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大山祇神社

日本という国はいくつかの島で成り立っています
 
そんな島国の日本には「神の島」と呼ばれる場所がいくつかあります
 
島そのものが信仰の対象となっています
 
では、神の島とは、一体どんな場所なのでしょうか?


今回は「神の島」の一つ、

愛媛県 大三島にある大山祇神社について話をしましょう

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愛媛県の最北端、瀬戸内海の中央にある大三島は「神の島」と呼ばれています。
 
 
大三島という地名の由来は伊予国一宮、大山祇神社からきています


もともと三島神社の総本社である大山祇神社のことを

「大三島」と呼んでおり、後にそれが島全体を指す様になったと言われています
 
 
 
大山祇神社の神紋は「隅切折敷縮三文字」-すみきりおしきちぢみさんもんじ
 

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折敷の四隅を切りとった八角形の中に波型の三をあしらっています

神様に食物などを供える白木の台「折敷」に、

大三島神社の「三」文字を組み合わせたものだそうです
 
 
 
 
そんな大山祇神社にはこのような額があります

(画像上部)

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日本総鎮守と書かれています
 
日本総鎮守とは、簡単に言えば日本を見守ってくれる神様がいる場所です
 
日本全部の氏神さまとも言われています

なんだかすごい神様って感じがしますね
 
そんな日本総鎮守の神様とは 一体、どんな神様なのでしょうか?
 
“神の島”に鎮座する大山祇神社には、

天照大神のお兄さんである大山積神(おおやまつみのかみ)が祀られています

 
日本総鎮守といわれてるだけあってただの神の兄貴とは違いますよ

大山積神は古事記で元々神様が住んでいた高天ヶ原から地上へ天孫降臨した
 
瓊瓊杵尊の奥さんとして迎えられた木花開耶姫命のお父さんにあたる神様なのです
 
 
 
まぁ、ざっくりいうと天皇家の家系が末長く続くような礎をつくった神様という事でしょう

初代天皇である神武天皇の祖先をたどると、

大山積神の娘のコノハナサクヤヒメにたどり着き、父である大山積神にたどりつきますからね


日本という国を建国するにあたり、とても大きな力を与えていたと考えられています


名前の通り大きい山の神様という山の神だけではなく、

大海原の神、渡航の神様ともされています


そんな大山積神には別名があり、その名前は和多志大神(わたしおおかみ)と言います


その和多志には渡すという意味がありそこからも渡航の神様だといわれているのもわかるかと思います


でも、一体なぜ日本を守っているといわれている神社が愛媛にあるのでしょうか


日本を繁栄させてきた神様が祀られている神社なら正直四国のイメージはないですよね
(四国に住んでいる人すみません)

理由は大山祇神の子孫である、小千命(おちのみこと)という人物が関わっています


小千命は神武天皇が九州から東に向かう時に先駆けて四国に渡りました


その時に大山積神をこの大三島で祀ったからだと言われています

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大山祇神社の見どころ、それは楠

楠がとても多いです


国の天然記念物に登録されるほどで、樹齢も2600年、3000年など、超ド級


その中に小千命が植えたとされる楠もあります


大山祇神社の御神木です

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推定樹齢2600年です

そんな日本の歴史を全て見てきた の周りを
息を止めて3回まわれると願いが叶うと言われています


参拝に行くとこの御神木の周りをぐるぐる走っている人がいますよ

かなり大きな楠なので、3周はかなりの試練です

息をとめると命を落としかねません


大人だとよく頑張って2周くらいが限界じゃないかなーと思います


行った時は是非試してみてくださいね


では、大山祇神社へ入りましょう
大山祇神社の大きな鳥居を潜ると、右手に斎田が見えます

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斎田とは、
神饌に用いるお米を栽培するために、特別に定められた田んぼのことです


ちなみに大山積神はお酒の神様としても有名です
拝殿の中にたくさんのお酒があるのも、これがいわれでしょう


また、白鷺というお酒は斎田でとれたお米から作られているそうです


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このお酒は娘が神の皇子を出産したことを祝った大山祇神が日本で初めて醸させたとされるお酒です


京都の梅宮大社も大山積神が別の名前で祀られていますよね

酒解神

お酒の神様なんですよ


斎田の横の御桟敷殿前では、一力山という力士が目に見えない稲の精霊と相撲をとる一人角力が奉納されます


これは神事として行われており毎年旧暦5月5日の御田植祭と、

旧暦9月9日の抜穂祭で、豊作を祈ること、感謝することとして奉納されます


相撲の歴史は我々が思っているよりもかなり長いものです


大山祇神社での神事もなんだか訳アリですね


本殿に向かって、歩いていくと左手に雨乞いの楠という大木があります
雨乞いの楠は日本最古の楠。推定樹齢3000年

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これは建国前の楠です



雨乞いの楠といわれるゆえんは、平安時代の歌人 能因法師は

伊予国のえらいさんに頼まれて雨乞いの歌を詠み、

見事、雨を降らせたからです

初代総理大臣、伊藤博文が植えた楠もあります

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他の楠が大きすぎて、明治に植えられた樹齢110年を超えた立派な楠が細く若々しい木に見えますね

また、ここで疑問が出てきましたね
なぜ伊藤博文公の楠が大山祇神社にあるのでしょうか

大山祇神社は山・海・戦いの神としても歴代の朝廷や武将から尊崇されました


源氏や平氏など多くの武将が武具を奉納して武運長久を祈っていました

全国の国宝・国の重要文化財の指定を受けた武具類の約8割が、大山祇神社の宝物館に保存されています


国宝に指定されている源義経や源頼朝の鎧などもあります

そんなこともあって、昔から政治や軍事の第一人者達が参拝した神社なのです


伊藤博文もその一人でした

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というのもありますが、あまり大きな声で言っていいのかわかりませんが、
伊藤博文は大山祇神社を伊予の国へもってきた、小千命の子孫、越智氏の家系出身だそうです


