ムカついたことを書く

おじいちゃんと話してムカついたことがある。
大事なことだから書く。

私の将来について話していたときだ。私は最近自分のしたいことを考えて、その結果、将来に残していきたいものを決めた。心理と音楽だ。
それぞれ厳しい道だと思う。特に音楽なんてそう。一握りの人間だけが残る、その前に売れるか売れないかなんて神のみぞしるところ。心理だって、それで生きていけるかなんて分からない。分からないけど頑張れる、それが大事だと思う。自分なりにできるかできないかではなく、やりたいもので選んだつもりだ。最大限尽くせるものを、最大限幸せだって選んだもの。それに文句をつけるなんて許さない。

ただ意見ならいい。一度だって、今回だって三度は確実に聞いたのだ。
私の意見を聞かず、それ以上に何がある。何か言われなければならない?座らされなければならない?聞かなければいけないことか?心配と応援、受け取ったのだ。
老婆心だと思って聞いてくれたらいい?そんなもの関係ない。そんなもののために私は人の話を聞いてない。

感謝しているか?と言われた。私は恵まれているぞと言われた。
おじいちゃんの同級生にいるお金持ち人の話、親戚のパートナーに先立たれ生計が怪しい人の話、眞子様の結婚はバランスが悪いとの話、新聞記事に乗っていた片親で進学が難しいという人の話。
世の中にはこんなに恵まれていない人がいる、危ない、と。『可哀想な人』、脱線するが、この世にそんなレッテルの人はいない。本人が言うならまだしも、他人が言うのは違うだろ。人の人生にとやかく言う、蔑む資格はあなたにない。私にもない。それは愛に似せた違うものだ。非常にびっくりした、本気でそれを言うおじいちゃんの神経を理解できない。
おじいちゃんがどういう家庭で育ちどんな仕事をしていたのか、なぜそんな言葉が出てくるのかの背景は1ミリくらい理解してるつもりだけど、さすがにそれで共感したくない言葉だ。

私のこの道を不幸だと言うおじいちゃんは、私の何を知っているのか。
まるで感謝していないとでも言うような、恵まれていることが分かったらそんなことしないだろうと言う口ぶりは、私を侮辱している。

私は恵まれている。だから、今あるものにこれでもかと感謝し、自分が生きている、そのことを受け取ってこの道を決断している。

心理と音楽は、私の中で揺るがせない二大巨塔だ。
私を苦しめたのは心理。それをしたいと言うとは思っていなかった。音楽をすると決めた時は捨てるのだと思っていた。それを仕事にすると宣言することは自分でも音楽以上に気合がいることだった。

自己主張でもあり、どちらも誰かに貢献していることでもある。どちらも、比べようもなく私に宝物を見せる、大切な宝石箱だ。

『二兎を追うものは一兎も得ず。』

図らずしも神様は私に『音楽』を先に魅せた。将来を決める大事な瞬間に。その後に心理だった。これ一つだけでもう危なっかしいんだから、一つにして欲しいと自分に願うところだ。
心理だってそれで生きていけるか分からない。自分のことだからこれだけ根を曲げないので、心理だって今も言えば「オンライン以外はしたくない」「好きな人と働きたい(≒サポートしたい)」「1対1の対話をしたい」だ。まあまあワガママだ。しかしこれがしたいのだ・・・。
自分には愛想を尽かしたいが、可愛いのだから仕方ない。どれだけ影として逃げようとしても無駄なのだ。本体がびくとも動かない。

もう少し神様というか自分も、安定した思考をしたらいいのだけれど。私だって願っている、早く安定してほしい、衣食住の不安は無くして欲しい。
欲もある。旅行はしたいし海外留学はしたい、ご飯もたくさん食べたい。
しかし、渡りたくて渡るのだ。こんな危なかっしい橋。

自分には不安だが、将来を信じてる。間違いなく未来を信じてる。
自分にはできる。無理やりにでも切り拓くから。

『二兎を追うものは一兎も得ず。』

これは自分が迷ったときに自分に出た言葉だ。おじいちゃんにも言われたのは同じ思考してる、と笑った。

自分が音楽の次に『心理』と出たときは(今の仕事を極めて続けていくということ)本当にたまげた。これ(音楽)だけで充分だろう。どうして?わたし壊れるんじゃないかと本気で思った。本気なものを二つも抱えて、やっていける?後悔はしない?

キャリアコンサルタントという資格を見つけたときはすげぇと思った。今やりたいこと、やっていることが書いてある。どうしても仕事にしていくときに自分には必要だと思った。これが何になるかは分からないけれど、直感は言っている、必要だと。そして燃えた。
これだという直感は間違えないので、相当厳しい道になるんでしょう。ただで楽な道を紹介する直感さんではない。

自分のしたいを尊重する、これだけ迷って決めたのだ。私の心は迷いなくなく私に最後「生きるか」と問うた。こんなに泣いてんのにひどいなぁと思ったが、大事な時に言ってくるその覚悟は好きだ。やるかやらないかで、自分が楽しんでやってることが人生の中身に反映されてくるのではないか?

脱線したところで。私が説明しても、私の人生の話なのに、私の大事なことを何かも聞かずに、応援だと言ってずっと自分の話をしてくるのは、流石にひどいんじゃないでしょうか?目の前にいる私、顔歪んでますが。
「私のため」と言って誰の応援をしたいのでしょう。
私の人生についての話なので、やめてと言った時にやめてください。
そして私が言ったことをしないって、伝わってないって大好きなお父さんを巻き込まないでください。


話を聞いた上で自分の人生に対する意見を言って、もう一度聞けと言われるのは、一方的で心無い対話です。
「私のことを想うならあとは応援しててくれ、分からないなら何も言わないでくれ。」
そう言った私の想い、悲鳴です。

精一杯頑張る。後悔はしたくない。一度なんだ、人生。



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