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短歌五十音(い)石川啄木『啄木歌集』


この記事について

石川啄木の歌集で印象に残った歌を挙げ、いくつかの歌をピックアップし、感想を交えながら紹介していく記事となっております。
今回は岩波文庫『新編 啄木歌集』久保田正文編
から引用した歌を紹介します。

石川啄木に対する個人的な印象

みなさん啄木にどのような印象をお持ちでしょうか?
私が生まれて初めて読んだ啄木の歌はこの歌でした。

はたらけどはたらけどほわが生活くらし楽にならざりぢつと手を見る

『一握の砂』より

そのあとも啄木の寂しくて悲しい歌とばかり出会い、「啄木=寂しい、悲しい」印象を持っていました。
ところが、歌集を読み進めていくうちに啄木への印象は少しずつ変わっていきました。
簡単に言うなら「悲しさや寂しさの中から見出す明るさ」とでも言いましょうか。
意外に愉快な歌も詠んでいたということがわかりました。

「我を愛する歌」から十首

「我を愛する歌」は『一握の砂』に収録されています。

①東海の小島の磯野白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる
②大といふ字を百あまり砂に書き死ぬことやめて帰り来れり
③たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず
④草に臥ておもふことなしわが額に糞して鳥は空に遊べり
⑤鏡とり能ふかぎりのさまざまの顔をしてみぬ泣き飽きし時
⑥なみだなみだ不思議なるかなそれをもて洗へば心おどけたくなれり
⑦死ぬことを持薬ぢやくをのむがごとくにも我はおもへり心いためば
⑧朝はやく婚期を過ぎし妹の恋文めける文を読めりけり
⑨たんたらたらたんたらたらと雨滴あまだれが痛むあたまにひびくかなしさ
⑩友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

「我を愛する歌」より

「我を愛する歌」は全体的に寂しい、悲しい印象の歌が多いのですが、それだけでは終わらない愉快さや明るさもあって好きでした。

①④⑤の歌は特に愉快さを感じる歌でした。
泣いた後に蟹と遊んだり、鏡を見て色んな顔をしたりするのは人間味があっておもしろいですし、鳥の糞が落ちて来たのも思わず「ふふっ」と笑ってしまいそうな愉快さがありました。

⑥⑧⑨⑩は悲しいだけでなく少し明るい印象を受けた歌でした。
⑥と⑨の歌はリフレインや擬態語から明るい印象を受けるのかなと思いました。
(⑥の歌を読んで思ったのですが初句の字余りのリフレインってこれくらいからあったんですね…)
⑧⑩の歌も勝手に妹の手紙を読んだり奥さんと花をたしなんだり微笑ましい景の浮かぶ歌でした。

②③⑦は悲しさや寂しさ孤独感の感じる歌で「我を愛する歌」は全体的にそういう歌が多かったです。
啄木の心には常に死や寂しさや孤独があったのだと思いますが②の歌を読めばわかるように死ぬことはできなくて、常に生き辛さみたいなのがあったのかなと思いました。
ただ②の歌を読んで私は思わず「帰ったんかい!」とツッコミたくなりました。(関西のツッコミ魂が出てしまいました。すみません。)
でもそういう啄木のどうしようもなさが啄木の深みでありよさなのかなぁと読んでいて感じました。

「悲しき玩具」から五首

①旅を思ふ夫の心!叱り、泣く、妻子の心!朝の食卓!
②本を買ひたし、本を買ひたしと、あてつけのつもりではなけれど、妻に言ひてみる。
③うつとりと本の挿絵に眺め入り、煙草の煙吹きかけてみる。
④あたらしきサラドの色のうれしさに箸とりあげて見は見つれども
⑤まくら辺に子を坐らせて、まじまじとその顔みれば、逃げてゆきしかな。

「悲しき玩具」より

『一握の砂』は全体的に悲しさや寂しさ、死を連想する歌が多かったのですが、『悲しき玩具』は啄木がどのように生活していたのかということが読み取れる歌が多いと思いました。

個人的に①の歌は「!」がとてもいい味を出していると思いました。啄木のやるせなさや怒りが「!」にあらわれていて歌に勢いが出ておもしろいなと思いました。声に出して読みたいくなります。
(この歌を読んで思ったのは「!」っていつ日本に来たのでしょうか…)

