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春の跡

前を向いて歩けない。
前を向いて歩くと高確率で向かいあう人と目が合う。目が合うのはなんだかこわい。なんでだろうね、どうしたらいいか分からなくなるから?すぐに目を逸らす。前を向いて歩けないから大切なことに気がつけないまま通り過ぎてしまう。

人とうまく話せない。
今忙しそうだからあまり話しかけない方がいいかなとか簡潔に伝えた方がいいかなとか無駄に考えて話せなくなる。そして後からこれも話せばよかったとかあの時はああ伝えたかったとか思い返して反省する。この繰り返し。実行するのは難しい。

正体不明の不安に襲われることがある。
音楽を聴いたり、他愛もない話をしたり、おいしいものを食べたりしてどうにかしようとする。それらをしている間はなんとなく正体不明の不安は消える。なんとなく。一瞬でも隙があると入りこんできて瞬く間に正体不明の不安が離してくれなくなる。ライブを観に行っても静かな時間があると途端に不安が頭をよぎってくるしくなる。

大体のことは結局どうにかなる。複雑にみえるものは案外単純だったりする。考えすぎてもしょうがない。前を向いて歩けないこと、人とうまく話せないこと、正体不明の不安に襲われることがあってもどうにか日々は乗り越えられる。乗り越えている。分かってる。

「 やさしすぎるからもっと我儘になってもいい 悩まなくていい 」

あたたかい春の日に言われたことば。
忘れられない、忘れたくないことば。

わたしのやさしさの一部には"嫌われるのがこわいから"が含まれていて、それは真のやさしさではないと思っていた。でもこの時は"嫌われるのがこわいから"が含まれていてもそれはやさしさだと言われている気がした。前を向いて歩けないこと、人とうまく話せないこと、正体不明の不安に襲われること、真のやさしさを持てないこと。悩んでいたことを知っていたのかな。

このやさしさの本当の意味はもう知ることができない。
聞けなかった。聞かなかった。

やさしさの本当の意味は分からないままでもいい。このことばに何度も救われて、このことばと日々を乗り越えている。

それでもまだしばらくはまっすぐに春を好きになることはできないのかもしれない。いまだにもうどこを探しても見つけることができないこのことばの跡を探してしまうし、あのあたたかい春の日に戻りたくなる。


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