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不可解で、不可能な気がする愛のトリック

「愛」という言葉を聞いて、何を連想しますか?
親の愛、恋人への愛、パートナーへの愛、親友への愛、兄弟への愛。
どれも愛。正解など何もありません。むしろ正解がわかりません(笑)

愛とはいつも不可解で、マスターすることが不可能な気がするからこそ、たくさんの学びを与えてくれるものなのではないかと思います。

例えば、私は長いこと恋愛の愛ということが分かりませんでした。(今も正直わかりません)
なんとなく一緒にいてもいいな〜という人とお付き合いをして、一緒にいるうちに「あれ、なんか違う…」という違和感に気づいてお別れすることを繰り返す。そんな10代、20代を過ごしてきました。正直いうと、真剣な恋愛は小学生の時に片思いしていた相手への純粋な愛がピークだったようにも思えます(苦笑)

そんな私も結婚や離婚ということを経て、やっと人を愛するということの理解の片鱗が見えてき始めたのは30代も半ばになったつい最近のことでした。

「愛とは与えるほどに嬉しいと感じれること」
というのが今の私の一つの答えです。

正直最初は、「本当の愛は無償の愛です。仏教でいう慈悲にあたります。お返しを期待しない愛。与えっぱなしの愛です。それ以外、愛とは言いません。」という瀬戸内寂聴さんが言っていた言葉を鵜呑みにしていたんです。
だから当時一方的に好きだと思い込んでいた人に、「愛とは無償だから、私はあなたが何をしてくれなくてもずっと好きでい続けるし、あなたのためならできることはなるべく何でもする!」などという重い爆弾を投げつけていました(今考えたら恐ろしい…)。これの言葉の重さにおののいた相手は、しばらくして私とのお別れを選択したのはいうまでもありません(笑)

もちろん、そうやって誰かの言葉を鵜呑みにして自分に当てはめていた時は、愛を与えるほどに嬉しいと思うどころか、虚しさで自分がいっぱいになって、いつも一人の家で泣いてばかりいました。「何で私ばかりこんな思いをしているんだろう」「いつになったら相手は私を愛してくれるのだろう」「きっといつか相手は私を好きになってくれるはずだ」など、妄想でいっぱいにして、現実を確かめることをずっと恐れていました。
つまり、当時の私は愛を与えていたのではなく、「私はこんなに愛して尽くしているのだから、その報酬をください!」という呪いをかけていたんですね(ひえ〜っ)

改めて考えてみれば、そんな怖すぎる呪いをかけられたら逃げられるに決まっているんですけど、恋愛の最中って本当に盲目になるので恐ろしいです…。

今、パートナーとの生活で思うのは、愛と信頼はセットなのだと思います。「私はあなたといると、居心地がいいし、これからもそうしていけそうな気がする。あなたのことを信頼しているよ〜」と体現し続けると、相手もそのセンサーを感じ取って、のびのびと過ごしてくれる。
そして、そののびのびした環境の中で、相手に愛を与えれば与えるほど、よりのびのびが増えていってお互いに喜びを感じられる、というループができている。「喜びが再生して循環し続ける」のが私の今の愛の定義です。

きっとこれからもたくさんの愛を発見して変化していく可能性はあります。何せ愛とは不可解で、不可能な気がするという謎の存在ですから。でもだからこそ、紐解くごとにうまみがある。
愛を遠ざけてしまっていると感じていたら、無理やり愛を引き寄せたり盲信するのではなくて、そんな自分ごとまるっと抱きしめてみてください。
愛においては、人生をかけてじっくり探していこうではないですか。

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