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【創作】よく分からないふたり

疲れたとき、へこんだとき、ふと無力感にさいなまれたとき。
自分の中でも、言葉にして、そうと感じていないときでも、悠莉は必ず「スープのむ?」と聞いてくるのだった。

悠莉は、スープを毎日のむ。ある日は、卵を溶いたもの。ある日は、ソーセージの端を浮かべたもの。またある日は、コンソメのスープにウオッカを垂らしたものだった。夕飯を終え、その日の雑事を終え、日の変わるころにスープをのむ。悠莉のそれは、なにかの儀式のようだった。

そのスープを、こちらが少し元気のないときに勧めてくる。武久は、勧められたスープをのんだりのまなかったりした。そして、悠莉の「スープのむ?」の言葉を、武久は好いていた。

悠莉とは、同じ大学を同じ年に卒業し、今は近いところにお互いひとりで住んでいる。付き合いは5年近くになる。互いの家を頻繁に行き来するため、住居をまとめてしまった方がきっとやりやすいこともあるだろうが、このスタイルに慣れてしまった。「わざわざ」この慣れた環境と関係を変える必要はない、武久はそんな気がしている。

それに、悠莉には、よく分からないところがある、と武久は思う。
悠莉の書斎の机の上には、丸いブルーのトルコランプが置かれている。手元を照らす目的を、効率よく果たしてくれる形ではない。なにせ丸いし、ガラスの装飾が全体に施されているので、光があちこちに散ってしまう。それでも、頑として機能的な(それでいておしゃれなものもあるのに)スタンドライトにしようとはしなかった。
「もっと効率よく手元を照らすものがあるのに」と武久がいうと、「情緒が分からない人ね」と一蹴されてしまった。武久は、彼女の情緒をきっと、これからも理解することはないけれど、少なくとも、彼女のこだわりには、口出ししまいと思っている。

そんなことが他にもたくさんあったから、悠莉の生活や習慣に、疑問に思うことがあっても意見することに臆病になってしまった。また、情緒が分からないとか、分かりあえないと思われてしまっては、困る。

しかし、よく分からない、ということは武久を不安にさせる。

悠莉の好き嫌いは武久にとって、よく分からないことが多かった。フレーバーのついた紅茶を嫌ったが、海外製の香料のきついチョコレートを好んだ。人混みを嫌ったが、満席に近いレストランで食事をしたがった。同じベッドで寝るのを嫌ったが、暑いくらいにくっついてくることもあった。よく分からないことが多かったから、その度に「どうして?」と聞いた。それは、武久にとって、分かりにくい悠莉を理解するためだった。

悠莉はそう聞かれるたびに、
「あまり、どうして、どうしてと聞かないで」と困った顔をした。武久にはそれも分からなかった。一緒にいるために、理解していたかった。よく分からない相手といたんじゃあ、ちっとも安心できないと思った。だから、困っている悠莉に質問を続けた。悠莉はその場で考えて答えてくれた。
紅茶は香りのついていないのが基本形だけど、チョコレートはきつい香りがついていた方が元祖という感じがするから。人混みをぬいながら歩くのは大変だけど、食事は周りの話し声に埋もれていたほうがとりやすいから。寝ていられるような安全な場所ならくっついていなくても大丈夫だから。
悠莉の説明はその場しのぎのように思われ、武久は説明を受けてもよく分からないことが多かった。

それでも、武久の目に悠莉は魅力的にうつる。よく分からないことの多さに不安になることはあるけれど、一緒にいて面白いと思うこともある。今まで、武久は自分の行動や周囲の行動に、きちんと理由があるものと思っていた。けれども、もしかしたら、因果がまっすぐに繋がることの方が少ないのかもしれない。そう思った。

これを、武久は「女の人というのはみんなよく分からないことが多いものなのだ」という解釈をして納得しようかと思ったが、やめておいた。

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