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音楽感想:nayuta『ArtemIs』

『ArtemIs』はM3-2024春において発売されたnayutaさんのファンタジーアルバムです(BOOTH販売もあり)。別売りのStorybookもあります。
楽曲はRD-Soundsさん、シナリオはさんしおさんが担当されています。


はじめに

『ArtemIs』はとあるアンドロイド少女と研究員の物語です。
アンドロイド少女は見た目も内面も人間とほとんど区別できず、人間としての記憶すら植え付けられていたのですが、研究のための実験台として扱われていました。そのような状況のなか、彼女はルナ博士という研究員が担当することになります。ルナ博士はアンドロイド少女に「ねね」という名前を付け、実験台ではなく人間として扱い、ともに時間を過ごすことで、二人の間に互いへの愛情が芽生えていくというお話です。

さて、アルバム名のArtemIs、これは一体誰のことを指すのでしょうか。
まず元になっているのはギリシア神話に出てくる月の女神アルテミス(Ἄρτεμις)です。
AIの部分が大文字になっているのでアンドロイド少女のことを指しているのは確実ですが、ルナ博士のことも指してる可能性があるかもしれないとも思いました。
「ルナ」はラテン語のlunaが由来だと思われますが、lunaは月であると同時にローマ神話の月の神でもあります。「〔武力で〕征服されたギリシアは野蛮な勝利者(ローマ)を〔文化によって〕征服した(Graecia capta ferum victorem cepit)」などとローマの詩人が言うほどにローマはギリシアから文化的に多大な影響を受けており、ローマの神話にはギリシアの神話が取り入れられ、神々もギリシアの神々と同一視されます。
ローマ神話においてルーナの神話はディアーナ(Diana)という神に吸収されるのですが、そのディアーナはギリシア神話におけるアルテミスと同一視されます。このことから間接的にルナ博士もArtemIsと言えなくはないのではないかと思いました。
...などと書いているうちにそんな回りくどいことしなくても「lunaは月だからルナ博士もArtemIsかもしれない」でいい気がしてきました。

01 nameless moon

無機質な雰囲気のあるとても美しい曲です。
Storybookではphase:1に当たるのでしょうか。
アンドロイド少女にまだ名前はなく、被検体19号と呼ばれている状況です。
挿絵では一人の少女が寝台の上で仰向けに横たわり、たくさんのチューブで機械に繋がれています。

ところで何で「被検体19号」などと呼ばれているのでしょうか。その辺のAIにはGrokだのAlexaだのといった名前があるのに。心理学者のバンデューラは人間が非道徳的なことを行なった際に罪悪感を軽減させようとして取る行動をいくつか挙げているのですが、その中に「非人間化」というのがあります。相手を同じ人間ではないと見なすことで、後ろめたさを感じずに済むようにするわけですね。つまり「被検体19号」みたいな人間ではないような名前を付けることで、実験のために人権侵害を行わなければならないことに対する罪悪感を軽減しているのではないか、というような説が思い浮かびました。機械にだったら別に何してもいいかって感じですね。

02 determinism〔機械仕掛けのココロ〕

Storybookではphase:2。
アンドロイド少女が自己認識では人間なのに人間扱いされないことに対するやり場のない憤りを叫ぶ歌です。
機械なので機械らしくありつつ要所要所で強い感情が感じられる歌い方で、感情のあるアンドロイド少女という存在が上手く表現されています。特に最後のほうは畳みかけるような感じで勢いがあります。

崩れてもだめ
ただ光あれ
一方的な関係性

「創世記」おいて、神は天と地を創造した後こう言いました。「光あれ(fiat lux)」。驕れる無能な創造神 かみにでも成った心算 つもりなの...?と少女は研究員たちに対して思ったことでしょう。

カリキュレイティブな命≠思考 埋め尽くされていく

少女は自分はアンドロイド(カリキュレイティブな命)なのだという事実と自分は人間だという思考が一致せずに苦しみます。

ここにいま わたしがいるんだから ねえ……

また

わたしのことを みてほしいんだよ ねえ……

物語の後半で分かることですが、アンドロイド少女にとっては人間であるかどうかということよりも、誰かに存在を認めてもらうことのほうが重要なのです。表層意識が気づいていない真の欲求が、感情の昂りの中でポロっと零れ落ちているという感じですかね。

03 ne / ne〔ヒトらしくあるために〕

Storybookだとphase:3、phase:6
ルナ博士がアンドロイド少女に「ねね」という名前を付けます。
19号の1(one)と9(nine)から後ろの二文字を取って”nene”だそうです。
これはStorybookではちょっと飛んでphase:6で分かることなのですが、ねねと会ったときルナ博士は弟を亡くしてふさぎ込み、心が機械のようになっていた時期だったんですね。
ねねに優しく語りかけつつ悲痛な想いを抱えるルナ博士の心情が歌われています。

ねえ
この世界が哀しいものじゃないんだってね
信じさせて。ね?

