見出し画像

どうぶつの森の世界


こんばんは、皆さん。広野です。


今日は穏やかな日です。何度か二度寝を繰り返し、正午までベッドにいました。昨日は深夜2時ごろまでりんりんと晩酌しながらお笑い番組を観て、ホロホロに酔ったので、片付けを済ませ、お互い布団に伏しました。

わたしはなんだか眠れなくて、スマホで『どうぶつの森 ポケットキャンプ』を起動。3月20発売の『あつまれ どうぶつの森』ではなく、スマホ版をやっているんです。

4月ごろはすごく流行って、皆あつ森ばかりやっていたのに、もう飽きてしまったのでしょうね。Twitterの知り合いはともかく、現実の友だちはもうあつ森の話なぞしておりません。

本当に薄情だと思う。

飽きたならSwitchごと私に譲ってくれればいいと思いませんか?


私はDSの『おいでよ どうぶつの森』から入村しました。

可愛い家具や服がたくさんあり、自分の好きなものを選んで、購入し、そして身につけたり飾ったりすることができることに小学生ながら大変感動した。

大人たちが現実世界で行っている経済や生活を疑似体験できるなんて、子どもにとっては大変嬉しいことだ。

特に私は幼い頃からシルバニアファミリーに浸水しており、お小遣いやプレゼントの大半をエポック社に渡している。

昔からインテリアやジオラマに対する熱量が大きい。

例え自分はこの可愛らしい世界に入り込むことはできなくとも、私の中に可愛らしい社会を持つことができることが嬉しかったのだ。

広野のシルバニア好きは、中学で一時落ち着いたものの、大学を卒業してまた再燃気味で、実家の自室で大事に保管している。
追々アクリルケースを買って、飾り付ける予定だ。
実は新商品もチェックしており、ほしい建造物が着々と増えている。

危ない。
大人になってからは未だ自分で購入していないのだが、トイザらスのレジに並ぶのも時間の問題だ。


実は、東京の自室にもみるくウサギの赤ちゃんがいる。

こちらは大学4年の誕生日の際にレモンちゃんからいただいたものだ。
トイピアノを弾くみるくウサギの赤ちゃんなのだが、可愛すぎるので、テレビボードの隣の飾り棚にさくらちゃんの人形とともに飾っている。
ひとりで寂しいだろう。
いづれ仲間もお家もできる予定だから。
今はさくらちゃんや知世ちゃんと遊んでね。


いつのまにかシルバニアの話になってしまっていた・・・。

シルバニアについては話せることが3年分くらいあるので、追って話していきます。


それで、ジオラマだったり、ミニチュアだったりが元々好きなわけであるが、どうぶつの森には、そういったコレクションの楽しみがぎゅぎゅっとたくさん詰まっている。


まずは、家具。
家具もシリーズが何種もある。しかもテイストがかなり違うものだ。時代の流れとともにシリーズや家具自体がどんどん増えていて、もはやすべて覚えることは私には出来ない。

しかし、ガーリーな可愛らしい要素が強いシリーズから、アメリカンヴィンテージを彷彿させるコテコテのシリーズ、シルバニア調の英国アンティーク風シリーズ、和風というか和室そのもののシリーズ、更には宇宙のシリーズやきのこのシリーズ、卵シリーズ、雪だるまシリーズ、黄金家具シリーズなど現実には絶対実現不可能(というか現実では家に置きたくない)なものが盛りだくさんだ。

ゲームを進めることで家の増築ができるのだが、たしか6部屋くらい増築できるので、部屋によってテーマを変えることで様々な様式を楽しむことができる。

これは大人であったとしても現実的ではないことだ。

家の改築とか、金銭的にも時間的にも大変コストが掛かるし、少なくとも私は、部屋ごとに家具の雰囲気がガラッと変わってしまうような家は好ましくない。どちらかというと、家全体でテーマがざっくり決まってる統一感のある家づくりをする方のほうが多いだろう。

さすがはそこはゲームなので、嫌になれば家具を一新するのは容易いし、ましてや部屋ごとに全く違うテイストであったとしても、シーンが変わった程度の印象で嫌悪感はないのである。

