見出し画像

コロナの影響で売り上げほぼ0、自営業を営む父親の話

どうも、本日は有休扱いで今さっき起床したちゃりんこです。

寝起き早々、父親が更新するインスタグラムを見て少しうるっとした話を残して置こうと思う。
少し長くなるけど、読んでくれると嬉しいです。


父親は実家で自営業を営んでいる。
街の、小さなプリント屋さん。

主にTシャツを仕入れて、オリジナルTシャツを作る仕事。
気がついたらもう10年、地元の常連さんや全国各地のお客さんから、大量ではないけれど途切れない注文をいただきながら営業してきた。

でも、オリジナルTシャツの制作は、価格面ではもう大手に敵わない。

うちの場合、仕入れ値は高いし、無料でデザインを制作するし(別途料金を取るのが一般的だが父親の性格上、未だにプラス料金を取らない)、配送会社の値上げで商品よりも配送料が高いし、全ての作業を1人で行うから売り上げと利益の比率がおかしいことになっているし、正直言うと商売ではなく人情で働いている


それでも父親はプリント屋を辞めない。
大手では何百枚、何千枚の注文がざらにある中、30枚くらいのユニフォームを作ってくれという注文依頼に、父親は大喜びで対応する。

正直なところ、そんな父親に少し苛立ちを覚える自分がいたこともあった。

もっと売り上げを伸ばすために、何か策を打つべきだと、このままじゃ潰れるかもしれないのに何をそんなにヘラヘラしているのかと。
昔はもっと強欲な性格で、限界を知らなくて、前職では家族を遠くに置いてまで仕事に熱中していた頃もあったではないか。

「肥やし魂はどこへ行ったの?」どれくらい前か、父親に半分キレながら聞いたことがあった。
「俺ももう歳なんだよ」なんてまたヘラヘラしている姿を見て、呆れてたこともそういえばあったなと今思い出した。


2年ほど前、私が転職活動をしている最中に、半年ほど父親の仕事を手伝ったことがあった。

忙しい時期はそれなりに仕事が入っていくるので、忙しながらもたまにぶつかってはああでもない、こうでもないと喧嘩を繰り返したりして、そんな時でもお客さんが来店するといつも笑顔で、世間話なんかをしたり、お客さんの愚痴を聞いてあげちゃったりしながら接客をしていた父親

嫌いではなかった。
利益よりもお客さんの要望を大事にする父親を、この10年間ずっと、心の片隅で尊敬していた。


そんな父親が、先日ご飯を食べている最中にこんなことを聞いてきた。

「コロナに負けない、って英語かなにかでプリントしたTシャツを販売したら売れるんじゃないか」

久しぶりに私は父親に対して"失望"の文字が脳みその裏を横切った。

本気で言っているのか?

いやでも、予想もしていなかった状況が変時点で起きていて、店の売り上げは0に近い、そんな日々が何週間か続けばそういった考えが出てきてしまうのか?

"わたしの父親はそんな人間じゃない"
そう思いたかったから、父親に何故そんな考えが生まれたのか、必死に考えてしまった。


思ったよりもわたしの沈黙が長かったらしく、父親は「どうした?珍しく悩んでいるのか?」と問いかけていた。
そりゃ悩むだろ!と言ってやりたかったけど、落ち着いてゆっくり話を始めた。


わたし「今の、売り上げがないこの苦しい現状でその考えが出てきたのかもしれない。実際にコロナのおかげと言っちゃ悪いかもしれないけど、この世の中の動きをチャンスにして稼ぐ人もいる。"自作マスク"を売ってお金にしている人もたくさんいる。まあでも、マスクは身を守る道具の1つだから、転売とは訳が違うし一般的に見たら"良いこと"と思われる商売かもしれない。でも、今おとんがやろうとしていることは、心の底から誰かのためにやろうって気持ちがあって言ってるの?どういう思考でコロナTシャツを作りたいと言ったの?それを聞きたい」

父親「うん。わかるよ。お前が言いたいことはわかってる。だけど俺も今、本当に厳しいんだよ。売り上げがないんだよ。通常ならこの時期から売り上げが伸びていくのに、全く注文が入ってない。何かしなきゃって色々考えた1つの案に、コロナに負けないってデザインのTシャツを作って売って、もちろん全世界の人たちでそれを着て、そんなもので人類が屈しないって思いを掲げたい気持ちもあるけど、でもまあそうだな、商売目当ての気持ちの方が強いだろうな

わたし「なるほど。まあ商売目的の気持ちが0だったら、無利益で作るよね。東日本大震災、3.11のときみたいに。あれは本当に素晴らしいと思ったよ」


------------------------------------------


2011年3月11日、東日本大震災。
もう9年前の話になるけど、当時は父親の店がオープン仕立てで、開業費用やら何やらでかなりのお金を使ったにも関わらず、父親は人と街の復興を願って自分でデザインしたTシャツを何百枚、何千枚作って、被災地域に無償で寄付した

