2.小学校時代

 小学校に上がると幼稚園以上に女の子は女の子と、男の子は男の子と行動する、という構図ができあがっていて、特に女の子は数人のグループを作って行動したがっていた。僕はそれが理解できず、どちらかというと男の子と同じようにグループは作らず必要があれば誰かと接する、というタイプだった。

 それでも一緒に行動したがる女の子がいて、酷いときにはトイレに付き合わされた。トイレが怖いらしかった彼女は、僕についてきてくれといい、トイレの戸をちゃんと閉めもせずに小用を足していた。僕には全く理解できなかった。僕はトイレが怖くなかったし、他の子たちも含め連れ立ってトイレに行く心理というものが、本当の本当にわからなかった。

 当時僕は自分をボーイッシュな女の子だと思っていたフシがある。生物学的には女だったし、男の体は兄と父のそれを風呂で見るくらいしか機会がなかった。といっても年齢が年齢なのでちんこがあるかないかくらいしか差はなかったし、僕はそもそも性別というものに頓着がなく、正確にはちんこがない男だと思っていた気もする。

 あるとき、多分学芸会か何かの控え時間だったと思うが、ある教室に僕と女の子が一人、男の子が一人の三人でいた時間があった。その男の子はのちに問題児となり中学三年の時に「推薦で高校に行こうと思うも内申が悪すぎて当然推薦してもらえない」という馬鹿だったのだが、既に当時から問題があった様で、僕と女の子、つまり女の子が二人と自分だけという空間におかしくなってしまったらしかった。

 どういうことかというと、彼はなんと、僕と女の子の見ている目の前でズボンとパンツを脱いだのだ。露出狂である。小学生の時分からそんな性癖に目覚めるなんて、今であれば色々と心配になるのだが、当時はそれに対してどう反応していいかわからず、隣の女の子に倣った。つまり悲鳴を上げて教室を逃げ出したのである。

 こういうことはこれだけじゃなかった。

 多分中学年くらいだったと思う。三つ年上の兄は、よく友人を家に連れて来ていた。未だに強烈に印象に残っているのだが、やたらにやついた、ちょっと色黒の男が兄の友人の中にいた。

 そのときは兄とその友人と僕だけが家にいた。兄の友人がトイレに行き、僕は多分、自分の部屋へ行こうとしていたと思う。トイレは階段の前にあり、僕の部屋は二階にあって、僕はトイレの前に居た。すると兄の友人が、戸を開けてくれ!といった。

 どうしたのだろうと思って開けると、そこにはにやにやしながら局部を露出した変質者がいた。僕はその顔が怖くて兄の元へ逃げ、異変を察知した兄にどうしたかと問われるも「兄の友人が変質者」だとはいえずただ黙っていた(ような気がする)。気付いたらその変質者はうちには来なくなっていた。

 性被害(?)じみたことはこれだけだったが、高学年からつらいことがあった。いじめである。二年ごとにクラス替えがあり、五年生で初めて同じクラスになったボス猿に目を付けられたのだ。僕は小学校一年の秋くらいから徐々に太り始めて、当時からもうかなりのデブだった。それで目を付けられたのかもしれないし、成績がよかったからかもしれないし、友達が多くて妬ましかったのかもしれない。そいつはのちにいい高校に進学するが問題を起こして退学、通信に転入したと風の噂で聞いた。弟はよい子だったので悪い影響を受けていなければいいのだが。

 かなりひどい言葉を向けられたし、男の子は七割方そいつの子分みたいな感じだったので男の子はほぼ敵だった。女の子は概ね味方だったが、勘違いチャンもいたり、中にはボス猿におもねる様な者もいて、色々と面倒な部分が多かった。中学のときに話は飛ぶが、手首を捻って包帯をしていくと「リスカww」みたいなことをいう女の子がいた。その子はのちに家庭の事情もあって殆ど学校に来なくなり、なんでも薬のせいで起きられないとかいう話も聞いたが、まあつまりろくでもない生活を送ったらしい。

 小学生のときか中学生のときか定かではないが、一方的にいじめられているのに「和解しなさい」と教師にいわれたこともある。握手させられ、悪くもない僕が謝らせられ、相手も一応謝罪して、しかし三日ともたなかった覚えがある。

 これは多分小学生のときだったと思うが、ボス猿にこんなことをいわれた。「お前が女じゃなかったら暴力を振るっていた」と。何が彼にそうまでいわせたのかはわからないが、僕はただ、女と思われている事が悲しかった。

 あとこれも小学生の時か中学生のときか定かではないが、僕が体調不良か何かで休んだ際、僕を悪しざまにいう男の子たちに怒ってくれた女の子がいたそうだ。僕はもう彼女の名前も覚えていないが、遅刻寸前で登校しているときにたまたま会い、遅刻常習犯の彼女と一緒に、ゆっくり歩いて登校して遅刻した思い出がある。

 あと小学生時代のことといえば、この頃から特に祖母に「女の子なんだから○○しなさい」「女の子らしくしなさい」といわれて、反吐が出る思いだったことである。「女の子なんだから料理を手伝いなさい」とか、それは「女の子だからしなくてはいけないこと」か? そんなだから三十五歳になった兄は未だに袋ラーメンと卵焼きを作るのが精々なんだぞ。

 それから虐待に近い躾があった。真冬に薄着で玄関に出されたし、怒鳴られるのは当然、叩かれるのも当たり前だった。悪ガキだった僕も僕なのだが、それで余計に反発したようなところがある。僕は「なぜそうしてはいけないのか」「なぜそれをしてはいけないのか」を説明してもらえず、ただ「やめろ」とだけいわれて、納得がいかなかったのだ。

 それに、「なぜそうしたのか」と問うから理由を説明しようとすると、「言い訳をするな」と怒鳴られた。理不尽である。ひたすらに「謝れ」と謝罪を強要されもした。だから大人になった僕は、例えば母が何か失敗をしたとき、言い訳をして謝罪をしない事が大半なので、「まず謝れ。俺はそうして教えられてきたんだが?」ということにしている。

 何なら暴力に訴えてもいいのだが(そうされて育ったので)、僕は理由も無く弱者に対して一方的に暴力を振るうやつはクズだと思っているので、DVだけはしなかったし、これからもする予定はない。

 ちなみに中学校は学区が変わらないので面子もほとんど変わらず、中学への進学は、僕の助けには全くならなかった。

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