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今を生きる

2023年、桜が散り始めた3月の終わり。
私と名前が同じの、ある患者様が永遠の眠りについた。

訪問は週3回。少しの認知力は低下しているものの
私の顔を忘れることなく、
「あなたは本当に25歳には見えない。一見しっかり者そうなのに、子供っぽい笑顔をするのね。」と話す口元はいつも緩んで、私以上に子供っぽい笑顔を放していた。

癌末期には思えないほど元気で、
1人で買い物に行き、体操をする。
お風呂もトイレも自立して、
レコードを聴きながら、花に水やりをしている。
皮膚が乾燥していないか、軟膏を塗布するよ、と
衣服を脱ぎ着するのも恥ずかしいと仰っていた。
「私、本当に癌なの?」とよく笑い、
隣の部屋の方と食堂でたくさん食べる。

家族は娘1人。
仕事で忙しく面会に来るのは3ヶ月に1度ほどだった。
「あなたの方がよく会ってる、本当の娘のようね。」
私も、自分の祖母に会うのは帰省した時なので、
彼女が第二の祖母だった。


あの日もいつものように
「次私が来るの10日後だよ。しっかりご飯食べてね!」
「食欲はすごいんだから!太って待ってるわね。」
と会話したところだ。
自分の予定で1週間休みをいただいた。
10日後、訪問した時には
全身大量の管で繋がれた彼女が眠っていた。

医師より、長くて1週間だと。
先輩から、癌は一気に進行すると伝えられていたが、
そんな、さすがに、こんなことあるの?と。

目が開かない僅かな意識の中、うっすら涙が落ちる。
彼女の涙を見て、私はそっと俯いた。
「深入りするな」
プロの看護師は、ここで感情を出さない。と聞いたことがあるが、それが本当にプロなのか?
涙を出さないことがプロなのか?
考えようとしたがそんな隙も無かった。
娘様が帰室した後、彼女の手を取り
溢れ出す涙を止められなかった。

その日から、訪問は毎日に変わった。
私の手を握る彼女の力は日に日に弱くなる。
声をかけても反応は無くなる。
変形してゆく彼女の身体に、増えてゆく管。
体温はあるのにただ其処で静かに眠っているだけ。

きっと、私の声は届いている。ただ返事がないだけ。
「今日はよく晴れているよ。」
「窓から綺麗な桜が見えるよ。」
「教わったレシピでお弁当作ったの。」

半年前「私の息が途切れるまで、点滴も酸素も。やれることは全てやってね。私最後まで頑張るから、諦めないよ。あなたに見せつけてやるわね。」と得意げな顔で話す彼女と、必ず支えるからと約束したことを思い出す。

もう少し、もう少し頑張ろうね。大丈夫よ。
何度も繰り返し話した。
返答が返ってくることは一度もなかった。

死を待つ時間というものはなんとも残酷で悔しかった。
永遠の命など無いこと、私が1番知っている。
そしていつかは来る悲しい別れがこんなにも
突然襲ってくるのかと、分かっていたはずなのに。

顔面蒼白な彼女に、半年前の元気はもう無かっただろうか。頑張ろう、大丈夫、なんて綺麗事言わなければ良かったかな。点滴も酸素も苦しかっただろう。
最後くらい、何も気にせず痛い思いもせず、
眠っていたかっただろうか。

正しい別れ方は分からなかった。

きっと彼女も、まさかこんな突然動けなくなるとは思ってもいなかっただろう。
死は前触れも無く突然目の前に現れる。
私はただ、今日を生きていただけ。
もしかしたら明日消えるかもしれない。
明日も明後日も生きている保証なんてどこにもない。
今日の後悔を明日に持ち越してはいけない。

命とは、本当に脆く、容易に消えてしまう。
人も時間も戻らない。

ただ、今日死なずにいただけ、
ただ、今日を生きていただけ。
命とは、ただそれだけのこと。

見ててね、私もやれること、全部やるからね。


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