めっちゃざっくり言うと、天皇家ってことです


拝殿の回廊には、参拝した有名人の写真が飾られ、

伊藤博文や山本五十六、皇室の方々などの写真の写真がたくさん飾られています

現在も海上自衛隊や海上保安庁の幹部達が参拝をします

海上自衛隊や海上保安庁の幹部がなぜくるのか、ここにも明確な理由があります


神の島、大三島から海を渡った今治市内には、船で海を渡るようなデザインがされたマンホールがあります
これがヒントですね

ここで描かれている船は、海賊船です

そして、その海賊船の帆には、何故か大山祇神社の神紋が!

このマンホールのモチーフになっている海賊は村上水軍
聞いたことがある人も多いのではないでしょうか

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「日本最大の海賊」と称され、

海の難所である芸予諸島で育まれた海上機動力で、
瀬戸内海の広い海域を支配し、

国内の軍事・政治や海運の動向をも左右しました

拠点としていた海は潮流が激しい場所でしたが、機動力がとても高い大規模な海賊でした。城も海の上に建てられ、日本最古の水軍城を築きました


海賊というと海で船や金品の略奪を繰り返す悪いイメージがあるかもしれませんが、


実際の村上水軍は戦国武将をイメージした方が近いでしょう
平安時代から長く瀬戸内の海を守りました

瀬戸内海だけに留まりません。
百済の要請を受け白村江の戦いへの遠征、源平合戦では源義経に味方し、

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元寇の際も軍を派遣するなど、さまざまな日本史の一場面に村上水軍は登場します

元寇では台風に遭い、元が逃げていったと歴史の教科書で習った人も多いですが、実際にはそうでもないようです

村上水軍たちは博多湾に乱杭を乱立させ、大きな軍船は入港できないようにしたのです


さらに、博多湾の海岸線に元寇防塁と言われる石築地を築き、2度目の来襲に備えました。


海岸線には乱杭をかい潜って小回りの効く小さな軍船を並べ、

博多湾には入れない元軍を追い込みました。そして、停泊中の大型の軍船に、小舟を操って襲いかかり、敵の司令官を生け捕りにしたのです


その際、大山祇神社の神使である白鷺が敵の大将がいる船がどれであるかをくわえた矢を落として知らせたと言われています


その後も攻撃を繰り返し、敵軍を圧倒しました

元の船は大型のため陸地には近寄れず、水軍の小舟は変幻自在に活躍しました。水軍の技術の高さが伺えます

司令官を失った元軍は台風がきたこともあり、戦意を失い撤退しました


荒れ狂う瀬戸の大渦を支配していた村上水軍が国難を救ったと歴史に名を残した瞬間でしょう

では、この村上水軍と大山祇神社とは一体何が関係あるのでしょうか

実は村上水軍の大将である、河野通有は大山祇神社の宮司さんと同じ一族なんですよね


伊予の河野六郎通有


マンホールに描かれている海賊船の帆にある紋章と大山祇神社の神紋が同じ理由がありましたね

大山祇神社と日本の歴史に名を馳せた海賊は血筋で繋がっていたのですね

これで現在も海上自衛隊や海上保安庁の幹部達が参拝する理由おわかりいただけたでしょうか


今の海上自衛隊や海上保安庁の礎を築いたのが村上水軍なんです
そして、大山祇神社の宮司と村上水軍の一族は同族なんですね

ようやく本殿に到着

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拝殿から奥を見ると左右にも何やら建物があります


この3つの建物で一つの本殿となっています


御本社御祭神は大山積神


摂社【上津社-かみつやしろ】御祭神は大雷神また姫神


摂社【下津社-しもつやしろ】御祭神は高靇神となっています。

摂社の神様はどちらも雨を降らせるような神様だと考えられています

雨乞いの楠もあったし、伊予の国はもしかしたら昔は雨が降りにくい環境だった可能性もありますね


大山祇神社の奥の院へいく参道があります

そこには「生樹の御門」という楠があります


楠が多いですね

ぜひ、楠好きは必ず行って頂きたいですね


ただし、道中は難しいと感じる人もいるそうです

辿り着けないとの声もあります

実際は案内板が出てるので迷うことはないはずなんですが、

楠の真横で諦めたように引き返す人がたくさんいました


楠が大きすぎて、真横にある楠を見つけられず、諦めて引き返す人もいるようです


そんな引き寄せか諦めの悪い人か…たどり着けた人だけが見える景色があります

とんでもない大きさと雰囲気に圧倒されます
この木はレベルが違う!と誰しも思うような風格の木です


すごいという薄っぺらい言葉しか出なくなります

見た瞬間に言葉を失う人も多いようです

楠木が2つに割れていてその間に石段があります

その石段が奥の院への参道になっています

楠の中を通って奥の院へ

大人5人で通っても余裕あるくらいの大きさです


楠がトンネルみたいになっていて、自然の凄さを体感できます


自然崇拝という言葉を体感できる空間です



今回は愛媛県大山祇神社を紹介しました

記事のまとめ
①四国唯一の一ノ宮 大山祇神社は楠が魅力
日本の海賊が今の日本の海上技術の礎となった


とても長くなりましたが今回は神の島 大三島の大山祇神社を紹介しました。
魅力がたくさんですからね。ゆっくりといきたいですね。

最後までご覧頂きありがとうございました


動画でわかりやすく解説はこちら


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