28.憤慨を通り越して呆れ果てています

 「LGBT法案」

 通りませんでしたね。反対理由は「道徳的に認められないから」。更にその理由が「種の保存」。

 こっからは僕の超超超個人的意見なので、反論異論あるかと思いますが、とにかくいいたいことを書き殴ります。

 「種の保存」の観点から「同性カップルは認められない」(恐らく生殖能力が無くなる「性転換(トランス)」も同じく認められないだろう)、というが、じゃあ、男女のカップル(夫婦)でも、不妊のカップルはどうなるんだろう。治療を選択しない人達、治療をしたが無理だった人達、治療の手段がそもそもない人達もいるだろう。そういう人達も、「道徳的に認められない」んだろうか。選択的に子供を持たない家庭だってある。そういう人達も、「道徳的に認められない」んだろうか。じゃあ、そういう人達はどうして「夫婦になれる」んだろう。「夫婦を継続できる」んだろう。妊娠できない、射精できず/できても妊娠させる能力がない、そういう人達は「道徳的に認められない」のでは?

 自然界に生息する動物達にだって、同性愛行動は見られる。それなのに、なぜ人間となるとそれが許されないのか。

 「MTFが大会で女性として出てメダルを取るのは不条理だから」という旨の発言をテレビで見た。目玉ドコー。

 日本人はそもそも、社会的性別と生物学的性別をごっちゃにし過ぎている。

 「身体的なものを競う場合は生物学的性別を基準にする」とすればいい話ではないだろうか。なんなら全部男女混合競技にでもしてしまえばいいのでは(暴論)。

 特にトランスの話になってしまうが、「性転換をしたい」とまで思っている人は実は大多数ではないのだ。あくまで「性自認が生物学的性別と乖離している」だけで、「身体の性別を性自認に適合させたい」人ばかりではない。僕の場合でいうと「勿論男性体になれるのならなりたいが、最低限社会的に男性と認められればそれでいい(ただし生理は死ぬほど鬱なのでホル注はしたい)」タイプである。

 ただ、社会的に自認する性で認められるには「性転換が手っ取り早い」のは事実である。それはこの国が「見た目(=生物学的性別)で判断する」からだ。

 それから同性愛者は「性自認は生物学的性別と乖離していない」ので、「MTFだから女性として大会に出たい」という話にはならない。論点がずれている。

 まあ、「FTMゲイ」とか、「性自認が生物学的性別とは乖離した上でのLGB」もいるにはいるが。

 極端な話、「社会的性別と生物学的性別を切り離して」考えて欲しいのだ。「役割性を男女に限らず両性・中性も認め」、結婚という「社会的契約」を「性別に拘らずにできるようにして欲しい」のだ。あと「女性はスカートしか認めない」タイプの制服とか「女性は化粧をするのが社会的マナー」という意味の分からない風潮とか「男が化粧するのは変」みたいなイメージを変えろ。

 GID当事者としては、「生殖能力がない」ことが「戸籍上の性別変更の条件」であることも意味がわからない。生殖能力がない人間は「認められない」のではないのだろうか。認められない人間の戸籍はどうでもいい(から変えられる)ってことですか?

 診断書があれば充分戸籍変更の理由になるし、根拠にもなると思うのだが、そうじゃないのだろうか。「変更後に妊娠が判明すると問題だから」みたいなことをいうが、そもそもその考えがおかしくないだろうか。男性では「ママ」になれないのか。女性では「パパ」になれないのか。そんな考えだから「同性カップルが認められない」なんて思考になってしまうのではないか。

 「役割性」と「生物学的性別」は、わけて考えるべきである、という話でした。

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