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1825

お花を渡す機会が多い2023年。その度に「道のりと時間を花束に変えて 君に渡せたらいい」というフレーズを思い出す。

「道のりと時間を花束に変えて 君に渡せたらいい」というフレーズを耳にする機会が多い2023年。3月末までは毎朝聴いていたし、生でも3回聴いた。その度にお花を渡した瞬間を思い出す。

直接言葉で思いを伝えることが一番大切なのは分かっているけど、やっぱり恥ずかしいが勝ってしまう。正直後悔することもあるけど、後悔しないように私は行動で伝えよう、と。伝わっているとはとても思えないので、いつも自己満足止まり。

そのひとつが 相手にお花を選ぶこと、

前述の「道のりと〜」のフレーズだが、このフレーズを考えた張本人は、この1行で 楽曲のタイトルを決めた、と何らかの媒体で発言していた。そのタイトルが、私は好きだ。

そのタイトル通りの言葉を伝えようと思うときは特に、お花を選ぶ。

(恋 ときくと 対象は 特定のひとり に思いがちだ。一方、愛 ときくと  「(植物や子どもを)愛情を込めて育てる」にもあるように 対象が不特定多数 のように思える。私の 日本語における 恋 と 愛 の違いは そこにある。かといって「愛してる」は 余りに漢字から得られる力がダイレクトすぎて私には恥ずかしい。恋 も 愛 も 英語にすると love だから 日本語での あの違いを表現出来ない。日本語と英語の互換性が常では無いことが、私はものすごく悔しい。だから、互換できないところを互換させるためのカタカナなのだろう。少々の強引さも感じるが、カタカナって上手いなあ と私は脱帽した。文字相手に、しかも主観でしかないのに。)


恥ずかしくて素直になれない不器用さも、
無理矢理 表そうとする若干の雑さも、
「好きです」という気持ちも、
受け止めてくれ。受け取れとは言わん。
受け止めて返された時の覚悟はできている。

ここまで含めて花束を渡す私は、
いわゆる「重い」人間で呆れる。


"どんな言葉が願いが景色が
君を笑顔に幸せにするだろう
地図なんかないけど歩いて探して
君に渡せたらいい"

私と貴方たちは直接的なも間接的にも「渡せる」関係ではないので。
直接渡してくれる誰かが周りに少しでもたくさんいますように。渡せないけど 歩いて探した人がたくさんいたこと、多くの人が歩いて探して 更には見つけていたこと、いつか5人に届きますように。

1825日の道のりと時間を花束に変えて。



最後に一言、


アイラブユー

2023.05.22

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