【備忘録1】ていねいに無駄なく生きたい 個人編

一見矛盾してそうな
『ていねいに無駄なく生きる』
が私のここ数年の目標である

そもそもその目標を心に持ったのは京都にある
とある器と喫茶室のあるお店で働いたことがきっかけである。

その店の開店準備は至ってシンプルだ。

きっと十数年使われているであろうほうきで店内を掃く。そして外用のほうきに持ち変え、店の外を掃く。終わるとお手洗いと店内の二箇所でお香を焚く。香りは何種類か陶器の入れ物にあり好きなものを選ぶ。その後喫茶室のテーブルを拭き、砂糖入れの中の砂糖が固まらないよう数回かき混ぜメニューとともにテーブルに。店主がお店までの道中で見つけたお花や枝物が生けられてあれば水を変え、最後に竹と生成りの生地で簡単に作られたのれんを取り開店を迎える。

時間にして15分もあればできるこの一連の作業。

ここで初めに私が驚いたのは使われているものが掃除機でもなく、芳香剤でもなく、小包装された砂糖を都度出すわけでもなく、毎日花屋のお花を生けるわけでもなく、シャッターでもないことだ。

便利になった世の中にはいろんなものが溢れているが、意外とそれらには便利以外のメリットはなかったりする。先程の開店準備はお金もかからないし大して時間もかからない。

そんな暮らしをできたら生活が満たされそうな気がした。手間はかかりそうで、大変ではあるが手間とお金・時間は意外と比例しない為、丁寧な生活を心がけようとした。
(もちろん比例するものも沢山ある。例えば私の愛用しているフィルムカメラはまさにそうだ。この話もまたいずれ)

ここからはどうして『無駄なく』が加わったのか。

そんなある時、客として見ていても丁寧な暮らしをしているだろうと感じたお店で働いていた知人と話していた時にハッとさせられた事がある。
『あのお店のご家族はお味噌を手作りするけど丸亀製麺にも行くんです!』

それまで、丁寧に暮らすことは非常に困難であると考えていたがただ取捨選択が上手く、日常化できると非常に効率が良いという事に気がついた。そしてそれは精神衛生的にも良い。
(丸亀製麺ごめんなさい)
(個人的には釜揚げうどんを生姜と天かすたっぷりで食べるのが好きです)

つまりていねいに無駄なく生きている人はその時々の取捨選択が上手く、『利便性』『手間をかける』の塩梅が非常にバランスが良い。心に余裕がないとそんなことはできない。なんとも私の目指すところである。

そうして『ていねいに無駄なく生きる』
それが私の当面の目標となった。

ただ困ったことに無駄をなくすことは“超”がつくほどのせっかちな私の得意分野であるが、丁寧に生きる思考を備えている人間ではない。無意識に味噌を作ろうと思えないし、ほうきを買えないし、お香も焚けない。

つまり知恵を蓄えること、それを実践することがそれでも丁寧に生きたいと思ってしまう私にとって大切なことなのだろう。

そう思って『天然生活』という雑誌を意気込んで買った。

ページを開けるなり
4:30 起床 白湯を作る
との記載があった。

実践できず一年が経とうとしている。


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