見出し画像

私も大概「宇宙人」だった

人間いろんな人がいるもんだ。

そういえば、アメリカにいた時は、人と違うことが当たり前だった。言葉もうまく伝わらなければ、価値観も違う。それでも、違うことが当たり前という前提で生活をしていたからこそ、違いを言及せずに、ただ目の前の相手を知ろうと努力をしていた気がする。


接客業の仕事をしていた時、うまく話が噛み合わないお客様がいて、落ち込んだりもした。その時に先輩から、話が通じないお客様は「宇宙人」だと思えば良いよ、と言われたことがある。ちょっと失礼かもしれないけど、うまく接客ができない時は、「きっと宇宙人なんですね〜」のスタンスで乗り切るようになった。

その頃から、良い意味でも悪い意味でも、自分には持っていない考え方をする人のことを、「宇宙人」だと思うようになった。

次第に宇宙人の面白さに気づき出す。宇宙人は何を考えているんだろう、どういう人生を歩んできたのだろう。自分には見えない、宇宙人が見てきた世界を教えてくれた。

それから何年か経ち、気づいたことがある。
それは、自分も「宇宙人」であるということだ。

私は世間一般で言う、普通の人間だと思っていた。枠からはみ出ない、普通の人種。

けれども「宇宙人」から見た私は、「宇宙人」だった。宇宙人の話を聞くたびに面白いなぁと感嘆する私を見て、宇宙人側もなにに感嘆しているのだろうと思っていたようだ。


私は毎年のように、来年はどこで何をしているのか私自身もわからないと口にしていた。そんな行き先もわからない人生を不安だと思う人もいれば、私はなんやかんやでこの生き方を楽しんでいる。

そう、私も大概「宇宙人」だった。
そう思うと、人と違うことで落ち込むことはなくなった。だって自分も宇宙人だもの、違うのは当たり前なんだよ、と。むしろその宇宙人加減が、自分の持ち味だと思えてきた。

この地球上に生存する限り、全員が宇宙人なんじゃないか。そう思えば、自分含めて世の中の人間みんな面白く見えてくる。

宇宙人を極めれば、それを魅力に感じる人がいる。そう思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?