ホテルのコンセプトルームのようなアトラクションとしての楽しさに切り替えることができるのだ。

そして、家具の種類が多いので、たくさん集めるということ自体が楽しい。


コレクターが喜ぶポイントとしては家具だけではなく、ゲーム中の魚や虫、化石、ハニワもコンプリートしたくなる。

見たことのない蝶が飛んでいる時の興奮や、魚影の大きさで何が釣れるか推察するドキドキもまたコレクターにはたまらない。

服飾に関しては、コレクト要素もありつつ、マイデザインを用いて自分の作った柄の服を着ることができるところも、のめり込んでしまうエッセンスだろう。

それに加えて、どうぶつの森では経済活動や都市づくりを体感できるという点も大変面白い。

獲得物を売って金銭を手に入れ、それで様々なアイテムを購入したり、借金の返済をしたりする。増築したらローンが増える。

価値の高いものを販売すればたくさんお金がもらえるが、そうそうタイは釣れない。

それならアジやフナをたくさん釣り、販売すればいいという「薄利多売」の概念を教えてくれたのもどうぶつの森だ。

都市計画の要素は、64やDS時代は村のマップによって住みよさが変わる程度のものだったが、3DSの『とびだせ どうぶつの森』あたりからは、村長に就任することで実際に村政に携わったり、売店や博物館等の施設や動物たちが暮らす家の配置を変更したりすることができるようになった。

まちづくりの方針を決めることで、町の特徴まで変わる。

非常に面白い要素だ。



こんなに魅力がたくさんあって、やりこみ度も高くて、可愛らしい動物たちと共に暮らすことができる「どうぶつの森」なのに、早々に飽きる人が大量に生まれるのは何故なんだろうか。

性格的にゲームの性質と合わないということは考えられるが、そんなに大勢いるわけないだろう。

ましてや、そもそもゲームの性質を理解しているそういった方は最初から買わないという選択肢だってあるのだから。「どうぶつの森」はこれだけ有名なゲームなのだし、プレイ人口も多い。ゲームを購入する際は、前もってレビューを確認したり、気になるゲームならゲームの発売予告やホームページを見てみたりするだろうに。

だから継続力がない人だとか、単調な繰り返しが苦手な人だとか、そういうことじゃないはずだ。



それで、私が考察した結果、おそらく「生活の重複による疲れ」による離脱が多いのではないのか、というところに落ち着いた。


どうぶつの森の世界は、先にもたくさん綴ったとおりやりこみ要素が強い。

とても緻密にプログラムされている。本当に小さな社会そのものだ。

そしてどうぶつの森の時間設定は、今私たちが過ごしている世界と同じだ。つまりどうぶつの森の世界は、わたしたちの生活と並行して動いている。パラレルワールドなのだ。

そのため、非常にリアリティがあり、臨場感が生まれる。夜になれば星が出て、夜の音楽に変わり、夜にしか採れない虫や魚が釣れる。


それが面白いのだが、プレイヤー自体は自分の世界とどうぶつの森の世界を重複して過ごすことになる。

それがとても疲れるのだ。

ただでさえ人間の世界では、毎日勉学や勤務、家事の応酬で、人間は疲労を抱えて生活している。それも疲労の比重が大きくて、人間世界で体調を崩す人もいる。

それなのに、どうぶつの森でもうひとり分の生活をするということは、もうひとり分の疲労を抱えるということになる。

つまりゲームの中の世界とはいえ、一日にふたり分生きることになっているのだ。

そりゃ疲れるわ。

ましてや自粛明けで徐々に仕事が増えていく、新しい生活様式に変更していく、危ないウイルスの脅威に恐れながら生活していく。今の人間は以前よりずっとストレスフルだ。

だから重複生活は精神的ウェイトが大きすぎる。

人間生活に引き戻される度に、どうぶつの世界から遠のく。

そして皆、早々と「どうぶつの森」から離れていってしまうのだ。


だから、どうぶつの森を続けるというのもある種才能というか、続けることができるメンタルを持っているということは珍しいのではないのだろうか。


わたしもどうぶつの森が楽しすぎて救いがあって、続けるが、リアルの生活が忙しいと何週間も何ヶ月もゲームを触れなくなったりする。

だから、購入者が多かった今回の『あつまれ どうぶつの森』は相対的に離脱者が増え、目立ってしまっているだけなのだろう。


それなら仕方ない。

また落ち着いてから起動して、どうぶつの世界で癒やされたらいい。

でも万が一、今後もどうぶつの世界に行くことは無さそうだなという人がいらっしゃったら、遠慮せず広野に引き渡してください。

できればSwitchごとお願いします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?