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物語が生まれる【エッセイ】

こんにちは。北国陽真梨です。
この文章が誰かに届くのかどうか、まだ分からないけれどここに初めてエッセイというものを残そうと思います。

これは、私がこのnoteを始めて、文章を生み出そうと思った訳を書いた、私のひとりごとです。私のつぶやきに耳を傾けてくださる方がいらっしゃったら、とてもうれしく思います。

 私はまだ学生です。私は、物語を作るということは昔から好きでした。小学生の頃は本当に飽きもせず文章を連ねていたものです(専ら冒険ものとか、魔法とか…)。一歩ずつ大人に近づくにつれて小説を描くことが少なくなりました。他に興味を持つものが増えて、周りにも物語を作る友人が減っていって、自然に流れるようにその時間は減ったのです。しかし、私はどうしても物語を考えること、こんなお話が生まれたらと想像を膨らませることから離れることができませんでした。絵を描くことも大好きなので、漫画なんかを作りたいと思うことも多々あるのです。
 私は大した文章を作れません。もちろん客観的に誰かに評価をされたことも小学生以来無いので、確証があるわけではありません。しかし私は明らかに物語との出会いが多くないので刺激が少ないことが自信の無さにつながってしまっています。私は、自分が生み出した自分のキャラクターたちを自由に走り回せたい思いで、物語を作っています。まだnoteには唐突に浮かんだ「やる気なし子」と言うワードから思いを馳せて生み出したショートストーリーしか挙げていませんが、かなりの数の物語の構想を、日々練っているところです。私は、「面白い」文章を生み出すスキルも読みやすく美しい日本語を描く自信も持ち合わせていませんが、アイデアだけはあると自負しております。ふと浮かぶことばと、キャラクター。それらだけで何となく物語の世界が頭の中に広がるのです。私はその世界を文章上に再現したくて物語を作るのです。
 そして、その世界が誰かに届いたときに、その人の心に温かさを送り届けたいのです。私はアウトプットの欲求ばかり大きいですが、もちろん物語に出会うことは好きなのです。かつて心が苦しいときに、漫画や小説、アニメや映画に救われたことがあります。素晴らしい名言があったわけでもない。ただ、キャラクターたちが私を受け入れてくれる気がして温かくなったのです。本の中でキャラクターが笑うこと、季節が流れて誰かが生きていく事、それだけで人の寂しさは埋まるのです。

私は、私の拙い文章がもしかしたら誰かの心に光となって差し込めるかもしれないと思うと、物語を作らずにはいられないのです。

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