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幼馴染が異性とは限らない

私が育った頃は、漫画やアニメに出てくる「幼馴染」とはほとんどが異性だった。すぐ隣の家に住み、自分の部屋が幼馴染の部屋の向かい側で、窓を開けて会話したり、なんならベランダ伝いに行き来している。朝が弱ければ起こしに来てくれて、なぜだか両親はそれが当たり前だと思っている。これが今のステレオタイプ的な幼馴染ではないだろうか。

私には幼馴染が2人いる。KとMだ。初めて会った時の記憶なんてないくらい、昔から一緒にいる。彼女たちは隣に住んでいたわけでもないし、なんなら私だけ家が少し遠かったけれど、幼い頃から変わらない距離感で、今もずっと一緒にいる。



先日はKの誕生日だった。年齢を重ねて、だんだんLINEだけで祝うことが増え、言葉もどんどん簡素になる。

『Kさん誕生日おめー!』
『おめでとー!』

当の本人はスタンプひとつで返事をする。

私たち3人は同じ幼稚園に通い、同じ小学校へ行き、同じ中学に進学して、高校からはバラバラになったけれど、それでも定期的に集まった。私のパソコンには、20歳になる年の年越しの動画が残っている。ガラゲーで撮った画質の荒い動画には、夜な夜な集まって、Mの部屋で記憶に残らない話をしている私たちが残っている。振り返れば忘れ難い時間を過ごしていた。

親友ともおそらく違う、大事なことを相談するわけでもない。
でもなんとなく連絡しようと思ってしまう。

夏になったらハロハロを食べるとか、花火をするとか、約束したわけでもない決まりごとがあって、その度に私たちは集まる。

趣味も絶妙に異なる私たちをつなげるものが、一体なんなのかいまだに分かってはいないけれど、彼女たちに呼ばれたら私はきっと駆けつけると思う。

30年という月日を、私たちは付かず離れず共に過ごしてきた。

ピッタリとくっつくことはないかもしれないけれど、離れていくこともないのだと、はっきりとわかる。


きっと、次の30年も、私たちは共にいる。


2023年夏

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