②の歌は妻に「本を買いたい」と何度も言ってみるということですが、啄木は子供っぽい人だったのだろうかと想像が膨らみました。

③④⑤の歌はすごく明るい歌ではないかもしれませんが、前向きな感じがして好きな歌でした。

「悲しき玩具」は「一握の砂」の時の歌と比べると「悲しみ」よりも「怒り」にフォーカスした歌が多いように感じました。
また全体を通し生きることに対して前向きとまでは言いませんが、後ろ向きではないと感じました。

恋愛の歌(五首)

ここでは全体を通して啄木の恋愛の歌で印象に残った歌を紹介します。

①砂山の砂に腹這ひ初恋のいたみを遠くおもひ出づる日「我を愛する歌」
②やはらかに積れる雪にてるうづむるごとき恋してみたし「我を愛する歌」
③やや長きキスを交わして別れ来し深夜の街の遠き火事かな「手套を脱ぐ時」
④君来るといふに夙く起き白シャツの袖のよごれを気にする日かな「手套を脱ぐ時」
⑤思出のかのキスかともおどろきぬプラタナスの葉散りて触れしを「手套を脱ぐ時」

啄木は恋愛の歌も意外(?)と詠んており、「キス」を詠み込んだ歌も結構ありました。

③の歌が個人的にとても好きで、火事に注目していくところに不思議な印象を持ちました。(でも「別れ来し」とあるのでキスの直後ではない?)時系列がうまく読み取れませんでしたが、とても印象に残る一首でした。

他の歌も瑞々しい真っ直ぐな歌で、啄木もこういう素直な歌を読んでいたのかとなぜか安心しました。
④のシャツの汚れを気にする啄木がかわいいです。

おもしろいと思った歌(六首)

続いてこちらでは啄木の歌でおもしろいと思った歌を紹介します。

①一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと『我を愛する歌』
②とある日に酒をのみたくてならぬごとく今日われせちに金を欲りせり「我を愛する歌」
③或る時のわれのこころを焼きたての麵麭ぱんに似たりと思ひけるかな『我を愛する歌』
④ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく「煙」
⑤あたらしき洋書の紙の香をかぎて一途に金を
欲しと思ひしが『忘れがたき人人』
⑥薬のむことを忘れて、ひさしぶりに、母に叱られしをうれしと思へる。『悲しき玩具』

①の歌は読んだ後「そんなこと思ってたの!?」と思わず笑ってしまいました。他にも他者を恨めしく思っている歌や他者に対して皮肉を交え詠んだ歌もありました。

②と⑤の歌もおもしろく、この歌以外にもお金がないというようなことを詠んだ歌があるのですが、この二首が特に好きでした。
⑤の歌の洋書は自分で買った新しい本なのか、本屋で並んでいる本なのか…本屋の本ならおもしろさが増すなと思いました。

③④⑥の歌は可愛らしい歌だなぁと思いました。
特に③の歌が好きで現代の短歌っぽいなと思いました。
⑥の歌は薬を飲むことを忘れてお母さんに叱られるのが嬉しいという歌で、確かに大人になって親から叱られることって少なくなるよなぁと思いました。でも久しぶりに叱られて子どもに戻ったような感じがしたのでしょうか。
啄木の家族の歌はあたたかい気持ちになれるものが多く、家族は好きだったのかなと思いました。

最後に

最後まで読んでくださってありがとうございました。ここでは紹介しきれないほどおもしろい歌やいい歌がありましたので、ぜひ石川啄木の歌集を読んでみてください!

次回予告

「短歌五十音」では、初夏みどり、桜庭紀子、ぽっぷこーんじぇる、中森温泉の4人のメンバーが週替りで、五十音順に一人の歌人、一冊の歌集を紹介しています。

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お読みいただきありがとうございました。
本稿が、みなさまと歌人の出会いの場になれば嬉しいです。

次回は桜庭紀子さんが内田晶太さんの『窓、その他』を紹介します。お楽しみに!

短歌五十音メンバー

初夏みどり
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桜庭紀子
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ぽっぷこーんじぇる
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中森温泉
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