感情の帰るところ
結婚前に父が母へ贈った「青の画家」の絵。
実家のリビングに飾ってあるその絵自体はレプリカだったのだけど、なぜかあの寂しくて儚げな青色が幼いわたしの心を掴んで離さなかった。
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もう何年も前の話。
生誕110年の大回顧展があると知ってすぐ、手帳にゆっくりと丁寧に予定を書き入れた。
あんなに気持ちを込めて一文字一文字丁寧に書いたのは、就職活動用の履歴書くらいだったかもしれない。
まるで好きな人に気持ちを伝えに行くかのようにドキドキして 本物と向き合う勇気が出なかったので、足を運べたのはまさかの会期終了の前日。
終了前最後の週末ということもあってか、多くの人がひしめき合っていた。
特に「あの絵」はとても有名で展示の最後に飾られていたから、余計に混雑していた。
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真正面の場所が空くまで、少し待った。
前の人が満足げな表情を浮かべて立ち去ったあと「あの絵」の前に立ったわたしは初めて主役になった。それは確かにわたしの青だったから。
そして同時に、隣人の青でもあったのだと思う。
見つめる瞳はみんな揃って青い光を映しているように見えたけど、きっとそれぞれ感じている濃淡も、生まれた感情も違うんだろうな。なんてぼんやりと考えていた。
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あの頃、ちょうどどうしても自分を大切にできない時期だった。なぜだか分からないけど、心に何も纏えなくなって涙が止まらなかった。
わたしの好きなもう1人の画家さん、小林舞香さんがいつだったか「絵の前は泣いていい場所」とおっしゃっていたのがずっと心に残っている。
どんなに複雑だとしても感情の帰る場所はちゃんとここにあったんだな、と救われた気がした。
いまでも上手く言葉にできない複雑な気持ち。
そんな感情だって、その時の答えとして優しくぎゅっと抱きしめていたいな。
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東山魁夷さんの『白馬の森』。
また見たい。この目で、まっすぐと。
今度はどんなわたしで会いに行けるのかな。
絵の前で一体どんな感情が生まれるのかな。
読んでくれてありがとうございました。
それでは、またきっと。
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