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君よ。私の暴挙を咎めるな。

noteを始めた。
以前アカウントは作ったことあるが、まるで活動していなかった。スタエフ(stand.fm)作品で『わたしはかきたい』を発表したのだから、少しはみなさんの前で「書いてみやがれ」の精神で新しいアカウントを作ってみたのである。早速問題が発生した。使い方がわからないのだ。お手上げである。少しずつみなさんの記事を読ませてもらっているがよくまとまっている。こざっぱりとしている。魅せている。主張がある。私は閉口である。いやこれではまた書かないじゃないか。「しめしめ」という私の内に住み着くサタンがニヤつきやがる。私には大声で言いたいことがない。小声で言いたいことがぽつぽつあるだけである。ペン(この場合は指か)が重い。ペンは剣より重いのかもしれない。
いよいよ装飾し始める。私は自分が装飾し始めることを知っている。「何も考えずに書けばいいじゃないか」そんな声が聞こえてくる。サタンとはまた別のもうひとりの住人の声である。仮にウリエルと呼ぼうか。ウリエル?天使か?そんな大層なものでもない。もう少しドロドロしている。いや違う、素直なんだか卑屈なんだかわからない存在。ん?これじゃサタンと一緒ではないか。もうわからない。どちらでも良い。良くはない。欲はない?嘘だ。欲ばかりである。私は欲張りな見栄坊である。決まった。名前はウリ坊が良い。ウリ坊。かわいいじゃないか。どんとこいである。よし、どうせならサタンの名前も決めようか。サタンたん。サたん。サーたん。サタさん…ああだこうだ考える。
こうして私はまた装飾し始めるのだ。元来文を書くとは戦いである。死に物狂いである。もうヤケクソなのである。
とここまで書いてペンを置く(正確には指を置く。指が疲れてきたともいう)こんな文章誰が読むのか。改行は、スペースは、サタンだと?ウリエルだと?読みやすい文章とはいったいなんなんだと思っているのか。「読み手のことをまるで考えてないじゃないか」今のはウリ坊のひとことである。
ん?読み手のことを考えてないだと?
装飾に装飾を重ねる。格好をつける。それで良いじゃないか。書くとは、いったいなんだと思う。誠実さ。嘘偽り一点の曇りございません。謙虚に真面目に、夜になれば布団に潜り、朝は太陽と共に起床する。一杯のフレッシュな果汁を忘れず、健康食、体操、読書、健全な仕事。陰のない人間関係エトセトラ云々。今日も一日幸せでございました。それらすべての反映。その幸福から生まれるペンの滑りは読者の為の言葉選びに始まり文体、改行、少しのユーモア織り交ぜて、知的好奇心をくすぐる一文。読後はすっきり「さあ、明日も頑張りましょう」、か。頼もしい。書いてみたまえ。

なあに、君だって。
書きたいことがあるのだろう?
次は、君の番だ。

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