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買い物は足が痺れる

私は買い物が好きだ。

一生物のハイブランドのバッグ
ドラッグストア販売品の5倍は下らない価格で手に入るシャンプーやハンドクリーム
使い心地もデザインもスマートなピカピカの家電
験担ぎを兼ねて一気に新調する下着類
暖かいパジャマとスリッパ
浅煎りのおいしいコーヒー豆
品の良いラメに見惚れるデパコスのアイシャドウ(まぶたは2つしかないのに)

なくても生きていけるけど、あった方が俄然うれしいものたち。
安く手に入れることもできるけど、心が踊るのは概ね値が張るものたち。

それらを探して、見つけて、自分の生活に取り入れられている様子を想像する時間が楽しいから、つい店舗やECサイトをうろついてしまう。

大好きな買い物を楽しむ私の心を、どうしても暗くするのがお金の存在だ。

高級時計やスポーツカーを現金一括払いで買うわけでもないのに、欲しいと思った商品の代金を支払う時、私はいつも逃げたくなる。もっと安価で十分に使える商品があるのに、そちらを選ばない後ろめたさ。安さを美徳とする関西で育ったからなのか、高くて良いものに抱く背徳感が「もったいない」の服を着て私の周りをぐるぐる回る。心に一点の曇りもなく浪費を楽しめる人が羨ましい。

もったいないと思うなら買わなければ良い。簡単な話だ。安価な商品を購入して、支出を減らせばお金は貯まる。貯まったお金は将来のために備えるか、来るべき大きな買い物の資金に充てられる。堅実な人はそう考えるのかもしれないが、楽な一括前払いを忌み、都度払いを選択しながら生きてきた筋金入りの刹那主義である私に「将来」や「いつか」の言葉はピンとこない。

気分の上がるものに囲まれて暮らしたい。davinesのシャンプーとBALMUDAのトースターを買うために借金をするほどお金に困っているわけでもない私は、ずっと軽い背伸びをして足を痺れさせながら生きているのかもしれない。

「支出が減らせないなら、収入を増やせば良いじゃない」とは、かのマリーアントワネットが発したことで知られる有名な一節だ(※)。財布の中身が潤えば、プルプルと細かく震える不安定なかかとを地に着け、安心して買い物ができる。日々を自分に甘くのんびりと過ごしているから、買い物をする際に「この期に及んでまだ自分を甘やかすのか?」と、辛口の人格が「もったいない」の回遊に加勢してくる。

欲が深いのに気が小さい私の買い物における最適解は結局、「死ぬほど働く」だったのか。

※フィクションです。

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