「俺にはこれくらいのことしかできない。こんなことしかできないけど誰かのためになれば、救いになれば、だから協力してほしい」
揺るがない目でそう言った父親に、家族全員で協力してTシャツの制作作業を手伝った。

どれくらいの数を作ったのか、どれだけの量のTシャツを畳んで、A4用紙にマジックペンで"頑張れ"と手書きで書いた紙を添えて、積み重なるダンボールに梱包して送ったか、もう正確には覚えていない。

母親もご飯を作らず手伝ったので、近所の弁当屋で毎日のり弁を買って食べた記憶がある。

そのTシャツは、被災して衣類に困っている人や、その地域でボランティア活動を行なっていた人たちの元に届いて、のちにはお偉い方に感謝状までいただくことになった。

どれだけの人の力になれたのか、どれだけの人を救えたのかわからないけど、Tシャツ代もプリント代も家族の人件費も一切取らずに無償で寄付をした父親を、ただただ凄いと思った

利益などどうでもいい、人のためにと行動に移す、長いのり弁の日々が続いたけど、これがわたしの父親なんだと、本当に誇らしかったんだあの頃は。


--------------------------------------------


わたし「今は違うでしょ。あの頃の気持ちよりも売り上げが大事なのはわかる。けどたくさんの人が苦しんでる。人が亡くなっている。大切な家族を失った人が悲しんでる。先が見えない状況にみんなが不安を抱えてる。そこに漬け込んで、利益を目的にした商売は、わたしは賛成できない。それは違うと思う。その作業に協力したいと思わない。そんなTシャツわたしは欲しいと思わない。わたしなら絶対に買わない。たとえ売れたとしても、わたしは嬉しくない

少し言い過ぎたかもしれない、そう思って父親を見たら、一瞬驚いた顔を見せたけど、すぐに口を開いてこう言った。

父親「そうだよな。そりゃそうだよな。俺は何を言ってるんだ。そんなことしてどうなるんだ。少しの気の迷いでこんなことを言っちまったな。悪かった。みんな苦しいよな。俺だけじゃない。Tシャツは売らないよ。お前の言う通りだ。お前が正しい。さすが俺の子だ。やるとしたらまた寄付しよう。ただ俺とお前だけじゃちょっと厳しいかもしれないな

最後に父親は少し笑っていた。

うちの家族は5年前くらいに訳あってバラバラになった。
だから、また家族でTシャツを作ることはできない。

やりたいけど、わたしが協力しても、2人じゃ多分、いや相当厳しい。
そんな気持ちを抱えながら、その話は終わった。


数日経った今朝、父親が更新しているインスタグラムを見たら、地元で飲食店を営むお客さんから久しぶりの注文をいただいたと写真をアップしていた。

そのTシャツのデザインは、"コロナに負けない"とは書いてないけど、そのような意味が込められた作ったであろうものだった。

その注文をくれた飲食店を営む夫婦から、投稿下にコメントが書かれていた。

「作ってくれてありがとうございました。うちは飲食店でかなり厳しい現状だけど、そんな中でこのTシャツを受け取って元気が出ました。今を生きます。ありがとう。」

要約すると、このようなことが書かれていた。

もちろん嬉しかった。父親が作ったTシャツが、誰かに元気と生きる希望を与えたれたんだと。

でもわたしが泣きそうになった理由はその先だった。
夫婦のコメントに対して、リプライをしていた父親のコメントだった。

「できたらみんなでTシャツを作りますか。こんな時だからこそ、みんなで力を合わせられるTシャツを。勿論、利益なしで(ガッツポーズ)」


これがわたしの父親だ。

22年間のわたしの人生、本当に色々なことがあって、殴り合い寸前までの喧嘩を何度も交わして、死んでしまえと幾度となく思ったこともあって、絶縁も数え切れないほど考えて、それでも2人で泣きながら歩み寄って、どんなことが起きてもわたしの味方でいてくれた父親

しがないプリント屋の店長だけど、わたしが唯一尊敬している人
これまでも、これからも、何が起きてもわたしは父親の味方であって、何事にも力を貸す。

もし、これ以上に世の中が沈んでしまったら、わたし達はきっと動く。
お金にならなくても、たとえ破産しても、なんだろうがどうでもよい。

「今しかできないと判断したことはとことんやる」
父親の生き方を見て学んだことだ。


全世界の人が苦しみ、悲しみに耐えながらこの悲惨な事態に耐えて踠いて頑張っている。

どうか、当たり前だと感じていたあの日常が戻ってきますように。
心から頰を緩めて笑える時間が帰ってきますように。


読みづらくて長ったらしい文章に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

ご自身の身体だけは、どうかご自愛くださいね。


では、ちゃりんこでした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?