見出し画像

私にとって、家を出ることは役割から離れること

今日、実家を出た。高校を卒業した時に1度出たから、今回は2度目。

申し訳なさと同時に来る、救われたような気持ち。楽しみなような不安なようなごちゃごちゃした気持ちを抱えたまま新居に来てしまった。

「救われたような気持ち」は、家での役割から離れることからきているもの。


私が持っていた役割

家の中で誰かと誰かの間に立ったり、衝突が起きそうな時は事前に回避できるように立ち回ったり、ものすごく端的に言ってしまえばそんな役割。(よく言えば潤滑油とでも言うのか?)

自分でこの役割を意識したのは、小学校2年生の時。一緒に住んでいた祖父が亡くなったことがきっかけ。家族関係の歪みを感じ取ったあの時から、ずっと持っていた役割。誰に言われたわけでもなく始まって、ずっと手放さずに持ち続けてきた。私の生き方、家族の中での在り方そのもの。

最初に家を出た高校生の時までは、正直この在り方にそこまでの疑問は抱いていなくて。大人になって約10年振りに実家に帰って来てみたら、感じるものも全く違って息苦しさが増してしまった。外の世界をしったから、見えるものが増えてしまったような感覚。

私がいない間も家は回っていたし、いなくても大丈夫なことわかってる。わかっているし、この数年間耐えきれなくて発狂しそうになったりもしたけれど、私は黙ってこの役割を続けることを選んできた。手放すことを自分が許さなかったから。

離れてみる

根本的なことは何も変わっていないから、実家に帰った時は私はまたこの役割を続けると思う。それでも、日常からこの役割はなくなる。だから「離れる」が一番しっくりくる。

見なくて良いものを必要以上に見なくて良いこと、誰かのために心を砕きすぎなくて良いこと、まず自分が我慢すれば良いと思わなくて良いこと。全部、私は私自身に許しを出すことにする。


この未完了をどうするか

こういう問題の先にある願いって、大抵本音で話したいとか、分かり合いたいとか、そういったものな気がする。だけど今の時点で私は、今の気持ちを家族に話したい気持ちにはなっていないし、これがどうなったら完了したと思えるのかもわからない。わからないけど何でも良いからこの気持ちを消したい。そんな気持ち。

「未完了」の出来事と言われたら、どうしたってこの気持ちが1番に来る。もうしょうがない。どうやって付き合っていこうか?とにかく今日からの私は役割から離れたから、向き合いたい時にこの未完了と向き合うことにする。

この記事が参加している募集

今こんな気分

かつて人生の暗黒期でコーチングに出会い、"自分になる"を探求する旅を始めました🛳️いただいたサポートは自分らしい仕事や暮らしを実現するための活動に使用させていただきます。これからも私の等身大の旅を共有していきます✍️