ねねにとってルナ博士は救い主ですが、ルナ博士のほうも、ねねに救いを求めているのです。

04 upon a star〔ネガイゴト〕

Story bookではphase:4。
ねねとルナ博士が天体観測に行く話ですね。
イントロが好きすぎる。
Storybookの「姉さんがどこか優しく懐かしそうな表情で私を見つめていることなんて、その時の私はなんにも気づかなかった」というところから考えるに、ねねに亡くなった弟を重ね合わせて見ている感じの歌詞になってると思うんですよね。

もうすぐだね
もうずっと待ちきれないよ

焦らないでね
まるで子供みたいじゃない

この冒頭とかは目の前のねねの姿と記憶の中の弟の姿がオーバーラップしてるんじゃないかと思います。

見上げる瞼に零れ落ちる光
果てしなく求めて
遠くまで輝くオライオン

ここに出てくるオライオンはギリシア語ではオーリーオーン(Ὠρίων)、アルテミスが誤って殺した自分の恋人です。死後、空に上げられてオリオン座になりました。オライオンはルナ博士の亡くなった弟を象徴しているのではないかと思います。冒頭で述べたようにルナ博士もアルテミスと言えないことはないですし、弟は恋人ではないけど死んだ大切な人ということには変わりないので。Storybookには書かれていませんが、もしかしたらルナ博士のミスで亡くなったとか、そういうこともあるかもしれませんね。

見上げる瞳に満ち溢れる光
止め処なく響かせ
あなたと奏でるオラシオン

逆にこの箇所はねねのことを言っているのだと思います。
弟はもういないので、今横にいるねねとの祈り。
さっきの箇所では恐らく泣いていたのだと思いますが、この箇所ではむしろ希望に満ちていますね。

いつか見たその面影を
夜空高く溶かして――

「いつか見たその面影」は過去の弟の面影なのだと思いますね。
歌詞の夜空関連の部分は弟のことなのではないかと思います。
もうしそうだとしたら「何万天文単位の先でも」という言葉が帯びる意味とか、弟にもネガイゴトがあったのではないか、みたいなことが気になりますね。ちょっと先になりますがphase:7で始まる研究の内容も。

05 beside you〔夢の続きへ〕

Story bookではphase:5, 6。
ねねは偶然他の研究員たちが話しているのを聞き、ルナ博士が自分と仲良くしていたのは実験ためではないかという疑心を抱き、部屋に閉じこもってしまいます。
しかし自分の真の欲求に気づくと、ねねは勇気をもってルナ博士に真実を尋ね、上述したルナ博士の悲しい過去について聞きます。
そしてねねのことを本物の妹のように愛しているということも聞きます。
そういうねね視点の曲ですね。
曲もnayutaさんの歌い方も明るく前に進んでいくような雰囲気があり、希望を感じます。

無理して笑うようなことも
誤魔化してしまうことも

ぜんぶ一緒に受け止めていこう

これまではねねがルナ博士に助けられていましたが、ここではむしろねねからルナ博士に手を差し伸べるようになっています。

本当に大切なこと、ヒトであることより――

ねねはルナ博士に人間だと認められたいわけじゃなく、「ねね」という固有の存在として認められたいという真の欲求に気づきます。

あなたと
生きていきたい
意味を与えあって誰より傍に寄り添いたい

お互いがお互いに生きる意味を与え合う。
元々互いに大切に思ってはいたでしょうが、さらに関係が深化したような印象を受けますね。

06 until my last breath〔生きる証を〕

Story bookではphase:7。
死期が近づいたルナ博士の、現世に遺していく博士になったねねに対する想いを歌った、切なくて感動的な曲です。こういう曲とnayutaさんの相性は抜群です。

ねね博士はアンドロイドなのでやっぱり年を取らないんですね。
古代ギリシアでは神々は不死の者たち(ἀθάνατοι)、人間は死すべき者たち(θνητοί)と呼ばれます。ルナ博士は死すべき人間である一方、ねね博士はやはり神たるアルテミスをモチーフとしていて、不死であるということなんでしょうかね。ただアンドロイドも人間の身体よりは頑丈というだけでいつかは壊れるような気もするので完全に不死ではないでしょうけど。

ひとがだれかといっしょにいきること
そこに存在ることを認めるのなら

生きている証のそこにあること
それがヒトとして生きることだと

いつか
その手を取るあなたとともに
知っていったんだ

誰かと一緒に生き、お互いの存在を承認することが生きている証であり、ヒトとして生きること。
Storybookでは

社会に組み込んでくれて、家族になって、本当の妹として愛してくれた。


これが『私の生きている証』なのだから。

とあります。
キーワードは「存在の承認」と「(家族)愛」。
恐らく前者と後者はイコールだということなんですかね。
そしてそれが生きている証だと言われています。
確かに誰かに認められないと「証」とは言えないですからね。

07 ArtemIs

感動的な物語のエンディングという感じの曲です。
優しい雰囲気のある曲ですが切なさやノスタルジーも感じます。
もしかしたらphase:7よりも後の世界の曲なのかもしれません。
ルナ博士もいなくなった後、ねねがかつてのことを思い出している様子がイメージされているのかなあというようにも思いました。
それかあるいはルナ博士が死ぬ直前に回想しているような感じかもしれません。

