みやすいものになっています。ぜひ手に取って読んでほしいです。

!!!ここからさきはネタバレを含むので注意してください。

夏の空の描写

この本にはたびたび夏の空についての描写があり、59年前の終戦の日の夏の朝の空と日本人の原爆や戦争に対する思いを重ねて表現しています。
第一回や第二回の討論会の朝では、討論会で争われているように、当時の日本人達原爆を落とされたということに対してどう考えていたか主人公の中で答えが出ていません。そのため、主人公は、そのときの空の色はどんな色であったのか、灰色の絶望の空であったのかと、空を見上げて思いを馳せます。
しかし、物語の結末では、「わたしたち人類は、もう二度と同じあやまちを犯してはいけない」「平和を創造していきたい」と当時の人たちはいう前向きな思いであったと登場人物たちは考えるようになります。そして当時の朝はきっと希望に満ちたよく晴れた夏の朝であり、私たちもその思いを忘れてはいいけないと、同じ空を想います。『ある晴れた夏の朝』が本書の題名にもあるように、これが先生が伝えたかったことであり、手掛かりとなる表現がこのように物語中にちりばめられているのではないかなと思っています。

「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」

これは原爆死没者のための慰霊碑に書かれた文章です。「過ちは繰り返しませぬから」という文章の主語は誰なのか、ということが物語の中で争点になります。英語に訳すには主語が必要です。日本人であり翻訳家の母は解釈に困っているメイにこう答えます。

——われわれ人類は、あやまちをくりかえしませんってそう言っているの。
日本語の『私』は、まるで風か水か空気みたいに自己主張することなく、『あなた』に溶け込むような形で、『世界』と一体化するような形で、存在しているの」

私はこの場面がとても好きです。読んだとき、私たちの使う日本語が愛おしくさえ思えました。日本語だからこそできた表現なんです。私も、そしてあなたも、この碑文を読む人を、すべての人を優しく包み込んでくれ、そして「もうこんな罪は起こさない」「平和な未来にしていこう」という小さな灯のような決意を私たちの心にそっと置いて行くんです。誰が罪を起こして、誰が悪いということをこの碑文は訴えているわけじゃないんです。
言語学を学んでいる者としても、言語の違いというものについて考えさせられました。

『原爆』は絶対悪なのか?必要悪なのか?

この議論については結局答えはありません。先生も授業の中で「読み手が全て」であり、正解はないというような旨のことを仰っていました。

私個人の考えとしては、誰が悪であるとか、絶対悪か必要悪かはあまり重要ではないと考えています。大切なのは「戦争」や「原爆」「差別」などどうしても目を背けたくなるような事実にちゃんと向き合い、自分の頭でしっかり考えることです。メディアや世論が正しいとは一つも限りません。ただ私たちはもう2度と過ちは繰り返してはなりません。誰一人として理不尽に傷つけられるようなことを許してはならないのです。

最近では気温も上がってきて、夏の気配を感じる日も多くなりました。
ぜひこの機会に夏の空を見上げて、少しでも向き合ってみませんか?

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,937件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?