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独断偏見音楽談義番外編・NOMELON NOLEMONライブレポ@2/19 神田スクエアホール / 【2ndワンマンライブ『24』 】について語るよ!

そこにいる全員、音楽が好き。昨年9月の1stワンマンライブ『シャッターチャンス』でも感じたことだけれど、ノーメロのライブ会場に行くと、その空間にいる全員が音楽を好きなんだろうということが伝わってくる。
開演前に最終の音出しが聞こえてきた瞬間の、フロアが僅かにふわっと浮き足立つ雰囲気だとか、ちらりと横を見たときに手をステージの2人に向けて伸ばす手がこんなにもあることだとか。そういう音楽を愛する風景の一部に今回もなれたのが本当に嬉しくて、ライブ中何度も「これ、こんなに楽しいけれど夢じゃないよね、現実なんだよね」と切なくて愛おしくて胸と鼻の奥がぎゅっと絞られる心地がした。

何をテーマにレポというか感想を書こうか少し悩んだけれど、今回の記事は『24』を通して彼らが伝えようとしてくれた思いにフォーカスして私個人が感じたことを綴ってみたい。(ライブからあまりにも時間が経ってしまったが……)


2ndワンマンライブ『24』・ライブタイトルに込められた意味

NOMELON NOLEMONライブレポ@2/19 神田スクエアホール / 【2ndワンマンライブ『24』セトリ

今回は全部で16曲(内1曲同じ曲)。セトリはツミキさんのツイートを引用させていただく。
「cocoon」が最初と最後の曲を飾るという特徴的な構成になっている。

なぜ最初と最後が同じ曲なのか。
まず、今回の『24』というのは一日が24時間である時間の流れを指しており、MCで語られた「皆仕事や課題や納期、そういうものに追われる日々の中で、時間の流れを感じなくなってないだろうか。だから、時間が流れているって事を感じてもらいたかった(意訳)」というツミキさんの言葉があった。

なるほどな、と思った。というのも、個人的に私は最近少し忙しくしていて、朝起きて仕事に行って帰って書類を作成してメールの返信をしてご飯食べて風呂入ってスマホ見て寝る、という生活を平日は繰り返している。そうしていると1週間って本当にあっという間で、気づくと1ヶ月が終わっているのだ。
毎日は正直味気ないしこんなもんかと思って過ごしてはいるけれど、そのどこか感じるやるせなさの正体が時間の流れに対する自分の感覚の鈍化だったことには思い至らなくて、だから今回のライブが久しぶりに時間の流れを体感させてくれたし、モノクロになっていた日常に色が息を吹き返した。

昨年の『シャッターチャンス』ではおっかなびっくり伸ばしていた腕は最初から伸びきっていたし、マスク着用の上で解禁になった声出しも「ゴー・トゥ・へヴン」の振り付けも踊って、満足100%の時間を過ごした。久しぶりに自分の中に血が流れている感覚がして、生きるってこういうことだなあと思った。

ちなみに前回『シャッターチャンス』のレポはこちら。


2ndワンマンライブ『24』・セトリに見る「時間の流れ」

セトリは朝、昼、夜の時間の流れを感じさせる曲の構成になっている。3ヶ月連続で配信された朝をイメージした「透明水曜日」「プーループ」、昼の「ダダ」「ゴー・トゥー・へヴン」、夜がモチーフの「バッド・ラヴ」「moonshadow」が今回のライブの肝であり、曲以外にもそれぞれの時間を感じさせる仕掛けがたくさん。
特に2人の衣装替えはその一つだっただろう。みきまりあちゃんは白いワンピース?のようなガウン→カラフルな色使いのセットアップ→スパンコールの眩しいドレスというように、それぞれの時間帯で行う活動を想起させる衣装を見るのは目にも楽しくて、音以外にも楽しませてくれる仕掛けをしてくれるのが嬉しい。

「透明水曜日」でのワンシーン。朝を思わせる爽やかな白が眩しい。
ビビッドな"夜"の幕開けは「バッド・ラヴ」で。

全曲の披露が終わった後、スタッフロールの背景で変化していく映像(?)もその要素。オレンジ色の夕暮れが紫色を深めて夜空になり朝が来て青空が……という内容だった。

ライブは音で楽しむのはもちろんだと思うけれど、時間の変化を視覚でも届けるというありそうでなかった表現に着目し、ファンに届けてくれるノーメロの姿勢はどこまでも日常に等身大なのだと思った構成になっていた。

夢のようで実在する現実に交差した”私たち”

今回私はずっとツミキさんの言葉に感動しっぱなしなんだけれど、特に印象に残っている言葉に「孤独にさせない、誰一人も(意訳)」というものがある。

突然哲学のようなことを語り出して申し訳ないんだけれど、私は人間は一人で生きて死ぬものだと思っている。どんなに家族や友人、恋人がいたって私たる人間は私一人しかいなくて、その私が考えていることは私ただ一人にしか知る術がない。100%の理解者なんていない、という意味の「孤独」だ。
誰かと話して交流を深めるのが苦手な性格もあって、私は常に私の内面を社会と相対化し、その行為を通じて自分の内面に異質さを認めてきた。どこにいても、私は透明で「見えない」化された存在なんだと諦めてきた部分がある。
様々に価値観が存在し、すべてが正解で間違いでもある現代における生きることの難しさを日々感じている。それでも、自分の意志と力で今と未来を選択して歩いて行ける人間になりたい。だけど、その壮大すぎる目標はときどき疲れて足を止めかけたときにものすごく疲労を感じさせて、それと同時に胸を支配する感情が「孤独」なのだ。自分の意志で生きることの難しさ、それが私にとっての「孤独」。大切だけれどガラスの破片のように鋭い。繊細と自立、それを煮詰めた感情が「孤独」だ。

自分のことを全部わかってくれる人間なんてこの世に存在しないとわかっていても、何かに縋りたいという気持ちを消せないでいる。有り余る「孤独」を埋めて欲しいと思って生きてきてしまった。
前置きが長くなったけれど、そんな私にとって「孤独にさせない」という言葉は、生まれてから聞いた言葉の中で一番力強くて安心させてくれるものだった(もちろんこの言葉に私の人生全てを預けてしまうような幼稚な縋り方はしたくない。あくまでも自分の気持ちがくじけそうなときに腕を引っ張り上げてくれる「きっかけ」として頼りたいと思った)。
「孤独にさせない」という言葉は『シャッターチャンス』でも言っていた「誰かの心に寄り添える曲が作りたい」という言葉と直結しているのだろう。彼らの音楽と言葉に救われた私がいるように、私以外にも彼らの音楽と言葉に救われている人がきっといる。いるんじゃないか。きっといる。

あの日あの会場で交差した熱を携えて、私は今日も生きている。あの日撮ったたくさんの写真、今回をきっかけに出会った友達と今日も繋がっているSNS。どれもが『24』が一瞬で消えてしまう夢ではなかったことの証明だ。それぞれの日々を積み重ねて辿り着いた『24』という日を起点にまたそれぞれの日々を重ねて、また彼らの音楽をどこかの会場で楽しむことができますように。

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