『ArtemIs』とギリシアの「愛」

さて、せっかくギリシアの神がモチーフになっているので、ここからこの物語の「愛」について、ギリシア目線で見ていこうと思います。

古典ギリシア語で「愛」を表わす言葉は主にエロース(ἔρως、性愛)、ピリアー(φιλία、友愛)、アガペー(ἀγάπη、無償の愛)、ストルゲー(στοργή、家族愛)の四つがあります。
ぱっと見、ストルゲーじゃない?って思うかもしれませんがとりあえずそれぞれ見ていきましょう。

まずエロースは「性愛」と言われていますが、現代日本語で言うところの「恋愛」を想像してもらえればいいのではないかと思います。この四つの愛の中では唯一、神話に出てくる神でもあります。ローマ神話のクピードー(Cupido、英:Cupid キューピッド)と同一視されており、神としてはこちらのほうが有名ですね。アガペーはキリスト教の愛で、神の人間に対する無償の愛のことです。この神の愛を受けることで人間のアガペーもあります。でもこの二つの愛は恐らくあまり関係ないかなあと思います。

ストルゲーは「家族愛」と言われているのですが、辞書で引くと親子愛なんですよね。兄弟姉妹は含まれるのかがよく分からない。ねねとルナ博士の間の愛は姉妹のような愛なので、兄弟姉妹間の愛が含まれるのか含まれないのかが重要になってきます。そこで動詞形のστέργωで調べると、兄弟姉妹間の愛も入っているようでした。

1 aimer tendrement, chérir, particul. en parl. de l’amour des parents pour leurs enfants, Soph. O.R. 1023 ; … de l’amour fraternel, Eur. I.A. 502 ; …

Bailly 2024

エロースのような激しい愛ではなく、やわらかな、優しい感じの愛ということですね。ねねとルナ博士との愛にぴったりだと思います。

そして最後のピリアーですが、「友愛」と訳されます。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』第八巻第九巻においてこの愛について詳しく論じています。友愛は親子間にも、兄弟姉妹間にも、夫婦間にもありえるようです。『ニコマコス倫理学』第八巻は次のような言葉で始まります。

それではこれまでの考察に続いて、「友愛(ピリアー)」について論じることにしよう。なぜなら、友愛は徳の一種であるか、あるいは徳を伴うものであり、さらにそれは、われわれの人生に最も必要なものだからである。

アリストテレス『ニコマコス倫理学』朴一功訳、京都大学学術出版会、p. 354

アリストテレスは友愛を「人生に最も必要なもの」とまで高く評価しています。
友愛は愛する理由によって三種類に分けられます。善きものゆえに愛するのか、快いものゆえに愛するのか、有用なものゆえに愛するのか。
もちろん真の友愛は一番最初の「善きものゆえに愛する」ですね。
善きものというのは「性格の徳」というもので、勇気とか気前の良さみたいなものが挙げられています。友愛自体も徳だとされています。
そしてさらに次のように述べられています。

さて、人々が愛する理由には三つあるが、魂のない無生物を愛することについては、通常、友愛という言葉は語られない。なぜなら、無生物には愛し返すということがないからであり、またわれわれが、無生物の善を願うということもありえないからである(事実おそらく、お酒にとっての善を願う、などというのはばかげた話であろうが、しかしかりにそのような人がいるとすれば、その人は、お酒が保全されることによって、実際には自分自身がそのお酒を保持しうることを願っているのである)。だが、友に対しては、友のための善を願わなければならないと言われているのである。

同、pp. 358-359

無生物は愛し返すということがない。確かにそうですね。ルナ博士からの愛に反応し、愛し返したねねはただの機械ではないのです。さらに、アリストテレスは互いの善(=幸福)を願うような関係、それが友愛であると述べています。
ねねとルナ博士との関係もそのような関係と言えないでしょうか。

わたしの分の涙に替え あなたの喜びへと

ふたり分の幸せを 明日に続かせよう

beside you〔夢の続きへ〕

いつか覚めない夢の中で
独りさみしそうにふるえていた[キミ]へ
そしていま わたしを追い越していく[あなた]の姿
誰よりも誇りに思うよ

until my last breath〔生きる証を〕

のように、互いの幸福を願うような気持ちがあるところからも、二人の愛は「友愛(ピリアー)」でもあるかなと思いました。
ルナ博士が自らは死にゆく中、ねねの将来を想う「until my last breath〔生きる証を〕」のほうは特に感動的ですね。

終わりに

美しい楽曲にnayutaさんの美しい歌声が加わり大変素晴らしいアルバムでした。楽曲で歌われている登場人物の心象風景も悲痛なものから幸福なものまで、そして機械から人間まであって、感情表現が重要になってくるのですが、そこはnayutaさんの得意領域、心にしっかりと伝わってきました。そしてストーリーも大変考察のし甲斐があるものでした。
Track 08はモールス信号によるメッセージです。人生で初めてモールス信号を解読しました。僕もこのアルバムをきっかけに愛について調べてみたりしたので、制作陣の方々に同じ言葉を送りたいですね。